ジャスティン・ビーバーの振り付けを担当した逆輸入ダンサー!

ダンスを本格的に始めたのはアメリカへ留学してから。
アメリカへ留学したのも、大好きだったHip Hopの大スター オマリオンに会いたかったからだという。
知り合いもおらず、まともに英語も話せない、そんな彼が、留学からたった1年でオマリオンのバックダンサーとして『Hoodie』のミュージックビデオに参加するというビッグチャンスを掴んだ。
その後、ジャスティン・ビーバーの振り付けや映画への出演など、一気にスターへの道を駆け上がった。
彼はどのようにして、憧れであったオマリオンのミュージックビデオに参加することができたのか?
さあ・・・ダンサーTAiCHi様の登場です!

「思い立ったら即行動」

もともと、代々医者の家系でしつけがめちゃくちゃ厳しかったんですよ。
中学校も進学校に通っていて、将来は医者になることを求められていました。
でも、中学校の時にいじめにあってうつ状態になってしまって、睡眠障害もひどくて・・・
いやー、あの時は本当にしんどかった(笑)
精神病院に通院して薬を処方してもらい、治療をしながらも、家でずっと映画を見たり漫画を読んだりしていました。
まともに学校にも行っていないので、勉強もできないし、このまま大人になっても医者にはなれないだろうと思っていました。
自由に職業を選べるなら、元々映画が好きだから映画監督になりたいと思い、そのためにまずは役者になって勉強しようって決めたんです。
すぐにタウンページでミュージカルの学校を探して電話をかけました。
引きこもり状態に光が差した瞬間でした。
アメリカに行ったのも単純な理由で、“キングオブダンス”と言われているオマリオンの大ファンで、彼に会いたかったからです。
でも、特にアメリカに知り合いがいるわけでも無く、英語も話せなかったので、本当に飛び込んだという感じです。
黒人ばかり住むようなボロボロのアパートに住んでいました。
自分が好きなジャンルのダンスの情報を集めているうちに、オマリオンの振付師をしていたFreeという人を知り、彼のダンスのレッスンを受けるようになりました。
1年ぐらいしてから何の前触れも無く、オマリオンのミュージックビデオの仕事に振り付けのアシスタントとして仕事をさせてもらえることになったんです。
朝は一番早くにスタジオに行き、誰よりも遅く帰り、家に着いたら次の日に備えて寝るだけ。
そんな生活を送っていました。
緊張している暇なんて全く無かったです。
撮影の直前になって突然バックダンサーに欠員ができて、振り付けが分かる僕が急遽ビデオに出ることになったんです。
「このチャンスを絶対掴んでやる!」って思いながら必死に踊りましたね。
このビデオ出演をきっかけに、自分のダンサーとしての人生がガラリと変わっていきました。
映画の出演の話がきたり、ジャスティン・ビーバーの振り付けを担当したり・・・
様々な仕事を頂きました。
今までのことを思い返すと自分は運に恵まれていたんだと思います。
思い立ったら、即行動。
行動の数を増やすことで成功の確率って上がるんだと思いますよ。

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