目標は「全員起業!」次世代起業家育成のイノベーションを起こしたスゴい人!中村伊知哉氏▶DAY2

「日本ではイノベーションが起こりにくい」――。そんな風に語られることは少なくありません。一方で情報化社会は進み、ビジネスにグローバルな視点は不可欠となってきています。

今、日本の未来のために、心ある次世代起業家を育てる試みに挑戦しているのが、元官僚であり、情報とメディアの専門家である中村伊知哉氏。イノベーションはワクワクするような挑戦から始まるという考えのもと、中村氏は2020年に「iU 情報経営イノベーション専門職大学」を開校。時代の変化を見つめる彼は、学生にこう問いかけます。「それ、おもしろい?」挑戦する人の夢と希望に未来の可能性を信じる中村伊知哉氏にご自身の軌跡について伺いました。

 Think Big, Go Punk

 

動画はこちら

自分がやりたいのは表現者ではなくその環境を整えること。選んだ道は通信の世界

──集中して勉強でクリアしていくスタイルは一貫されているんですね。公務員の何が魅力だったんでしょうか。

公務員になりたかったわけじゃないんですよ。全然やりたいとは思っていなかった。ただ、大学時代にバンドをやってくじけたことで、表現や文化とかそういうことに関わりたいと考えるようになりました。一緒にバンドをやったような才能ある人たちが、フルスイングで戦っていける場を用意するような環境を整え、応援したいと思いました。

──それは文化庁のようなお仕事を想定されていたということですか?

まず、大きな枠で文化のために何ができるだろうか考えました。電通なのか、芸能プロダクションなのか。いろいろ調べて、これからのネット社会についての仕事に辿り着いたとき、それを担当するのが旧郵政省だったんです。そして公務員にならないと入れないですから、勉強して旧郵政省に入省しました。他の役所には興味なかったですね。

当時は同じ通信系である電電公社をNTTにしようという動きがある年だったので、旧郵政省は人気がありました。補欠でギリギリ入ることができました。

──旧郵政省の志望理由としては興味深いです。どんな業務を担当されていたんでしょうか。

補欠だったんで「君、地方の民間に行って」って言われましたね、5年生のときに欠員が出て、打診されたので「行きます!」と答えました。

──フットワーク軽いですね!当時はまだインターネットは海のものとも山のものともわからないような黎明期だったと思うのですが…?

はい。私が関わった頃はまだ「電気通信事業法」という法律を作っている頃です。

これからテレビ・ラジオ以外にも、衛星を打ち上げたり、ケーブルテレビを作ろうとしたり、新しいメディアをどんどん増やそうという時期でした。

それらの仕組みを作るのが、私の最初の仕事でした。

その後、インターネットが世の中に出てくるのが10年後です。私は日本で初めてのインターネット担当でした。なぜ初めてと言えるか。それまで担当がなかったんです。だから勝手に名刺に刷ってました(笑)

官僚の世界で貫いた「パンク」道。100万人の将来と向き合った激動の時代の狭間

──いつも新しい何かを開拓して切り開いていらっしゃいますね。

よくわからないところに配置されることが多かったですね。同期もけっこう変わった人が多くて、飲み会を絶対断らない女と言われた山田真貴子さんがいます。今の日本郵便の社長もかんぽ生命の社長も同期です。同期が省庁の中で殆ど偉くなってしまっていて、自分は早く辞めてしまったので目立たないんです。

──凄い面々ですね。ご自身は官僚としての出世などは考えていらっしゃったんですか?

その中でも課長補佐のときには官房総務課の総括補佐をしていたので出世頭だったんですよ。その流れだと、そのうち事務次官も視野に入ります。この頃までは自分は官僚として出世すると思っていました。そこから急に辞めることになりました。きっかけは省庁再編です。通信放送担当としてNTTを東西に分割するという大変革に関わりました。これが1998年です。

──激動の時期ですね…

NTTの問題は相当な喧嘩をしながらも方がつきました。そして次はNHK再編という話が出てきました。こっちはもう鼻息荒く構えていたんですが、省庁再編について当時の内閣から出てきた答えは「郵政省の再編」。私達がやっていた通信事業は独立委員会で外に出して、郵政事業を民営化するという案でした。他にも大蔵省を金融庁と財務省に分けますとか、労働省と厚生省を合併して厚生労働省にしますとかいろいろあったんですが、それはいいんです。切り離すかくっつけたりするだけなので。郵政省だけ、潰すという案でした。

──その状況で存続のために奔走されたんですか。

担当としては潰したくはないので、反旗を翻していろんな案を模索しました。運輸省と合併して、運輸通信省にしよう、経産省と合併して通信経産省にしようとか。すると自民党の議員からも物凄い署名が集まったんです。そして政治決着がついて、反乱軍の言うことを聞くわけにはいかないが、通信放送を潰すわけにもいかないという結論になりました。通信放送は総務省に入りました。

──だからNHKは総務省の管轄なんですか!

そうです。政治的には勝ったんです。でも誰かが責任を取らなければならない。やったことはパンクで、謀反ですから。そこで自分が責任を取って辞めることになりました。辞める時、大臣に挨拶に行くと焼酎一本もらいました。残った人間はちゃんとやってるようで、偉いなと思います。一緒に戦ってやめた一人は「やってられるか!」って国会議員に転身しました。

作りたいのはイノベーションが生まれる場

──パンクな人の戦い方を目の当たりにして育った後輩にその熱意は伝わるんでしょうね。

私がラッキーだったのは時期がちょうど100年に一度レベルの再編で大きな仕事をする人たちがどうやって物事を変えていくのか、そばでそれを見ることができたことです。電電公社も20万人の社員がいて、家族を合わせれば100万人の命運がかかっている。そういう責任を負う仕事でした。大変ですが、幸せなことです。官僚は全く素人から始まっても、1週間後には法律を作るための知識を持たねばならないし、1ヶ月後には専門家にならないといけない。仕事を依頼する相手はこちらをプロだと思っているからです。最初は一週間くらい徹夜ということもありました。

──ずっと勉強されて積み重ねる大切さを感じます。

リスキリングという言葉が最近スポットを浴びていますが、私はあれは良くないと思っています。人生は「エヴァーラーニング」。学び続けることが大切です。

──退官後にMIT(マサチューセッツ工科大学)に入られたそうですが、一体どういう経緯ですか?

飲み会にはよく行っていたんですよ。そこでセガの会長の大川さんがMITにポケットマネーを寄付して子供とメディアの研究所を作る計画を持っていたんです。そこに誰か客員教授を送り込みたいとなったときに「無職ならちょうどいい」と声をかけていただきました。行ってからは大川さんの寄付もあるので邪険にはされないんですが、よくわからない人という扱いで距離がありました。ですがある時「お前、少年ナイフのディレクターか」と話しかけられました。大学時代に関わった少年ナイフというバンドをMITではみんなよく知っていました。何が自分を助けるかわかりませんね。

──その後、博士号を取られたりといろいろ学ばれていらっしゃいますね。

MITではビジティングプロフェッサーというポジションをもらいましたが、博士号を持っていない人は初めてだと言われました。後にスタンフォードや北京の仕事などをした後に、東京で飲んでいたら慶應義塾大学に新しいメディアデザインの大学院を作りたいという話がちょうどいいタイミングでありました。博士が足りないので博士号を取れと言われて、それなら大阪大学で書いた論文がありますと出して博士号を取りました。

──そういった経験がiUのような学校を作りたいという思いに育っていったのでしょうか。

今はまだやりたいことは2割くらいしかできていません。学校にしたのはやっぱり人を育てることを軸にしたいと考えているからです。私は学生を育てるような教育者ではありません。私の仕事は教育者と学生が関わる「場所」を作ること。だから学生より多い客員教授を集めています。iUではこれまで日本でできなかったようなプロジェクトをやりたいと考えています。当時のスタンフォードの学長が日本に来た際、スポンサーまわりに同行したのですが、彼が携帯を気にしているんです。聞いてみるとGoogleが今日、上場すると言うんです。彼はGoogleの取締役だったのです。学生起業を指導でサポートするだけではなく、指導者が役員として投資までしている。それが衝撃的でした。

変化は恐怖ではなく楽しいこと。iUが描く「起業✕学校」が生み出す未来

──教える側も当事者となるわけですね。

学校の目標として「全員起業」がひとつのスタートとなりました。全員起業すると就職率がゼロになるので目標就職率ゼロと言っています。現在、起業した学生は日本でダントツのトップです。起業家を生むというのは、それがゴールではないんです。たいてい一度は失敗する。そして大事なのは失敗から学ぶことです。うちの大学では1年のうちから起業する学生も少なくありません。カリキュラムでは1年から基礎を学び、3年にはたくさんの企業の大人と会って、4ヶ月のインターンでボコボコにされてくる。そして4年で1回起業しようとなっているんですが「そんなに待てないよ」って学生もいるので1年からどんどん起業しています。それでいいと思っています。

──凄い熱意のある学生さんが多いんですね。将来が楽しみです。

うちの大学のミッションは「イノベーターを生む」ということです。いろんな専門の人を集めて、いろんなことに挑戦できるようにしています。eスポーツのコースもあります。eスポーツのプレイヤーというだけではなく、関連企業に行ってインターンを経験し、eスポーツ関連で起業という流れも想定しています。これは世界でうちだけじゃないでしょうか。

──実践的な学びがある場の提供ということですね。

普通の大学と違うのは研究や論文を書くことをゴールにしていないことです。実際にビジネスとして社会に受け入れられるものにしなさいと常に言っています。スポンサーの要求に答えられなければお遊びなんです。

──最後に。インターネット黎明期からAI時代の到来の現在までを最前線で見つめてきて、これからの世界はどうなっていくと予想されますか?

ネットの時代からAIの時代へとガラッと変わると思います。AIの方が人より賢い世界。思ったよりこれが早く来ると思います。そうなると、面倒なことをAIに、やりたかったことはより自分の手でやることになると思います。ただAIと人間は逆転するような未来は来ないと思っています。そういうテクノロジーは使う人間側にメリットがないので普及しないんです。使いこなす側がその準備をしておけば、とても楽しい未来が来ると思います。悲観と楽観が拮抗しますが、それは気の持ちよう。実はこの学校はコロナの2020年に開学したんです。

「コロナはピンチか、チャンスか?」

この問いに学生たちは「チャンス」と答えた者が多数派でした。この学校はそういう集まりなんです。大きな変化が訪れるとき、チャンスと上を向くか、ピンチと俯いてしまうのか。その選択がこれから十年は大きな差になっていくと思います。私はこの大学を「世界一面白い学校」にしたいんです。そして自分は失われた世代を作った年配を黙らせたい。自分から上の世代に「もう若い世代に任せよう」と言うのが、自分の役割だと思っています。

──ありがとうございました。

(了)

インタビュー・ライター:久世薫

中村伊知哉(なかむらいちや) プロフィール:

iU(情報経営イノベーション専門職大学)学長。京都大学経済学部に在学中、ロックバンド『少年ナイフ』のディレクターを務める。卒業後は旧郵政省に入省。インターネット政策を担当する。後に省庁再編を携わり、それを最後に退官。MITメディアラボ客員教授やスタンフォード日本センター研究部門所長等を経て、慶應義塾大学大学院にて博士号を取得。現在は様々な企業や団体で重要ポストを兼任している。

公式サイト:http://www.ichiya.org/

X:https://x.com/ichiyanakamura

iU 情報経営イノベーション専門職大学:https://www.i-u.ac.jp/

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう