視聴率にとらわれない新しいスタイルの番組作りをするスゴい人!

山田洋次監督のギャップに魅了された

スピード昇格したものの、降格

ワイプで人生を見る

本日登場するスゴい人は、1994年にTBSに入社し、テレビプロデューサー、ディレクターとして「さんまのスーパーからくりTV」「中居正広の金曜日のスマたちへ」「EXILE魂」など人気バラエティ番組を手がけてきた。
そして、昨年(2016年)12月末に同社を退職し、新しいチャレンジを始めている。
誰もが知る人気番組を手掛けるプロデューサーはどのような人生を送ってきたのだろうか?
そして、彼がこれからのテレビ業界に求めるものは何なのだろうか?

さあ…
バラエティプロデューサー
角田 陽一郎様の登場です!


何でも知りたい!

何にでも興味を持つ子どもでした。
学校に行きたくないと言う人もいますが、自分は学校休んだ日に、その日の出来事を知らないことがそもったいない!と思っていました。
テレビもよく見ましたし、CDや本もよく買いました。
「ニューアルバムに2,000円を支払うのがもったいないと言うならば、14歳のこの僕が今、このニューアルバムを体験する機会を失う事の方が人生としてもったいない」と親に言ったのを覚えていますね。
こんな事を言う子どもを許容してくれたところは、少し普通の家庭とは違ったのかもしれません。
絵を描く才能、音楽の才能、人より優れた身体能力など、天才的な能力が自分には無いと何処かで感じ取っていたので、情報を沢山入れようと思ったのでしょう。
そんな僕にとって勉強は一番簡単な事でした。

山田洋次監督のギャップに魅了された

幼い頃から両親と一緒に山田洋次監督の「男はつらいよ」をよく観に行っていたのですが、山田洋次監督が東大文学部卒業だったことを知り、衝撃を受けました。
官僚になるのではなく庶民が喜ぶ映画を撮影されている事がカッコいいと思ったのです。
この頃、将来の夢は明確ではなかったのですが、漠然と映画監督に憧れていたのかもしれません。

専攻は西洋史学

大学では歴史を専攻しました。
全ての物事には歴史があります。
ビートルズが好きならアルバムを1枚目から聴けば良いし、数学ならアルキメデスから学べば良いだけ。
世界史を専攻したのは、日本史も含めて全て学ぶことが出来ると思ったからです。
大学院に行きたかったのですが、「君の学力じゃ大学院は受からない」と言われ、周りを見渡すと就職活動をしていたので、自分も就活を始めました。
就職面接時期の早いアナウンサーから受け始め、某局に受かりそうだったのですが、アナウンサーは言われた事を話しているだけだと思ってしまったのです。
そのうち、言われたことを話すより言うことを考える側が良いと思い始めました。

TBSへ入社

ニッポン放送とテレビ東京、そしてTBSから内定を頂きました。
オールナイトニッポンの大ファンだったのでニッポン放送に入ろうと思ったのですが、父に相談すると「これからラジオは厳しくなるメディアだからテレビのほうが良いのでは?」とアドバイスを受け、テレビもラジオもあるTBSにしました。
ただ、当時はフジテレビが好きで、TBSはあまり好きではなかったので、自分が入ってTBSを変えてやろうと意気込んで入社しました。
でも数年後、同期達に「お前は入社時にTBSを変えてやるって意気込んでいたのに、逆にTBSに変えられたな」と言われました。
大学時代に演劇もしていたのでドラマもやりたいと思っていたのですが、ドラマだと助監督時代が5年くらいかかり、バラエティだと3年前後でディレクターになれると聞き、バラエティ制作を選択しました。バラエティ制作とは何でもやれる部署だから、さっさと出世して、これはバラエティ番組ですって嘘ついて、ドラマを作ればいいと思ったのです。

スピード昇格したものの、降格

AD時代、想像していた体育会系のつらさは無かったのですが、睡眠時間は毎日1時間くらいの状態がずっと続き、つらすぎて脱走したこともあります。
制作現場がつらすぎて他部署に異動する人もいました。
それを乗り越えて異例のスピード出世となり、入社から1年半ほどでディレクターに昇進しました。
しかし、その翌年1月に春のオールスター感謝祭のチーフADをやれと言われたのです。
オールスター感謝祭のチーフADは一番つらい仕事と言われていて、誰もが嫌がる仕事でした。
この降格があまりにショックで、医者に診断書を書いてもらって、身体を壊したと嘘をついて数ヶ月間休みをもらいました。
今の立場ならわかるのですが、美味しい褒美をあげたのだから皆が嫌がる事をやれ!という事だったのでしょう。
AD時代に声をかけてもらえば「昇格のチャンスだ!」と前向きに捉えたかもしれません。
復帰は「さんまのからくりテレビ」のADからスタートで、事実上の降格となりました。

100個つらい仕事があっても10個は面白い

仕事は肉体的にも精神的にもつらいのですが、きっと一般的な仕事だと100個つらい仕事があったとして、面白いのは1~2個だと思うのです。
だけど、テレビの現場は100個のつらい仕事のうち10個ぐらいは面白いのです。
取材で色々な所を訪れると普通は入れない場所に入れたり、見られないものを見せてもらったりと、役得で楽しい時間を過ごしました。
ライブやコンサートにも招待されるので、何にでも興味がある自分にとっては、仕事を通じて情報を得られる事はモチベーションの1つでもありました。

新たなチャレンジ

「オトナの!」という番組を、TBSの通常の編成予算ではない独立採算でやっていました。
この番組は視聴率の低い深夜の時間帯に放送していたのですが、番組自体をYouTubeなどで流しても良い仕組みにしたのです。
一般的に放送局の番組映像をYouTubeで視聴するのはかなり制限されるのですが、テレビ番組をあえてネットで拡散することによりテレビブランドをスポンサーに有効活用してもらおうと考えたのです。
番組を使った色々と画期的な仕掛けを思い付いても、テレビ局は未だに視聴率偏重主義で、番組表案を決める編成担当部員に理解されないと通らず、実現は困難でした。
大企業は優秀な人をこぞって採用します。
優秀な人は頭も性格も良く、調整能力も長けている一方、調整しすぎて新しい物事が生まれなくなりがちです。
テレビ業界も、今までのやり方を変えないとならない時に来ているのです。
それに気づいているのに知らないふりをする人達や、視聴率ありきの風潮も嫌になり、新しい仕組みを作ろうと思い独立しました。
世の中は広告(広く告げる)の時代から告広(告げたものが自然と広がる)の時代に移り変わっています。
これまでの大量生産、大量広告、大量消費社会ではなく、これからは適量生産し、適量告広し、それを体験した人々が勝手に広めてくれる適量体験社会になっていくのです。

ワイプで人生を見る

独立して思うのですが、実際に上手くいくかどうかはわかりません。
以前は外車に乗っていましたが、今は軽自動車に乗っています。
事務所も今はありません。
今後もしかしたら、想像もしないつらい出来事が起こるかもしれません。
でも、僕はテレビのワイプ画面(画面の隅にある、映像を見ている人のリアクションの小窓)という視点を大切にしています。
自分の人生が大画面に写し出されていても、ワイプ画面を通じて俯瞰したもう一人の自分は冷静にその人生を楽しんでいたいです。
これからはバラエティプロデューサーという肩書を持ちながら、番組に出演する立場にもチャレンジしていきたいです。
自分が面白いとイメージしているシナリオを他人に任せるのではなく、今度は自分で回してみたいと思っています。

取材を終えて・・・

昨年は電通の過労死事件やSMAPの解散などが話題となり、広告業界、芸能業界、放送業界の三つ巴の図式にヒビが入り始めたと話されていた。
一昔前まで映像に携わる仕事を選ぶとしたらテレビ局や映画制作会社が主流だったが、インターネットなどの技術革新により、誰でも簡単に映像配信が出来てしまう時代である。
その為、テレビ局を退社される理由で一番多いのは「こんなにつらい思いをせずネット放送で自分の表現をしたいので辞めます」だそうだ。
誰もが簡単に映像を作れてしまう世の中だからこそ、本当のプロが必要になるという言葉も印象的だった。
まだまだテレビにしか出来ないフィールドはあると思う。
フリーという立場になった角田さんの目線で、これからもどんどん改革を行っていって欲しいと思った。


プロフィール

角田陽一郎(かくた・よういちろう)
1994年TBSテレビ入社
TVプロデューサー ディレクターとして「さんまのスーパーからくりTV」「中居正広の金曜日のスマたちへ」「EXILE魂」など主にバラエティ番組の企画制作をしながら、映画「げんげ」監督、音楽フェスティバル開催、アプリ制作、舞台演出など、多種多様なメディアビジネスをプロデュース。
2016年TBS退社。

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◆著書「成功の神はネガティブな狩人に降臨する−バラエティ的企画術」
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