元不良、年収ゼロ、資産売却から40拠点の広告網を構築。人生を何度でも立て直すスゴい人!▶山中直彦様 DAY1

人気YouTube番組「令和の虎」の「虎」(投資家)としても活躍する山中直彦さん。問題児を自覚していた子ども時代、バイト三昧だった高校・大学時代を経て、安定したサラリーマンの道へ。しかし安定には満足できず、起業・独立。その直後に想定外の試練が待っていた――。現在、複数の会社の代表として事業を多角的に展開する同氏が語る、その波乱万丈の人生とは。

失敗は成功への入口

 

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皆と同じが耐えられない。異端の原点

子どもの頃の自分を振り返ると、正直、よくここまで真っ当に生き残れたなと思います。

一言で言うと異端児でした。それも非常にたちが悪かった(笑)。

親からすると、よくサジを投げずに育ててくれたなと思います。例えば、周りの子どもが右に行こうとすると、僕は左に行きたがる。

他の子がやっていないことばかりをやろうとする子どもでした。

学校の先生や親は「人様のためになることをしなさい」とか「良いことをしなさい」とか言うじゃないですか。

言われれば言われるほど、あえてその真逆のことをして、周りの人々を驚かせるようなことばかりしていました。

誰かの影響ではなく、本能的に。でも当時の自分には、はっきりした理由があったわけじゃないんです。

ただ、他人と同じであることが、どうしても耐えられなかった。

皆が同じ方向を向いて、同じ行動を取っている光景を見ると、胸の奥がザワザワしてくる。「なんで皆、同じなんだろう。

違うことをしたら、何が起きるんだろう」。その好奇心だけで、動いていました。

驚かせることから「企画する」へ

子どもの頃の僕にとって、最大の快感は「人を驚かせること」でした。

誰かが予想していない行動を取る。その瞬間、周りの空気が一変する。大人が慌てたり、先生が声を荒げたり、友達がどよめいたりする。

その反応を見ると、「ああ、生きてるな」と感じたんです。今思えば、完全に問題児です。でも当時は、ただただ面白かった。

ただ、小学3~4年生くらいになると、当然、叱られる回数も増えてきます。

先生から呼び出される。親が学校に呼ばれる。

周囲の大人たちが、「どう育てたらいいんだ」と頭を抱えているのが分かる。その中で、あるとき、ふと冷めた瞬間がありました。

「これ、何も残らないな」。驚かせても、怒られて終わり。騒ぎを起こしても、何かが積み上がるわけじゃない。

そのとき初めて、「じゃあ、別のやり方で面白いことをやってみよう」と考えたんです。そこで考えたのが、友達を集めて遊びを“企画する”ことでした。

小学生にして仕切り屋。ビジネスの芽生え

「おまえら、家からお金持ってきな」って。親父の財布からこっそり一万円札を持ち寄らせる。これも良くないことですが(笑)。

僕ももちろん一万円持っていきます。そうして集めたお金を持って、「どこに行くか、何を食べるか、いくら使うか」を僕が決める。

日曜日の朝、皆で自転車で繁華街に出かけて、ゲームセンターに行って遊んだり、好きなものを食べたり飲んだりして、小学生にしては豪遊していたんです。

それで余ったお金はビニール袋に入れて、空き地に埋めておく。

今考えると、とんでもない話ですが、小学生にとって一万円札は大金です。それを数人分集めれば、かなり自由に遊べる。

もちろん、最終的には親にバレて大問題になるんですが、当時の仲間と今でも酒を飲んだりご飯食べたりしますけど、皆「おまえ、よくあんなことを思いついたな。おまえがいろいろやってくれた遊びは衝撃的で楽しかった」と言ってくれる。

お金を集めてなんか面白いことやって、皆が楽しんでくれた。よく考えてみると、今、仕事でやっていることと同じだなと思うんです。

皆からお金を集めて、面白いことをやって、楽しませて、還元している。

出資してもらう方法論が違うだけで、スキームとしてはもう小学校の時から。僕が今やっているビジネスの根っこは、この小学生時代にすでに出来上がっていたのかもしれません。

群れない不良。自分が中心でないと意味がない

「遊んでばかりだった」高校時代。バンドを組み、ドラムを叩いていた

中学、高校に入ると、いわゆる不良の時期に入ります。

ただ、ここでも僕は“典型的な不良”ではありませんでした。

暴走族に入るとか、大きな組織に属するとか、そういうのは性に合わなかった。群れるのが嫌だったんです。

誰かの下につくのも嫌。誰かのルールに従うのも嫌。「自分が中心でないなら意味がない」。

高校時代から、アルバイトは飲食関係中心に片っ端からやりました。飲食店、喫茶店、居酒屋。そのうち、だんだん割のいい仕事に行くわけですよ。

スナックやバーだとか、そういったところで働くと、時給もいいし、働いている女の子とも仲良くなれる。

とにかく人が集まる場所、人の感情が動く場所に惹かれていました。学校の部活動は一切せず、いわゆる“課外授業”ばっかり。

でも、いろんなことを学べて楽しかったし、いい思い出になりました。家庭環境も、かなり自由でした。

中学生の頃から母子家庭で、母は相当苦労したと思うんですけど。

でも、その自由さがあったからこそ、僕は「自分の人生は自分で決める」という感覚を、早い段階で持てたのかもしれません。

誰かが敷いたレールを歩くより、自分で道を作るほうが自然だった。

憧れた「普通の人生」と忍び寄る違和感

大学卒業後は不動産会社に入社しました。

その会社の社長と親が知り合いだったので、ある意味コネですよね。

就職してサラリーマンになったのは、これまでの生き方の反動だったと思います。

それまで、あまりにも自由に生きすぎた。

だからこそ、「ちゃんとした人生」を一度やってみたかった。毎日会社に行く。

決まった給料をもらう。将来が見える。

そういう“普通”に、実は強い憧れがありました。入社したその年の暮れ、23歳で結婚もしました。

「これからは、真面目に生きよう」。本気でそう思っていました。最初のうちは、それなりに満足していました。

でも、時間が経つにつれて、違和感が膨らんでいきます。仕事は営業企画だったんですが、全然難しくない。

むしろ、早く仕事が終わってしまう。会社は年功序列で、上は詰まっている。

5年後、10年後、20年後の自分の姿が、驚くほどリアルに想像できてしまったんです。

「このままで本当にいいのか」。

子どもの頃からずっと抱えてきた、“人と同じであることへの違和感”が、再び、はっきりと顔を出していました。

妻のひと言が火をつけた。起業という選択

最初の結婚はうまくいかず11年で離婚。

3年ほど独身生活をし、現在の妻と出会ったのは37歳でした。

これが人生を大きく変えました。結婚当時、妻は21歳。

知り合って数か月で結婚、お腹には赤ちゃんがいました。

妻がそのときに僕に対して言った一言が、「あなた、この歳までなんでサラリーマンなんかやっているの? もったいないよ」。

この会社にいれば、そこそこ給料をもらって、ずっといればいつか役員になるだろうと思っていましたが、妻のその一言で「ちょっと待てよ」って。

起業するっていうことが頭の隅にポンと出てきたんです。

いつか辞めようと。しかし、結婚してすぐに長男が生まれて、2人目が生まれたのが40歳の時。

子どもを2人抱えて、いろいろ仕事のしがらみもあって。でも、ただ手をこまねいていたのではありません。

会社にいても暇だし、家族を養わないといけない。

今の給料では全然足りないと思って、休みの日に知り合いの地元の不動産会社の社長に頼んで、副業みたいなことをやり始めたんですよ。

で、売れたり売れなかったり試行錯誤しながら、でもそれでも諦めずにやっていたら、結構うまく回り始めたんですね。

そこで39歳の時に会社をいくつか作ったんです。

副業発覚、会社を辞め、震災に直撃される

副業でも才覚を発揮。羽振りよく過ごしたサラリーマン時代

この会社の存在は、周囲にはしばらくバレなかったんですけど、結構お金稼いでいていい気になっていたんですね。

次第に「あいつ、なんかおかしいな」って気づくわけですよ。やけに羽振りが良さそうだと。

高級時計をつけて、遊びまわって、ゴルフをやって。

結果的にバレて会社を辞めざるを得なくなったのが、忘れもしない2011年の45歳の時。

2月半ばに「けじめつけて辞めます」と申し出て、会社も「分かった」と。

3月末での退職が決まったんですけども、311日に東日本大震災が発生したんです。

会社を辞め、これからは副業を本業にという算段だったわけですが、そこからの3年弱は仕事がまったくありませんでした。

僕がやっていた副業は広告と不動産。もともとやっていた仕事の延長みたいなものでした。

広告は一斉に自粛。企業は宣伝を止めた。イベントもなくなった。不動産も完全に停滞しました。

誰も動こうとしない。買う人もいない。借りる人もいない。つまり、僕の仕事は、全部止まりました。

収入はゼロです。それまで、副業も含めてかなり稼いでいましたから、生活水準も上がっていました。

ところが、お金というのは、入ってこなくなると、本当にあっという間に減っていきます。

最初に売ったのは、車でした。次に、時計。その次に、不動産。持っている資産を、次々と手放していきました。

でも、それでも足りない。仕事は来ない。収入はゼロ。家族はいる。住宅ローンもある。精神的には、かなり追い込まれていました。

取材/アレス(副編集長) ライター・撮影/長澤千晴 動画編集/㈱グランツ

 

山中直彦氏 プロフィール

1966年東京都生まれ。

株式会社トラストワイズプロダクション/株式会社モバスタ代表取締役。https://trust-ysp.co.jp/

不動産会社に22年間勤務後、45歳で独立。

現在は大型ビジョンやデジタルサイネージ事業を中心に、広告・不動産・新規事業プロデュースを展開している。

著書に『牛の尻尾で終わるヒト 鶏の頭で羽ばたくヒト』(ギャラクシーブックス社)がある。

趣味は極真空手(黒帯)

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