初優勝と大学での挫折
プロ転身、自分を鍛えるため商社マンへ
引退後、目指す道
本日登場するスゴい人は、ボクシングをしながら商社マンとして会社で働くという二足のわらじを履いた木村悠さん。
数々の挫折を経て日本チャンピオン、世界チャンピオンに輝いた彼の人生、モチベーションはどのようなものだったのだろうか?
そして彼の引退後の活動、目指すところについても取材した。
さあ…
プロボクシング前WBC世界チャンピオン
株式会社 FiNC ヘルスケアソリューション兼アスリートサポート室長
木村 悠様の登場です!
ボクシングのきっかけと高校時代
きっかけは2つあります。1つ目は中学生の時に見たドキュメント番組。同世代の少年がボクシングのチャンピオンを目指す姿に心打たれたこと。
2つ目は荒れている中学校でサッカー部のキャプテンになったものの不良を束ねることは難しく、ある日彼らと喧嘩をしてボコボコにされたこと。
強くなりたいという気持ちで、ボクシングを始めることを決めました。
まずは近所の徒歩圏内のスポーツジムでダイエットする主婦の方々に交じってボクササイズを始めました。
そこに偶然、ドキュメント番組に出ていたボクサーがいたのです。
マンツーマンでのレッスンや、ビデオ鑑賞での研究などお世話になりましたね。
特にミット打ちでコミュニケーションを深め、自分のボクシングを確立していきました。
彼に習志野高校を勧められ、入学してからは高校のボクシング部へ。
朝練に参加するため、始発に乗り通うことも多々ありました。
高校での初試合は入部して半年後、千葉県でのオープン戦でした。
本番となるとなかなか力を発揮できなかったです。
しかし試合にたくさん出るにつれて慣れていきました。
アジャストするためには無意識での動き方が必要ですね。試合中考えていると敵に攻められるので。
最初はゆっくり見ながら動く、次に考えながら速く動く、最後に考えず速く動くというように練習から想定して、無の状態でも動けるように反復して体に覚えさせました。
初優勝と大学での挫折
高校での思い出の試合は初めて出場した関東大会で優勝したことです。
当時は目の前にあることを必死にやっていました。
高校卒業後は全日本チャンピオンになりたい思いで大学進学の道を選び、法政大学に入学しました。
少年枠と異なり、社会人と戦う大学でのボクシングは初相手が国体チャンピオン。
しかし2ラウンド目で肩が外れた相手が棄権しました。
ボクシングはたった1試合で人生が変わりますよ。
1年生の冬に県大会、関東大会を経て全日本選手権で優勝しました。
想いは叶うと実感しましたね。
全国大会では4日ほど連続で試合があり、期間中毎日計量があるため、試合後すぐに翌日の計量に備えて減量していました。
1年生での優勝以来、2~4年生ではチャンピオンになれなかったです。
敗因は、挑戦よりも守りに入った気持ちの面が大きかったと思います。
そしてアジア選手権に出る資格をかけた予選で負けて日本代表になれず、オリンピック出場の夢は叶わなかったです。
全日本の補欠として1ヶ月合宿に参加した際に、負けた相手の練習パートナーをしたときは落ち込みましたね。
好きなボクシングで生きていく
それでもボクシングが好きなのでやめるという決断はしませんでした。
大学卒業に近づき、周りが就職活動に専念する中でプロに憧れ、卒業後B級テストを受けました。
強い選手が多く、大学生の頃練習していた帝拳を選びました。
帝拳に入って3、4ヵ月ごとにジムのマッチメイクをして、最初は外国人の選手と戦いました。
外国人の選手とは聞く音楽、食べるものも違うので試合でもリズムの違いを感じましたね。
相手のペースに合わせるのではなくこちらに引き込み、自分目線での攻撃、試合を意識しました。
プロボクサーになってからは並行してスポーツジムインストラクターの仕事をしていました。
プロ転身、自分を鍛えるため商社マンへ
プロ6戦目で初めて負けてどう自分を変えるか迷っていた時に、社会人になった大学時代の友人たちに会い、社会にもまれて成長し変わった姿を見て自分とのギャップを感じました。
ボクシングは精神性の強い競技で、性格、人間性そのものが出る競技なので社会に出て自分を鍛えようと決意しました。
商社に就職し、ルート営業でお客様との関係性を深めることで精神は鍛え上げられました。
納期に向けてどう動くか逆算する力は、試合スケジュールや体の管理に活かせましたね。
ボクサーと商社マン、二足のわらじを履いてからは出勤前に走り、会社に行き、退勤後はジムに通うという規則正しい生活リズムを作りました。
この頃は様々なことを吸収するために経営者交流会や勉強会にもよく参加していましたね。
破門寸前、両立の苦悩
しかし、ボクシングでは2年間試合に出られず、破門寸前の苦悩もありました。
人のせいにするのではなく自分に集中し、トレーナーと試行錯誤しながら自分のやるべきことをやってきたある日、周りに評価され、試合が決まりました。
ちなみに帝拳ジムでの試合の通知はボードにネームが貼られる形です。ある日ボードを見たら名前があって。みんな会長やマネージャーには直接聞けないですね。
2年ぶりの後楽園のリング、緊張でガチガチでした。
2ラウンドではパンチでダウンしましたが、自分のベストを尽くして逆転勝ちしました。
その先は順調とは言えませんでしたが徐々に自分のスタイルを確立しました。
そこから3、4年ほどして日本チャンピオンになりました。
本当にほっとしましたね。
そこで周りの応援やサポートに恩返しがしたくて、それがチャンピオンになった報告でした。
自分のためだけじゃない試合を考えて、ようやくプロになれましたね。
最初で最後の世界への挑戦
次は世界戦、リサーチすると日本チャンピオンから2年後に世界チャンピオンになるケースが多いとのこと。
この時32歳だったので勢いのあるうちに最初で最後の挑戦をしました。
ランキングを上げるために防衛戦3回、日本タイトル返上の後、世界戦へ。
世界戦を目の前にした心境はようやくきた、でしたね。
相手は勝てないと言われていた選手だったので、見返してやろうという気持ちでした。
リングでは相手に強いオーラを感じて前半は相手のペースで進み、意識が飛んでKO負けになる寸前までいきました。
そこでチャレンジャーの気持ちに切り替わり、9ラウンド以降で逆転勝利しました。
チャンピオンベルトを巻いた瞬間、背中を押してくれた人はもちろん、二足のわらじを批判する人にもそれがモチベーションに繋がったので感謝しましたね。
次の防衛戦で負けてしまって、ボクシングはやりきったと感じ、引退しました。
引退後、目指す道
今年からは多くのアスリートにきっかけを届けたい気持ちで株式会社FiNCへ入社しました。
入社前からFiNCで配信しているアプリのアドバイスをしていて、引退後にアスリートサポートの仕事で声をかけられたことがきっかけです。
今後はアスリートの活躍のサポートやファンとコミュニティー作りができる会社のイベントをメディアで広げたいですね。
一般の方とアスリートを結び付けたユーザーとのイベントの実施、試合を応援してユーザーがアスリートの発信から元気をもらえる活動を行なっていきたいです。
取材を終えて・・・
木村選手と初めてお会いしたのは、2011年のスゴい人のイベントだった。
その当時は色々な会に出席され、見識を広げていた時期だったという。
プロ6戦目で負けてしまい迷っている時期に、同級生と会って社会人になろうと決意されたのは何故だろうかと考えてしまう。
一般的なアスリートは今の延長線上(更にボクシングに没頭する)に磨きをかけてゆく筈なのに。
恐らくボクシングに対する向き合い方が、技術もさることながら心を重視されていたからだろう。
同級生の意識が社会に出て大きく変化された姿に感化され、同じマインドを手にする先に更なる強さを見つけたからだろうと勝手に解釈してみた。
社会人生活をしながら世界のベルトを手にされた木村選手は、今後のアスリート業界に対して何か新しいスタイルを提供してくれるだろう。
プロフィール
木村 悠(きむら ゆう)
元日本のプロボクサー。帝拳ボクシングジムに所属し、第37代日本ライトフライ級王者、第35代WBC世界ライトフライ級王者となる。初黒星がきっかけでボクサーと商社マン二足のわらじを履いて活動。初防衛戦の後、引退し商社勤務一本に。商社を退社後、現在は株式会社FiNCにてヘルスケアソリューション、アスリートサポート室長として支援、アプリ開発を中心に行う。
◆株式会社FiNC HP
http://finc.com/