外国人力士で初めて大関の座を掴んだスゴい人!

日本の国技「相撲」において外国人初の大関となったスゴい人が本日登場する!
外国出身の力士で、高見山関に次いで史上2人目の優勝力士となった。
相撲の実力だけでなく、子供からお年寄りまで愛される人柄を備えている。
彼はどのようにして強く、そして誰からも愛される大関になったのだろうか?
さあ・・・元大関 KONISHIKI(小錦八十吉)様の登場です!

「家族第一」

貧乏で非常に厳格な家に育ちました。
相撲の世界と同じで、僕の家族も縦社会。
僕は10人兄弟の8番目。
庭から一歩でも出る時は、必ず家族に声を掛けて許可を頂かないとダメ。
私たちには、自分たちの生活を支えあう家族の中での役割があるから。
家族のお世話をするのは、子供の頃から当たり前の習慣でした。
18歳、日本に来る事になる1ヶ月前。
高見山関がハワイに来ることとなり、僕がワイキキでサーフィンをしていたらスカウトされたのです。
一度は断ったのですが、経済的にも家庭は苦しい。
大学に入学したら更にお金も掛かり、親の心配が増える。
だから、親には相談せず自分一人で相撲をやると決断しました。
日本語もわからない。
文化もわからない。
ただ相撲は全然問題なかった。
話せないから黙々と稽古をする。
日本語が上手くなるより相撲で強くなる方が早かったです。
入門当時は兄弟子から沢山イジメられたけど、そういうモノだと恨みはせず、心の底で「いつか絶対に打ち負かしてやる」と強い闘志を燃やすだけでした。
子供の頃から街の清掃をしたり、困っている仲間の相談にのったり、親に話せない問題を解決する事を良くやっていました。
相撲時代、12月になると、時間もお金も無いからハワイに帰れず、寂しいのでサンタクロースの格好をして近くの老人ホームに訪問し一緒にカラオケなど楽しんでいました。
ボランティアはマスコミに取り上げて欲しいとかではなく、自分の心のリハビリでやっていることです。
口だけの人間になっていないか、毎年どんな人間になっているかのチェックなんです。
顔も名前も相撲という仕事を通して知ってもらい、幸せな人生です。
だけど、本当にそれだけが幸せかと問いただすと本当の幸せとは思えない。
今の世の中、深く考えると自分達に出来ないことが多すぎて悲しくなることもあるけれど、家族同士が助けあい、お金では買えない人間同士の心の交流をできたら平和な気持ちになれます。
チャンスを与えられたら断らない。
何が一番怖いかって、断ったら、その結果がわからないまま終わっちゃうこと。
だから、チャンスが来たらやってみる。
ダメだったら、僕はここまでの力しか無かったと知るだけ。
良い仲間と出会えてきたので、これからもこの仲間達と優しさを1つでも形にしていきます。

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