日本のアニメ作品に息吹を与え続けるスゴい人!▶大塚明夫様 DAY1

日本人ならどこかで必ず目にしたことがあるであろう手塚治虫氏による漫画「ブラックジャック」。連載50周年を記念して、舞台製作が進んでいる。ブラックジャックの声優として、今やその表情や仕草さえブラックジャックに重なって見える大塚明夫氏が演じるのは、時を経た、未来のブラックジャック。稽古の合間の貴重なお時間をいただき、大塚氏の知られざる幼少期と、今作にかける意気込みを伺いました。

 実るほど頭を垂れる稲穂かな…

 

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東京生まれ、国立育ち

編集部(以下、編):本日はお稽古でお忙しい中、本当にありがとうございます。

大塚明夫氏(以下、大塚氏):よろしくお願いいたします。

 

編:大塚さんの情報はネット上のみならずあちこちで拝見するのですが、今日は改めてお伺いします。

大塚氏:そうね、でも時々間違っている情報もあるんだよね(笑)。

 

編:お生まれは東京と伺いました。

大塚氏:生まれたのは新宿にあった日赤産院(旧:新宿赤十字産院)というところです。当時の住所が今の歌舞伎町2丁目という場所だったので、インターネット等では僕が歌舞伎町で生まれ育ったという事になっているのですが、残念ながら少し違います(笑)。病院があった場所が歌舞伎町ということです。実はなんとこの病院ではバービーボーイズのKONTAさんも僕の1年後に生まれているんですよね。

 

編:ええ!その病院凄いですね!

大塚氏:当時の自宅は、新宿から高田馬場の間、戸山あたりでした。5歳くらいまでしかいなかったのですが、今でもよく思い出すのが、鷹のこと。友達の家が八百屋さんで、そこのお祖父ちゃんが鷹を飼っていてね。子供心に興味深く見ていたのを覚えています。その鷹の餌っていうのがこれまた近所の肉屋さんでもらってくる鶏の頭なんですよ。要するに鶏を捌いた後の首から上。首は誰も食べないですから、売り物じゃないんですよね。それがこう、新聞紙を畳んで袋みたいにして、その中に10個くらい無造作に入っていてね。毛もないし、皮もむかれた状態。その鶏の生首をね、こうグッと鷹が捕まえて、引きちぎりながらダイナミックに食べるわけですよ。生き物の生命力というのは子どもにとっては刺激的だったよね。

 

編: ちょっと怖いくらいですね。

大塚氏:今はこんなの見ることないよね(笑)。当時の新宿にはまだあちこちに「どぶ」がありましてね。ネズミなんかを捕まえるとその「どぶ」に漬けて殺すんですよ。ネズミは雑菌を持っていますからね。その死骸をそのままにしておくと不衛生ですから、その辺の木切れを集めて、火をつけて燃やすんですよ。ネズミの死骸を燃やしているとね、ホームレスの人が来て、おもむろに餅を出してきて、その火で焼くんですよ。「おじちゃん、そこ今ネズミ燃やしているから汚いよ!」とかいうと。「焼けば大丈夫だよ。どうってことない。坊主、お前も食うか。」「いらないやい!そんなの」なんて会話をしていましたね(笑)

 

編:今の新宿からは想像もできない日常ですね。

大塚氏:野良犬なんかもいたし、のどかな街でしたよ。ところがちょうど私が小学校へ上がるころに、公団住宅の割り当てがあって、家族で国立市に引越をしたんです。国立という町はね、一番最初は西武グループが国分寺と立川の間だからということで国立駅をまず造って、一橋大学を誘致したりして街づくりをした場所です。その時代の流れの中で大きな公営住宅、いわゆる公団ができて。我が家は新宿から国立に移り住みました。ですから物心がついたころには国立市の自然の中で走り回っていました。

 

編:お父様は当時、もう東京で俳優や声優としてご活躍されていましたよね?

大塚氏:そう、だから「国立は遠い」とよくぼやいていました。仕事で遅くなる時には東京の方で宿をとって泊まっていました。劇団は高田馬場にあって、今ほど電車も便利ではなかったし、週に1回くらいしか国立には帰ってきてなかったように思います。

緊張気味の取材者をリラックスさせてくださる穏やかな笑顔

自然の中でのびのびと育った子供時代

編:国立第五小学校に進まれました。

大塚氏:学校ではやんちゃな子どもだったと思います。当時の子どもがやるような遊びは一通りやりましたよね。多摩川に猫の死骸が流れているような時代ですからね。今の子供たちの生活とは全然違います。今は多摩川に鮎が戻ってくるなんていいますもんね。時代の移り変わりというのはすごいなと思います。隅田川だって「どぶ」臭くてたまったもんじゃなかった。まさに高度成長と共に育ちました。公害なんてのは日常の中に、当たり前にありました。生活排水から工業排水から全部川に流れ込んでいましたから。

 

編:そんな中で、川の近くの土手で遊んでいらしたんですか?

大塚氏:そうですね。釣りなんかもしていましたが、連れたら針を外してまた川に戻していました。釣りは楽しかったですね。友達と缶蹴りしたり、そこから自然に野球になったりね。

 

編:今の子供たちとは全然遊び方が違いますね。

大塚氏:今は公園で遊ぶのもなかなか気を遣う時代ですよね。

 

編:中学校ではどんな生徒さんだったんですか?

大塚氏:まあ、大人しい性格ではなかったよね(笑)。僕の教頭先生だった人が、弟が中学に入った時には校長先生になっていらしたんですが、「お前が大塚明夫の弟か!」なんていわれたりしてね。弟には迷惑かけました(笑)

 

編:覚えめでたい生徒さんだったと(笑)。

大塚氏:はい。僕は素行が悪くてね(笑)。内申点が非常に悪かったんですよ。当時の担任の先生には「お前は普通高校には行かれないよ。」と言われていました。だから親父には申し訳なかったけれど、内心点が関係しない私立高校へ進学することにして、国学院大学の付属校である、国学院久我山高校へ行きました。

ちょうどこの頃、ブルースリーにはまりましてね。中学3年生の時に、少林寺拳法を習い始めました。当時はまだまだ子どもであり、若かったのだけれど、「平和が大切だ!」という平和主義者だったので、どうしたら平和を実現できるんだろうと一生懸命考えました。そうして、平和を実現するためにはまず力が必要だと思いましてね。とりわけ自分自身に「戦闘力」がなければ平和は実現できない!と思って。わざわざ電車に乗って道場に通っていました。

(DAY2へ続く)

大塚明夫氏 プロフィール

1959年 東京生まれ

ブラックジャック(ブラックジャック役)

僕のヒーローアカデミア(オール・フォーワン役)

攻殻機動隊(バトー役)

機動戦士ガンダム(アナベル・ガトー役) など多数。

大塚氏出演:舞台「ブラックジャック」銀座博品館公式サイト。

https://www.hakuhinkan.co.jp/theater/archives/event/pr_2024_03_20

 

 

 

 

 

 

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