崇神天皇の時代(紀元前90年)に瑞垣の修造が行われたと記録が残る京都の神社。
正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」という名前だが、
京都の鴨川の下流にお社がまつられている事から、
「下鴨(しもがも)さん」や「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」と呼ばれ親しまれている。
下鴨神社は世界遺産となり、東西の両本殿は国宝にも指定されている。
21年毎に建て替えをする遷宮(第34回)を今年2015年4月27日に行なわれた。
弥生時代から続く神社を守る宮司はどのような生活をし、何を想い、何を願っているのだろうか。
さあ…
下鴨神社
宮司
新木直人様の登場です!
「守る」
戦中に生まれ、生きることで精一杯の時代でした。
1000年以上続く歴史を持つ神社の家系に生まれ、受け継ぐために幼い頃からそのような教育を受けてきました。
戦争の影響で修行を始めたのは早く、7歳からでした。
毎朝4時起床、行事があるときは2時起床。
子供の頃は起きるのが辛かったですが、小学校2年生になると当然のように目が覚めました。
明治維新を機に神社の一員であった大工さん、下駄屋さん、料理屋さんは神社が養うことができなくなり、街へ出て行きました。
天と地がひっくり返る程の変化だったそうです。
1000年続く神主の修行は、お供え物の料理の仕方を学ぶことから始まります。
田植えをしたり大根を育てたり、その材料がどのように作られているかも体験して学ぶのです。
更に、料理を作る上で必要となる道具についても学びます。
祭り事の雅楽も奏でられなければなりません。
馬にも乗らなければなりません。
これらは生活の一部となっており、苦労だと思ったことはありません。
今では情報が沢山あり、自由に社会勉強をできますが、我々の時代は学校の教育が全てで、その教えは国を守ること、ただ一つでした。
守ることを意識したわけでなく、生活の一部になっているから、守れていました。
守るものを育てて行くのが神主の仕事であり、人々の願いを拝み伝える役割は当然の事だと考えています。
下鴨神社は年間に170以上のお祭りをしています。
私が担当するお祭りは、平安時代中期に編纂された法令集“延喜式”に載っている26の祭り。
実はこの祭りの理念は戦前の憲法の基準になっていたのです。
新憲法においても、ものの考え方の基準は受け継がれています。
江戸時代、幕府も朝廷も神社にも余裕がなく、50年間遷宮が出来ない時期がありました。
今回の遷宮は50年ぶりに斎行された遷宮を参考にしました。
それは、今生きていることに感謝し、皆で取り組みましょうと声をかけ、色々な人の力を借りておこないました。
20年前から全国に1300社ある賀茂神社巡りをしています。やっと250社程まわる事ができました。
1000年以上本社からお参りしていない分社もあります。
でも、私が参拝することでお互いの交流が始まります。
今の時代、人と人が顔を合わせる事が本当に必要です。
人との絆は生きていく基本です。
自分の事で精一杯だと、生きていくのが苦しくなります。
人は人と共に生きていくので、気配りをできる心の余裕を持てるように、是非神社に足を運び、心の安らぎを自ら見つめる時間を作って下さい。