クリント・イーストウッド監督の名作映画『硫黄島からの手紙』には、公式発表の主要キャスト以外にも、日本国内から抜擢され、ハリウッドに招かれた俳優がいた。
「戦争を描く映画には沢山の役柄があるはずだ!」と考え、最後まで出演のチャンスを諦めなかった本日登場のスゴい人は、ハリウッドのキャスティング・チームと直接交渉し、オーディションの権利を得て、演技と情熱をぶつけた。
スターではなく、まだ知名度も低かった俳優は、その実力だけでクリント・イーストウッド監督を納得させ、役を勝ち取ったのである。
彼は、日本で朝の連続ドラマや大河ドラマ、映画、舞台を経験した後、俳優にフェアーな対応をするハリウッドの仕組みの中でチャレンジしたくなり、活動拠点をロサンゼルスに変更。
アメリカの映画、テレビドラマで活躍し、アカデミー賞レッドカーペットでハリウッドスターのインタビュアーも毎年務め、着実に実績を積み上げている。
何故、彼は日本で有名になるという道ではなく、ハリウッドを活躍の舞台に選んだのだろうか。
さあ・・・俳優 尾崎英二郎様の登場です!
「まずはやること」
中学の卒業文集のタイトルは「わたくし俳優志願です」でした。
英語は大の苦手教科でした。
それが、高校2年の時に教師からの一言をきっかけに反骨心から奮起し、毎日の予習を始めて以来、英語が好きになりました。
「ダメだ」と思ったものでも取り組み次第で人は“好き”に転じることができるのです。
大学に入り、英語での異文化交流に衝撃を受けて交換留学。
ところが2学期目に入ると、経済学を専攻した自分に疑問を感じました。
アメリカ人の友人に愚痴をこぼす度に「英二郎が本当にやりたいことをやるべきだ」と強く背中を押され、子供の頃、劇を演じて周りが喜んでくれた嬉しさが蘇り、俳優になることを決めました。
帰国後も英語力を落とさないために、外国人モデル事務所の通訳兼マネージャーをしたり、英会話講師をしました。
貯めたお金でNY留学を目指したものの貯金が足りず、諦めたかけた時、本屋でNYの演技学校のドキュメント本を手にして衝撃を受けました。
数日後、雑誌に目を通していたら、なんと! NYの演技学校の芸術監督が来日して日本の俳優たちに教えるプログラムを発見!
即決で仕事を辞め、受講した事が、俳優業のスタートでした。
数年後、アメリカの業界を本格的に視野に入れた瞬間から、芸能事務所を辞めてフリーランス活動を開始。
なるべく外国のプロダクションの作品に出演しました。
ブラジル、香港で出演した経験は、ハリウッドでは“実績”という宝となりました。
38歳のとき、自ら勝ち取った『ラストサムライ』と『硫黄島』のクレジットを片手に渡米する事を選びました。
今後アメリカで20年間俳優のキャリアに全力を注いだらどこまで突き抜ける事が出来るだろうと、ワクワクしたからです。
日本には、外国にはない気遣いや誇るべき文化が沢山あり、それはかけがえのない武器です。
海外から学ぶだけではなく、持って生まれた日本人のDNAを見つめなおして誇りを抱き、自分自身を表現することが大切です。
90年代後半まで、海外の映画やドラマに登場する日本人役は他のアジア系俳優が演じることが多く、日本人像が正確に伝わらないことにもどかしさを感じていました。
だから僕は、映像媒体を通して世界に日本人の考え方や文化を伝えていく、その姿を見せることが、自分の使命だと感じています。
演技を通して
「日本人の気迫、奥深さ、繊細さ、豊かさ」を海外に発信し続け、日本人本来のカッコよさを世界に、そして多くの日本人に気づいてもらう事が、ライフワークです。
まずはやってみることが大切な一歩。
2014年もやりたい目標に向かって挑んで下さい。
僕も挑戦し続けます。
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