金属に漆を塗る“金胎漆芸”の技術を再生させたスゴい人!

漆というと、木に漆を塗った器を想像する方が多いのではないだろうか?
本日のスゴい人は、かつて甲冑に利用されていた金属に漆を塗る“金胎漆芸”の技法を再生させた。
彼の技術は、フランスのモエヘネシー・ルイヴィトン社から高い評価を受け、[国際・芸術のための科学賞]において欧米以外の作家として初めて特別芸術賞を受賞した。
人生をかけて取り組むテーマの見つけ方とは?
さあ・・・株式会社ジバコ代表取締役 塚本尚司様の登場です!

「三つ子の魂百まで」

小学校低学年の頃に見て、その美しさにとても感動した工芸作品がありました。
父の故郷にある彦根城には、「井伊の朱備え」と呼ばれる歴代の城主が使用した朱漆塗の甲冑が展示されていました。
それらは鉄の上に漆を塗った“金胎漆芸”という技法で作られていて、その朱色の美しさに幼いながらに感動したのです。
運命に導かれるように東京藝術大学に入学し、金工を学び、工芸科を卒業し大学院に進んだ時、ふと幼い頃に見て感動した井伊の朱備えを思い出し、金胎漆芸という技法で作品を創作することを自分の研究テーマにしようと決めました。
しかし、明治維新後、金胎漆芸の技法は廃れて伝承されていません。
教えてくれる人は誰もいないので、古い甲冑を参考にして研究をし1人でひたすら試作を繰り返しました。
研究の結果、美しい上に丈夫で高温のお湯でグラグラと煮ても決して金属から漆がはがれないオリジナルの“金胎漆芸”の技法を生み出すことが出来ました。
後年、この技術を使った作品で1989年にフランスのモエヘネシー・ルイヴィトンの[国際・芸術のための科学賞]で特別芸術賞を受賞することが出来ました。
30代後半の頃、株式会社ジバコの業務は様々な商品のデザインから商品製造まで行っていました。
多くの注文を頂き繁盛していた頃、取引先発行の数千万円の金額の手形が不渡りになり、売掛金が回収出来なくなりました。
会社が連鎖倒産する危機に直面しましたが、下請け会社への支払いに充てる為のお金を銀行から借金をして、会社を存続する選択をしました。
私は芸術を愛し、芸術家として、この仕事をしています。
自分の愛する芸術活動を続けるためには、規模を縮小してでも会社を残さなければならないと思ったのです。
借金の返済には10年ほどの時間がかかりましたが、自分にとっての優先順位に従って出した決断でしたので、後悔をすることはありませんでした。
今は、“金胎漆芸”の漆アート・ジュエリーと漆アートを専門に仕事をしています。
また、蒔絵の技術で壊れた器を修復する“金継ぎ”の正しい技法を伝える教室を開き、壊れたものを直し、直した跡さえもアートにしてまた使う日本人の「もったいない」の精神から生まれたこの技術を伝え、日本の漆の伝統文化を伝承させる事が私の使命だと思っています。
私は、幼い頃のたった一度の「美しい」という感動の経験から全てが始まりました。
これからの親の役目で大切なことは、子供に「物よりも感動を経験させる」ことができるチャンスを与えることである。
と私は思っています。
子供の頃に経験した感動を大切にして、道を求めれば、おのずと道は開かれるのです。

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