
子どもから大人まで人気がある『星のカービィ』。世界中にファンがいるカービィを担当している声優・大本眞基子さんは中学生という早い段階から声優になることを志しました。3万人に1人しかいないと言われる、人に安らぎと癒しの効果を与える【1/fの揺らぎ】の声の持ち主でもあります。これまでアニメやゲームで重要な役を演じ、多くの人を魅了してきた大本さんですが、今日に至るまで「声が持つ力」について考え抜き、努力し続け、苦悩してきた日々について伺いました。
元気は思い出すもの
本日の見どころ
▶「声が持つ力」に目覚めた小5の原体験
▶中学生で決意した“声優になる”という進路
▶厳しい下積み時代と“声で生きる覚悟”
DAY2
小5で気づいた「声の力」

――大本さんは観光地として有名な岡山県倉敷市で生まれ育ったそうですね。小さい頃はどんな子どもでしたか?
大本眞基子氏(以下、大本氏):私は4歳くらいまでぼーっとしてほとんど喋らなかったみたいです。感じていることを伝えようとしても、言葉にすると何か違っていて、「全部が伝わらないなら、嘘になるから黙っていよう」と思っていたことは覚えています。
反対に2歳離れた妹は大人にも理解できる言葉で伝えるのが上手で、意思表示も明確でよく褒められていました。私は自分の意図をうまく言葉で説明できなかったので、誤解されてよく怒られていたのですが、まあいいやとマイペースにやっていました。
ある日、些細な事で妹と喧嘩になった場面で、母が帰ってきました。その時ばかりは私は悪くなかったのですが、「部屋で反省しなさい!」と完全に誤解している母に言葉で伝えられず、初めてこの先の人生について考えました。(どうしよう? このまま大人になったら私は不幸になる。私は言葉でうまく自分を表現できない。この先こんな事は沢山やってくる。自由自在に言語変換できる人は認められていくけど、私には無理……)と部屋で長いことぼーっとしていると、ふいに「あ」「大丈夫だ」と直感が来たんです。たとえその場の誰にもわかってもらえなくても、この空間は聞いている。世界は知っている。宇宙は見てる。真実は消えないんだから。――そう感じて、私は器用に生きられないけど、その度にぶつかりながら向き合って進もう。一度乗り越えた課題は二度とやってこないから、むしろ近道。言葉で伝えるのが苦手なら、私は心で伝える表現者になろうと思いました。【小5の悟り】と呼んでます(笑)。
またある時は、イライラしている大人に、イライラに気づかないふりをして「そのスカートすごい綺麗だね!」と心から思ったことを言うと、「ほんと?」と、トゲトゲしていた空気が一変したことがありました。ポジティブな気持ちを載せた声には人の意識を一瞬で変えるんです。ここで、「まわりは不機嫌でも私はご機嫌」という座右の銘ができました(笑)。
私は物心ついた頃から絵を描くのが好きだったのですが、例えば何世紀も前の絵画でも筆のタッチから当時の画家の想いが伝わってくるように、声のトーンやニュアンスからは、嘘のない感情が伝わる。言葉だけでは不十分でも、思いを載せた声や絵には、繊細な部分までダイレクトに伝える力があると感じていました。そして将来は、そんな世界で生きて行こうと思っていました。

自身がプロデュースしている岡山のブライダル施設「シャトー・ドゥ・フェリシオン」
――やはり子どもの頃からアニメや漫画がお好きだったのでしょうか?
大本氏:実家がブライダル業を営んでいたので、子どもの頃は父の営業に同行する車の中で、子守代わりに『まんが日本昔ばなし』のテープをよく聴かされていました。両親は仕事が忙しく留守が多かったのですが、父が買ってくる子ども向けアニメ作品をずっと観ていたので寂しくありませんでした。特に『ヘレン・ケラー物語 愛と光の天使』や『杜子春』『白い牙 ホワイトファング物語』(以下『白い牙』)などは大好きで、台詞を覚えるほど観ました。(後にアニメ『星のカービィ』の吉川惣司監督が『白い牙』を作っていたと知り、お互い驚きました。)
そのうち、アニメの中で同じ人が違う作品のキャラクターを演じていることに気付き、『声のお仕事』というものがあるんだ……「これだ!」と思ったんです。
声なら、姿や年齢、性別にも縛られず、男の子にも女の子にも、妖精や神様にもなれる。自分の感性の最大限、精神の振り幅の限界に挑戦できる職業だと。そして子どもの頃の私が作品と楽しく対話したように、押し付けずに想いを伝えることができる。中学生の時には、まずは「声優」になろうと決めていました。
昔は劇団の俳優さんが副業で声の仕事をしていて、そこから「声優」という仕事が生まれ、第一次、第二次と声優ブームが起きました。私が目指した頃でも、「声優」という職業は今ほど一般化しておらず情報もなかったので、とりあえず必要になるであろう「発声」や「滑舌」の練習を独学で始めました。『外郎売り』(俳優や声優の滑舌練習で使われる一節)などは、毎日練習していましたね。
両親が大反対した「東京行き」

中学1年の頃
――インターネットが無く、好きを仕事にするには情熱が必要だった時代ですね。
大本氏:そうですね。「声優」というお仕事は今ほど認知されてなかったので、まだ中学生の私は独学で発声練習しつつ情報収集していました。イラストが得意だったので文芸クラブの表紙を描いたり、文化祭では毎年頼まれてクラスの旗の絵を描いていました。
高校は「放送文化部」が有名な、就実高等学校一択でした。毎年、総合文化祭・放送部門1~3位を総ナメし、ここ出身のNHKのアナウンサーが時々指導に来るほど力を入れた本格的な部活動でした。基礎トレーニングの腹筋・背筋、立ち姿勢、腹式呼吸はもちろん、『外郎売』『朗読』『ニュース原稿』も徹底的に練習しました。校内放送は分担で担当し、原稿も自分たちで制作。顧問の先生にOKをもらってから自分達でキュー出ししてオンエアしていました。発声する1時間前からは冷たい飲み物は厳禁! 学食で先輩に見つかると厳重注意されました。腹式を習得してお腹の支えが出来てくると大会にも出場していました。滑舌の基礎は、この放送文化部で作ってもらったかもしれません。
声を仕事にするなら、岡山でできることは限られています。「声優になるので東京に行く」と両親に告げると、「東京に行くなら勘当だ!」と言われました。そこで、まずは大学進学を口実に実家を出ようと考えました(笑)。「絵を描くのが好きだから美大に行く!」と美術大学に進学することを理由に、東京方面の美大を受けて脱出を試みました。
美術研究所(美術系の大学や専門学校への進学を目指す人向けの美術予備校)に急遽、高3から通い始め、京都の嵯峨美術短期大学になんとか合格しました。大学時代は白衣を着て油絵を描き、一晩中友人とお題を出し合ってイラストを描いて朝焼けの桂川を散歩したり、静かな環境の中で大好きな絵を描いて過ごしました。
一方で、演技の勉強をしつつ作品を録音して、東京行きの準備を整えていました。
青二プロダクションに入所! 声優として歩み始める
――美大を卒業した後に大手の声優事務所、青二プロダクション(以下、青二)の養成所である青二塾に行かれたんですよね?
大本氏:はい。子どもの頃に観ていた作品の声優さんたちが青二所属だったことも大きな動機です。高校の同級生から青二の存在を知り、青二塾のオーディションを受けました。オーディション日と嵯峨美の卒業式が同じ日だったので卒業式には出られませんでしたが、東京に行くことに反対していた父が最終的には「やりたいことをやってこい」と、東京のオーディションに付き添ってくれました。
青二塾では舞台の立ち振る舞い、アフレコ(完成した映像に後から声を当てて録音すること)、日舞、洋舞など、俳優としての基礎を徹底的に学び、朝から晩まで稽古の日々でした。青二塾卒業時に、青二プロダクションに入るためのオーディションがあり、約130人中30人くらいが合格だったかな? 実際に事務所に入ると、芝居だけではなく、良い人間関係を築くことや自己PR力が求められ、現実とのギャップに半年くらいの間に辞めていく人もいました。尊敬していた塾の先生に、仕事を続けていくには「運4、コネ4、実力2」と言われ、その割合にショックを受けたことを今でも覚えています(笑)。
ジュニア時代は、自分の声を吹き込んだデモテープを持ってマネージャーの方達に、個人営業主として売り込みをします。SNSもない時代なので、大勢のジュニアの中、なんとか目に止めてもらわなければなりません。毎日がオーディションのような日々でした。ジュニア期間としては基本2年で、成果が出なければ退所となります。
厳しいようですが、若い時の時間を無駄にしないための愛だとも思います。私は「もう1年、様子を見てみよう」と言われ3年目をいただけた幸運な保留組でした。今思えば確かに、この期間に教わったことや、ご縁、現場での体験がとても大切な基礎になり、青二にはとても感謝しています。
「運は動いて作っていくもの、コネは信頼関係からできてくるもの、実力は持ち合わせていて当たり前のもの」と、今は解釈しています。

ジュニア時代の頃
――ジュニア時代はどのような作品に出演されていたのですか?
大本氏:初仕事は、映画『ストリートファイターII MOVIE』でした。初期は洋画や、アニメのガヤ(その他大勢の役)が中心です。『X-ファイル』ではUFOに攫われる女の子や小さい役を毎回いただき、先輩の芝居を現場で聞いて勉強する日々でした。初めて主役を務めたのはCDドラマ『不思議のたたりちゃん』(犬木加奈子のバーチャルホラーワールド)の神野多々里役。そしてジュニア3年目に『キューティーハニーF』の秋夏子役が決まりました。
主役のハニーの親友役で、アニメで初めてのレギュラー作品でした。
悪役としての正義感と役への没入を学ぶ

インタビュー時の様子
――特に思い入れがあるキャラクターを教えてください。
大本氏:もう随分前になってしまいますが、今でも『爆走兄弟レッツ&ゴー!!MAX』のラスボスのネロですね。
超天才で悪役少年のネロを演じる時、大物感をどう出すか試行錯誤しました。ネロの芝居から『超速スピナー』の霧崎マイや、『ZOIDS』のフィーネ、アニメ初主演の『コレクター・ユイ』に繋がっていきました。
以降、ライバル的な『サイボーグクロちゃん』のマタタビや、『陰陽大戦記』のウツホなど、ラスボス役もさせていただきました。ウツホは人類を滅ぼそうと目論む役なのですが、神通力を持つが故に人間に1200年も封印され力を利用された悲劇の少年で、1200年の苦しみを意識の中で擬似体験した時、「”悪役”という役はないんだ」と思いました。真摯に真っ直ぐに生きた結果、そうならざるを得なかった存在なんだと。でも役に入り込みすぎてしまい、その役を演じている間はカフェでお茶していても、道行く人に「人間どもめ……!」と思ったり(笑)。終わってもしばらく抜けないんです。
役は台本と自分の中で何度も対話して作り上げる“親友”のような存在なので、役作りに苦労した役ほどお別れが辛いですね。そんなお役を通じて、「外に出す芝居」ではなく「内面に没入する芝居」を学ばせていただきました。意識の内側に潜れば潜るほど、逆に表現は前に出てくる。声の大きさではなく、役の想いの深さが伝わるんです。

『コレクター・ユイ』放送25周年記念展で大本さんが描き下ろしたイラスト
2日目へ続く
大本氏がプロデュースしているブライダル&レストラン施設【シャトー・ドゥ・フェリシオン】。季節アフタヌーンティー他、ヴィーガン・ハラルコースも提供。
倉敷アフタヌーンティー[ 開催期間 ] 2026年1月15日~4月15日
倉敷花「藤」で店内を彩るボタニカルカフェ
大本氏出演:『カービィのエアライダー』(アナウンスボイス)HP
紹介映像
【プロフィール】
大本眞基子: 声優・ナレーター
岡山県倉敷市出身。現在フリー。國學院大學大学院在学中。
小川のせせらぎや波の音など、自然界に存在する癒しの周波数【1/fの揺らぎ】を声に持つ。TBS「ウッチャンナンチャンのホントのトコロ」「情報エクスプレス」に癒しの声として取り上げられる。(音響研究所・鈴木松美氏測定)
2024年3月神職資格取得。朗読、イラスト・創作絵本、カフェプロデュース等、多方面に活動中。
【代表作】
『星のカービィ』カービィ役、『コレクター・ユイ』春日結役、『ゾイド -ZOIDS-』フィーネ役、『クレヨンしんちゃん』ミッチー役、『戦国無双シリーズ』稲姫役、『ダンガンロンパ』舞園さやか役、『ONE PIECE』マキノ役、『ファイアーエムブレム ヒーローズ』リン役 他多数





