初めて食べたパエリアにがっかり…しかし6年後…!
最大のピンチを脱するべく試合に挑戦
パエリアの伝統を日本に広めて恩返しをしたい
スペイン料理の代表格「パエリア」
スペインのバレンシア地方で西暦900年頃から受け継がれている伝統料理。
本日登場するスゴい人は、本場スペイン・バレンシアで開催される国際パエリアコンクールに2年連続日本代表として出場し、今年(2017年)国際部門優勝という日本人初の快挙を成し遂げた。
彼はなぜ、パエリアで世界一を目指すこととなったのだろうか?
さあ…
anocado restaurante+
Owner&Chef 川口 勇樹様の登場です!
ロックスターから料理の道へ転向
20歳の頃、ロックスターになりたくて上京しました。
でもギター一本とかではなくて、仕事をしながらバンド活動をして、全然ロックじゃないんですけど(笑)
仕事を3年で辞め、バンドでツアーをしていたのですが、CDやTシャツの売上だけでは続けて行けないのでアルバイトをしていました。
高校時代からずっと飲食のアルバイトをしていたんですが、料理には本当に恵まれていて、最初から評価が高いんです。
どこの店に行ってもすぐに一番上くらいまで行って、時給も上がり、お客さんがついて。
母が料理上手で、いつも一緒に買い物に行き、作って食べていたので、自然と食材の目利きや味の感覚は身についていました。
バンドは音楽と言うより一種の自己主張だったのかと。
この技術じゃ相手を説得できないと思うようになって、活動を終わりにしました。
料理ではおいしいと言ってもらえて結果を見いだせたので、そこから料理の道に転向しました。
勤めていた頃に金銭的評価を受けられる権利をもらったことがあって。
その会社は店長と会社で予算を決めて、予算をクリアして超えた分の一部がインセンティブになって、そこで初めて大金を手にするわけです。
自分の能力が社会からお金を生み出して、自分に返ってくるんだと感じ、より経営的な考え方になりました。
初めて食べたパエリアにがっかり…しかし6年後…!
今考えると僕の料理は最初からスペイン料理に近く、スペインと言えばパエリアだと思って、昔からずっと気になっていました。
上京した頃に付き合っていた彼女と、デートで初めてパエリアを食べたんです。
それが予想以上においしくなくて、「パエリアってこんなもん?」とがっかりしました。
それから6年くらい忘れていたんですが、数字も出せるようになった頃に、料理は一通りできるけれどレストランに勤めたことは無かったから、レストランにチャレンジしようと思って。
給料も上がった仕事を全部断って、修業に行きました。
ちょっと前まで店長だったのに、「なんでもやります!」と言って、朝9時から終電まで洗い物をして。
そこでたまたま良い師匠に出会って、本格スペイン料理のレシピやスピリッツを教わって、悪いところは一から直されて、独立するんですよね。
経営には自信があり、修業の経験も積んだけれど、その時お金が無くて。
ある社長さんと出会って、紆余曲折の末、業務提携というスタイルでの独立開業となったのが今の店の前身。
今サービスマネージャーをしている高久も、アルバイトでその店に入店しました。
スペイン料理ブームの走りにちょうど乗れて、パエリアをお店で出していたんですけど、パエリアって美味しくなくてもお客さんが来てくれるんです。
今思うと当時はパエリアに甘えていました。
最大のピンチを脱するべく試合に挑戦
世の中そんなに甘くなくて、チャンスをいただいた社長さんと別れ、今のお店を作ったものの、人気のわりに上手にお金が残らなくて、
それでも何とかなっていたのですが、会社のお金の底が見えてきてしまって。
社員の前で「もうお金が底をつく。」と伝えなきゃいけない時は、しんどかったです。
どうしようかと考えたときに、パエリアの試合があるから出ようと、試合に取り組むようになるんです。
ただ、パエリアに甘えているような男が作るパエリアは、なかなか試合では勝てません。
僕はチームリーダーでエースだったんですけど、3回目のチャレンジの時に「あんたがリーダーじゃ勝てない」って高久が指摘して、僕が最終決定権から離脱するんです。
高久が監督になって、気持ちとしては嫌なのも半分、リーダーだからこそ迷ってしまうこと、アーティストになれない部分もあったので、ちょっと楽になりましたね。
感謝しています。
奇跡のレシピが生まれた最終練習
昨年は試合が2日続いていて、1日目は数を売るコンペで、2日目が技術を競う試合でした。
1日目、頑張って優勝して、一人で1000食炊いて、もうヘロヘロです。
その状態で、うちの監督は次の日の技術戦のために夜の11時から2時までもう1回練習すると。
その前の最終練習の時に良いパエリアじゃなくて、練習するなら前日の試合後しかなくて。
でもその練習の時に、奇跡のレシピに変わったんですよ。
そのレシピをもとに本番に挑んで、世界大会の切符を手にして、連日表彰台に登りました。
日本代表として初めて世界に行くんですが、1回目は負けて帰ってきたんです。
その時は、パエリアを自分のものにしようとしていたんですよ。
パエリアで自分たちの何かを表現しようとすると、パエリアにストレスがかかるので、失敗しました。
1回目の負けは当然だと受け止め、次の方向性が決まりました。
探求を重ねてようやくたどり着いた世界大会優勝
練習を重ね探求していった結果、パエリアは自分の鏡であり、愛の卵のような物と気づきました。
人がパエリアをどうにかしようとして、できるものじゃないんです。
赤ちゃんが歩いていて前に障害物があったら、親はどかしてあげるでしょ。
それと同じでパエリアが「こうなりたい」と言っていて、それを感じ取って火を弱めたりしてあげるんです。
それまでは自分の生活も地位も全部パエリアに甘えて生きていましたが、今年の試合の直前でやっとパエリアと同等に、いい友達になれた気がしました。
世界大会で優勝した時は、「やったー!」という気持ちではなく、応援してくれた人たちの顔が浮かんで、「ああよかった」と感じました。
僕らが勝ったのは運じゃない。それだけやってきたから、当然でした。
目標を達成するためには、人に言うこと
目標を達成するには、人に言うこと、テレビを捨てること、あきらめないこと。
「今これ頑張っているんだ」と人に話すと、そこに約束が生まれます。
自分が後ろ向きになった時に「言っちゃったし、やらないとな」と思うので、逃げそうなときの防御法として良いと思いますね。
そして、真っ先にテレビを捨てる。
あとはやってみる、買ってみる、食べてみる。経験がすべてです。
これから夢に向かう人は、周りはみんな味方だから、勝手に敵だと思わないこと!
「こう思われるかもしれない」「こうだろうな」という思い込みで躊躇せず、人になんと思われても、そんなのはどうでも良いと思うこと。
パエリアの伝統を日本に広めて恩返しをしたい
今後はパエリアに恩返しをしていきます。
パエリアは1000年以上もの間、父から子へ受け継がれてきています。
毎週日曜日になるとお父さんがパエリアを作って、自分の家の味を覚えていく。
父から子、孫への縦のつながりと、ご近所さんとの横のつながり、縦と横をつなぐアイテムなんです。
そういう伝統をスペインの人に教わったので、これから凱旋ツアーや児童養護施設でのパエリア提供を通じて、日本に広めていきます。
取材を終えて
昼と夜の営業時間の合間、準備中にお話を伺いました。
お店の中にはすでに、いい香りが充満していました。
子どもの頃からお母様と一緒に買い物、料理をしていたのが英才教育のようになって、自然と料理のセンスが身についていたという川口シェフ。
お母様がお料理上手だったそうで、お母様の入院中は家族全員分の食事を川口シェフが作っていたそうです。
お話を伺っていて、パエリアとの向き合い方に驚きました。
作っているというよりも、成長を手助けするような印象を受けました。
スペインの伝統を受け継いだ今後の活動も楽しみです。
お話を聞いて、ますます川口シェフのパエリアを食べてみたくなったので、今度ぜひお店に伺いたいと思います!
プロフィール
川口 勇樹(かわぐち・ゆうき)
anocado restaurante+ Owner&Chef
◆スペイン料理とワイン anocado restaurant+ http://www.anocado.com
〒166-0015 東京都杉並区成田東1-50-7-102
TEL 03-6383-2183
◆パエリア専用ケータリング PARTY PAELLA http://www.party-paella.com
【受賞歴】
2014年 東京パエリアコンクール 準優勝
2016年 ご当地パエリア選手権 優勝
国際パエリアコンクール日本大会 第3位
スペイン政府観光局主催タパスコンクール 第3位
第56回国際パエリアコンクール 日本代表出場
2017年 国際パエリアコンクール日本大会 優勝
第57回国際パエリアコンクール 国際部門優勝