日本人で初めて“世界に通用するプロサッカー選手”と言われたスゴい人!

必ず、すべてのことには先駆者がいる。ワールドカップで盛り上がったサッカーもそうだ。まだ、誰も世界で活躍する選手がいなかった時代、前人未到の道を進んだ男がいた。
日本の選手が海外に行く事は到底難しいと言われた時代に、世界に挑戦し、世界に受け入れられた男。前人がいないことに挑戦する価値とは?
さあ・・・奥寺泰彦様の登場です!

「周りの人の笑顔が嬉しくて」
海外プレーなんて考えた事も無かったし、所詮、無理なもんだと頭から思っていた。僕にチャンスをくれたのは僕のプレーを見たドイツの監督でした。
オファーは頂いたけど、日本人が海外でプレーする前例も無いし、言葉は話せない、生活はして行けるのか・・不安がよぎってドイツに行く事に即答出来なかったんです。
そんな時「何を悩んだり、心配しているんだ、大事な事はお前がうちのチームでプレーする事だけだ、言葉はすぐ覚えるし、習慣もすぐに慣れるから心配するな」という言葉を、監督からの言葉で不安は払拭されました。
練習の合間に語学学校に通いまた練習という日々。意思疎通は2,3ヶ月ぐらいすると出来る様になりました。必死になれば言葉は使えるようになるんだよね。
自分にとって何が大事かと言えば「サッカー」でした。そのサッカーを僕が全うしない限り。評価もされないだから努力は当然。生活の基盤を支えてくれる仕事を大事にして、全うしなければいけない。
その仕事で稼いだお金は何のために必要なのか?何故、その仕事をするのか?それが見えてくると、仕事がやりやすくなると思います。もちろん誰かの為でもよくて、僕の場合は「誰かの為に」何かをして喜んでもらうのがただただ好きなのです。
人が喜んでる顔を見ていたい。それは最終的には自分の為になります。自分も嬉しいし周りも笑顔になる。
自分の人生を振り返ってみて、自ら切り開く訳ではなく、周りから誘われたり沢山のチャンスを貰う事で楽しくやってこれたのは、いつも人が喜ぶ顔が見たいと思い続けていたからなのかもしれません。

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