【美樹 克彦】昭和を代表するヒット作を生み出したスゴい人!

美樹 克彦

1967年、「花はおそかった」で、NHK紅白歌合戦に出場し、ラストの台詞で「バカヤローー!!」と叫び、一躍世間の注目を集めた。

「バカヤローー!」で稼いだのは、時の首相吉田茂と本日登場のスゴい人!だと言われたほど。

歌手としての活躍のみならず、「もしかして」、「もしかして PART2」など多くのヒット曲を作り出し作曲家としても大成功を収めた。作曲をする上で大切にしていることを教えていただきましょう。

さあ・・・作曲家、美樹克彦様の登場です!

 

「好きこそものの上手なれ」

私は5歳の時から58年間、芸能界で活動をしてきました。

役者をしたり、歌を歌ったり、作詞、作曲をしたり、プロデューサーをしたりと常に好きなことを仕事にしています。

一度だけ、もう芸能界を辞めようと思ったことがあります。

25歳の時に藤山寛美さんの娘さんとの婚約を白紙に戻した時に、仕事がいっぺんに無くなったのです。

その時は、芸事は大好きだけど、芸能界の力関係に嫌気が差し辞めることにしました。

芸能界を辞めてからも、曲を書いたりして友人に披露していたら、たまたまロビー和田さんに伝わって、『お前いいよ!』ってことになり、シンガーソングライターとしてデビューすることになりました。

アリスの前座で全国ツアーを回った時に、忘れもしないのが、熊谷の市民ホールでのコンサート。3000人の観客が入るホールで、ギター1本で、弾き語りです。

弦をピンと弾いた瞬間に観客が水を引いたように静かになり、耳をそばだてて、曲に聞き入るのがわかりました。

それまで、自分のライブではロックテイストの演歌をやっていたこともあり、観客が『ワー!』とか『キャー』とか騒いで、歌のみに集中することが無かったのです。

観客が真剣に向き合ってくれていることを肌で感じ取ることができました。

この時の感動は、作曲家として活動する上でも大きな財産となっています。

作曲家は、弟子を取り、アーティストを育て、世に送り出すことに責任があります。

私も師匠から教わってきたように、弟子にも練習は本番のように、本番は練習のようにと言い聞かせています。

緊張が壁となり、本人の実力を発揮するのに障害となります。

本来の力を発揮するためには、場数を踏むことと自分自身をコントロールすることが大切ですね。

今後の夢は、日本だけで無く世界中を感動させることができるアーティストを育てたいと思っています。

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