知っていただろうか?
日本には、2008年まで聞こえない子が手話で学べる学校がなかった。
ある女性が現れるまでは・・・
開校に至るまでの長い道のり。
新しいことを始めるとき、法律は大きな壁となって立ちはだかることがある。
何度も何度も国や自治体に足を運んだ。そしていつしかぽつぽつと味方ができた。共感する人が現れた。
そしてついに、日本が動いた。
2008年明晴学園開校。
全国の何万人の人が待っていたことか!
たった一人の行動、たった1つの想い、たった1つの願い。
すべての始まりは彼女の1歩。
さあ、玉田さとみ様の登場です!!
「私たちの手で作る、夢の学校」
この子は私の声も聞こえないの? 全身が痛いほどの悲しみに襲われ一緒に無理心中をしようと思った程ショックでした。
聾教育を調べてみると昭和8年から国が手話を禁止していました。
その代り聞く・話す・唇を読み取る訓練の聴覚口話法が聾学校では教えられたのです。
ある時こんなHPを見つけました。
“自分の子供は5歳まで聴覚口話法で育ててきた。
でも、僕は手話だと気づいた。
当たり前のように聴覚口話法で子供と接してきた僕は、ある時、手話で娘を育てているお母さんの話しを聞いた。お月様を見ながら
母「お月様は丸くなったり細くなったりするね」
娘「服いっぱい持ってるのかな?」
この娘は3歳。凄くショックだった。自分の息子が3歳の時に僕は何をしていたのだろう。
「月」「きれい」と日本語を教え、発音をさせることに一所懸命だった。
手話で育てなかった親の後悔。これを読んだ時、心を打たれました
生まれたときから聞こえない人は、聞こえないことがフツー。
手話で学べば何でも分かる聴覚口話法は虐待だ!と言うろう者もいました。
海外では手話で講義を行っている大学や大学院もあります。
聞えるようにする事ではなく、ろう者にも理解できる教育をして行く事が大切。
TVなどで目にする手話は聞える人が作った手話です。
日本語の単語を手で表現しているだけ。
例えばIはYestaday schoolへgoしました、と英語部分を手で表している感じです。
生れた時から聞こえない子は 日本語を知りません。
ろう者には“日本手話”という、ろう者の言語があります。それを使えばいいだけです。
そのことを一日も早く国が理解し、日本中、どこでろう児が生れても本人と家族が希望すれば、日本手話で授業がうけられる、それが、ろう児の親としての使命だと思います。