
ドラマ『教師びんびん物語』で一躍脚光を浴び、80年代を代表する若手スターとなった俳優・野村宏伸さん。一見華やかな舞台で輝く野村さんの人生は、急な病や家族の苦難、そして人間関係による挫折など、数々の試練の連続でした。それでも「役者として生きる」と覚悟を決め、すべてをリセットして再出発を果たした彼。60歳を迎えた今だからこそ語れる、デビューから現在に至るまでの波乱万丈の人生と新しく始めた飲食店経営について伺いました。
行動は言葉より雄弁
本日の見どころ
人気の陰で直面した苦悩
角川事務所というのは映画専門の制作会社です。映画というのは1年に1本取るか取らないかというものですから、月給制です。月給15万円が2年目に30万円、3年目で45万円とどんどん上がっていって。映画の興行収入に比すると少ないですが、当時は20歳とかですから全然そんなことは考えていませんでした。仕事は本当に順調で様々な経験をさせていただいたんですがその角川事務所が解散するという事になって、知人の芸能事務所に移籍しました。それがきっかけでドラマへの出演機会があったんです。当時の僕は角川イズムが入っている、若いとはいえ映画人の気持ちでいましたから事務所の意向とはいえドラマ出演というのは最初は自分にはなじまない感覚がありましたね。それでも1980年代後半から90年代にかけて、一世風靡したドラマ『教師びんびん物語』シリーズで演じさせていただいたことはその後の役者人生に大きな影響がありました
今でも私の事をドラマの役名である「榎本(えのもと)先生」として声をかけてくれる人も少なくありません。田原俊彦さん演じる「徳川(とくがわ)先生」との絶妙なコンビは視聴者の心を掴み、「教師びんびん」は社会現象にもなりました。私自身の知名度も人気も大変話題になってありがたく思っています。しかし、当時の僕個人としては「榎本」という役は自分の性格とは全然違うものでしたので、演じている時も工夫が必要でした。田原さんは田原さん自身の個性がそのまま生き生きと輝いているような役柄でしたので余計に個人としては苦しいなと思うことも多かったですね。そうそう。事務所が変わって月給制から歩合制に変わったんですよ。ドラマ出演料以外にもCMなどの出演もあるのでいただく給料が全然違うので驚きましたよね。
信頼していた知人に多額の金を貸してしまい、大損害!
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歳で世田谷に2.5億円の一軒家を建てた時は皆さんに話題にしていただきました。妻と子供二人で住むには広すぎる家でしたけどね。やっぱりね、今から思うと金銭感覚が普通じゃなかったですよね。

当時話題となった豪邸
そんな中、友人に億単位のお金を貸してしまいました。彼とは何年も知り合いでね。しょっちゅう飲みに行っていた人でした。飲みに行った時もいつも彼がお金を払ってくれていたんですよ。出会ってすぐにお金を貸したなんていう話しじゃなくて、信頼している人だったんです。芸能界の人ではなくて、年齢は少し僕より上でね。お金に困っているような人じゃなかった。みなさんはそんな億単位のお金を貸すなんて愚かなやつだって思うかもしれないけれどね。それも一回でとかじゃなくて、最初はどうしても事業で3000万円すぐに必要だとかいう話でね。もちろんすぐに返すっていう条件だった。それ以外に、他にも困っているという人がいたらお金貸しちゃって。結果的に3人の人に1億円くらいを貸してしまった。特に借用書なんかも作らないでね。銀行行って秘書の方に3000万円おろしてもらって貸しました。
今の令和の時代では考えられないって僕だって思うけど(笑)、当時はね、そんな時代でしたよね。バブル期でみんなお金の感覚が今とは違いました。
豪邸を売却し、離婚。子ども達とも離れることに。
まだ2.5億円の家のローンも当時月に80万くらいあったんだけど、うまくいかない時って重なるもので仕事も少しずつ減ってきて。銀行に頼んで月の返済額を15万くらいに減額してもらいました。当時の奥さんには「なんで友達にたくさんお金貸して私たちがお金の不安がある生活をしなきゃいけないのかわからない」なんて言われてね。彼女には全然相談もしないでお金貸しちゃったから、もうおっしゃる通りなんですよ。彼女が正しい。合計で1億円貸したんだけど、1円も帰ってこなかったんです。なんだかんだあって、この豪邸はもう広すぎるし売ろうという話になって。結局当時の奥さんとも離婚という話になりました。でもその家を売却したお金で、残っていたローンも、事務所に借りていた1千万円の借金も返して。すべてがゼロになりました。
マイナスもないけどプラスもない。文字通りのオールリセット。
オールリセットからの新たな出発
娘と息子は奥さんの方へ行きましたので、完全に一人となりました。今思うと、なんだかんだとやはり2.5億の豪邸にかかるローンというのは過酷で僕自身を苦しめていたなと思います。もちろん寂しい思いもありますが、のしかかっていた重圧のようなものから解放された思いはありました。そこを機に事務所から独立して自分自身の会社を設立しました。東北大震災の翌年、2012年の事でした。原点に戻るという気持ちでスケジュールが許す限りすべてお受けするというスタイルで演じていました。小さな舞台を自分たちで創ったりもしてね。
そんな中でまた僕の人生に「俊ちゃん」が現れたんです。「教師びんびん」のこの二人を再会させようという企画が持ち上がった見たいですね。それまでは全然連絡とっていなかったので本当に久しぶりに、20年ぶりにお会いする機会となりました。ロケで使っていた学校で再会するという企画です。徳川と榎本の関係ではなくて、演技無しの田原俊彦と野村宏伸としての再会ですのでオモシロかったですね。それをたまたま見ていたTBSのドラマのプロデューサーさんが「教師びんびん」で育った世代の人でね、日曜劇場のドラマ企画で野村さんをと言ってくださったんです。それがが「とんび」というドラマでした。内野聖陽さんと佐藤健さんが主演で、僕は内野さんの幼馴染の僧侶の役でね。リアルに坊主になる役でしたけど、全然抵抗はなかったし今までとは違う、ああ、こういう役がやりたかったんだと心から思えた役でした。
役者としてようやく「榎本」ではない役をしっかり演じていける。という思いもありました。従来のイメージとは全然違う存在感でいられる役。むろん内野さんとのコンビで若干「榎本」要素はあったかなとも思いますが(笑)。しかし独立して初めていただいたドラマでの大きな役割でしたのでありがたかったですね。ここから少しずついただける役割の幅が広がってきています。若い頃は、与えられた役をこなすだけだった。でも今は、演じることの意味を考えるようになった。役を通して人に何を伝えられるのか。それが一番大切だと思うようになりました。

TBSドラマ「とんび」より
60歳を迎えた今、新たな挑戦へ
2015
年に再婚をしまして、娘が生まれました。娘の成長を見守る中で父親としてしっかり俳優をやっていくという思いもあります。今は高田馬場の「ひさご」という居酒屋でランチにトンテキを私が焼いています。トンテキというのは四日市名物でね。地元の四日市でトンテキを食べた人に、「本場より美味しいよ」と言ってもらえるくらいにはなりました。会社の経営者として飲食事業も手掛けることは楽しくもあります。地方から僕に会いに来てくださる方もいて、嬉しいですね。まだまだ舞台への出演や新しい映像作品への挑戦は続けていきます。また、音楽活動やライブも意欲的に取り組んでいます。
僕はこの60年の人生で、「成功の裏には、必ず陰の部分がある」という事をたくさん経験してきました。自分自身ではどうにもならないこともたくさんありました。でもやっぱり今の若い人達には、「失敗を恐れずにまず行動してみること。」をおすすめしたいですね。若い時の失敗なんて大したことじゃない。人生は何度でも何時からでも新しく出発できます。行動するからこそ、次のチャンスが生まれるのです。

近影

自らキッチンに立ち調理する
取材:編集部
(了)
◆イベント情報◆
●ライブ:2025年10月18日 場所/川越西文化会館(メルト)
音楽祭「生きてこそ命」
●主演舞台:『クリスマス・キャロル』
2025年12月3日〜12月7日三鷹RI劇場にて上演!
🎟 申し込みはこちらから👇
『クリスマス・キャロル』
https://www.seigetsu-entertainment.com/cc2025/
●朗読劇:2025年12月14日 特攻隊の手紙 場所/浅草 大乗院
野村宏伸氏 プロフィール
東京都板橋区生まれ。
1965年5月3日
1983年、角川映画『メイン・テーマ』でデビュー(薬師丸ひろ子さんの相手役に抜擢)
主な代表作
映画:『メイン・テーマ』(1984年)・『キャバレー』(1986年)ほか
ドラマ:フジテレビ系『教師びんびん物語』シリーズ(1988、1989)・TBS日曜劇場『とんび』(2013年)
舞台:『レ・ミゼラブル』(ジャベール役)(2022年)など
最近の活動
俳優業に加え、35年前にリリースしたアルバムを再び披露する音楽ライブを開催するなど、多彩な表
現活動を展開。2025年には還暦を迎え、舞台出演やライブ、地域イベントなど、ジャンルを越えた挑
戦を続けながら高田馬場「ひさご」にて居酒屋経営にも挑戦している。
取材後記:
テレビで見ていた野村さんのイメージは、私にとってまさにアイドル的存在で、榎本先生の役柄そのものでした。裕福な幼少期、病気と父親の会社の倒産での挫折、華やかなデビューと人気、その裏でのプライベートにおける苦難の日々。それでも今もなお挑戦を続ける姿。華やかな芸能界のイメージとは違う現実に翻弄されていた野村さんの違う面を拝見しました。野村宏伸さんの歩みは、「人生に無駄な経験など一つもない」ことを教えてくれます。その生き方は、これから夢を追うすべての人に、確かな勇気と希望を与えることと思います。