公認会計士の仕事は、一般的に触れることが少ないのでイメージしにくいかも知れない。
代表的な仕事の一つに、監査がある。
企業の決算書に誤りがないか第三者の立場でチェックする。
しっかりとチェックしてくれているお陰で我々は企業を信用でき、株や商品を安心して購入することが出来るのだ。
本日登場するスゴい人は、当時公認会計士試験受験資格の最低年齢であった20歳で見事合格!
さらに、個人公認会計士事務所での顧問数は10年ぐらいかけて30社と言われているなか、彼は25歳で独立後、たった3ヶ月で30社の顧問を任された。
彼はなぜ公認会計士を目指したのだろうか?
そして、公認会計士という仕事を通じてどんな未来を描いているのだろうか?
さあ・・・壁谷公認会計士事務所 代表 壁谷英薫様の登場です!
「強い日本を目指して」
実家は製造業を営んでいます。
お年玉を使わず母に預けて50万円貯め、ゲームソフトが欲しくなって母に話すと、「会社に使ったからもう無いよ」と言われました。
この時、小学校4年生。「会社をやるってお金が必要なんだ」という事が私の記憶に鮮明に刻み込まれました。
国を良くしたいという気持ちで国家公務員一種を目指したのですが、東京大学に合格できず、官僚の道が閉ざされました。
そんな時、「商学部で一番難しいけれど面白い資格がある」と案内されたのが、公認会計士でした。
資格専門学校に入学し、本腰を入れたのは試験半年前。
受験費用や大学・専門学校の学費も両親が出してくれたので、この試験は親のために頑張ろう!とさらにスイッチが入り、合格する事が出来ました。
監査法人の人手が足りなかったため、大学3年生の時にあずさ監査法人に就職。
入社後は、成長する会社、儲かる会社の仕組みを知るために企業をとことん分析しました。
2年目には50億企業の責任者をやらせて頂いた事もあり、大学を卒業する頃には将来何をするか迷っていました。
そんな時、通勤時間で読む歴史本を妻が本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え』に差し替えていたのです。
自分もお金持ちになりたい!と思い、その後セールスの大切さを知ったので、早速副業で実践してみました。
ところがイメージした様にならない。
ついに人がお金に見えてしまうようになり自分がおかしくなりそうな時、妻から一言「そろそろやめたら」と言われました。
途中で投げ出した事の無い人生でしたが、やむを得ず副業を辞めました。
その途端、自分の支えとなっていた自信が音を立てて崩れ、人に会うのが怖くなりました。
救ってくれたのは、本田健さんのセミナーと松下幸之助さんの『人生心得帖』という本でした。
自分を高めるために勉強を始め、1年間で1000人以上と会う様になり、沢山の仲間が出来ました。
学んだ知識を活かして少しでも仲間に貢献したいという想いが強くなり、妻の応援もあって25歳の時に独立しました。
独立することを知った仲間が応援してくれて、30件という異例の顧問数からスタートすることができました。
これからは、素晴らしい日本の伝統技術や文化を次世代に承継する一助となるよう、100年続く企業を日本一お手伝いする事が目標です。
永く続く強い企業の共通点は、社員の忠誠心の高さに比例する部分があります。
社員が尊敬する魅力ある経営者を沢山支援し、強い日本を皆で作っていきたいと思っています。
◆壁谷公認会計士事務所
http://keiei-cheering.com/
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