北の大地に育まれて故郷を想い、漫画を描き続けるスゴい人DAY2▶本庄敬様

昨日に引き続き、漫画家の本庄先生の2日目!

「自分は寿都人(すっつびと)」――そう話してくれたのは『蒼太の包丁』作画を担当している漫画家の本庄敬先生。北海道の寿都で生まれ育ち、第32回手塚賞で準入選して週刊少年ジャンプ増刊号でデビューしたのが1986年のこと。それから35年もの間、漫画家として活躍を続けています。故郷を愛し、たびたび寿都への想いが感じられる描写のある本庄先生の作品は、人や自然が織りなすドラマの魅力に溢れています。そんな本庄先生の生い立ちから漫画家としての半生について伺いました。

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ついにデビューへ。手塚賞と同時に他誌への連載の話が持ち上がる

──アシスタントを続けられながら、デビューを目指されていたんですよね。

デビューは26歳です。ただその前に手塚賞の選外佳作をいただきました。害獣駆除に使う口発破を使って、家族を殺されたキタキツネが仇のヒグマを倒す話です。話が辛すぎて非難轟々でした。これが初めて描いた漫画でした。

 

──初めて描いていきなりの手塚賞の選外佳作だったんですか!?

描くには描いていたんですが、最後まで描けなかったんですよ。この作品を描いて出して、箸にも棒にもかからないなら国に帰ろうと思っていました。それが選外佳作になった。選外佳作って響きが佳作より凄い気がしてきてしまったんですよね。僕の中で。世の中に出ない佳作ってかっこいいなと(笑) それでもうちょっと頑張ってみようと「次にペンだこができたら作品を描こう」と決めました。2年後に固くなってきたんですよね。それで本気で描いた『北へ ―君への道―』で準入選をいただき、デビューが決まりました。

 

──描けば必ず何か爪痕を残してらっしゃいますね。その頃も石川先生のところにいらっしゃったんですか。

はい。最後の締切に間に合わなくて、石川先生がトーン貼ってくれていました。村上もとか先生のところでアシスタントやっていた千葉きよかず先生も、村上先生の現場で徹夜明けなのに「まだやってるの?」って来てくれました。みんなで寄ってたかって手伝ってくれたからこそ、作り上げることができた作品です。

 

──人間関係に恵まれていらっしゃいますよね。

本当にいろんな人のおかげだと思っています。手塚賞の結果が出る前、村上先生の担当さんの繋がりでBE-PALから仕事のお話をいただいていました。手塚賞は出したもののまだわからないし、BE-PALが好きだったので、原稿料計算して、やっていけるなと考えてましたね。自分は売れっ子作家は目指してないんです。ダンボール机でカリカリと漫画を描くようなのが漫画家のイメージでした。

 

──同時にお仕事を受けることになったんですか。

編集さんが気を使ってくださって、「BE-PALは漫画誌じゃないから気にしなくていいよ」と言ってくれたんですが、研究費は出なくなります。研究費というのは専属契約費なんですよね。当時ちょっととんがって「ジャンプ作家になりたいわけじゃなく普通に漫画家になりたい」と宣言しました。が、後で失敗したなと後悔もありました。そのときは担当さんが釣り漫画の企画を用意してくれていたんです。

名作『蒼太の包丁』が誕生。料理漫画が苦手だと思っていた自分を動かした人がいた

──代表作の『蒼太の包丁』は原作がありますよね。原作つきの作品はどうでしたか。

実は料理漫画はあまり好きではないんです。作品の中で、どうしたって作った料理に何だかんだと言わせなきゃいけないじゃないですか(笑)。人が作ったものにあれこれ文句をつけるのは苦手なんですよ。漁師や農家を描くのはいいんですが。

だから最初に週刊漫画サンデーの編集さんから料理漫画を描いてほしいとお話が来たときには、理由を伝えてお断りしました。

 

──断られたんですか?

はい。その後一年半ほど、毎週漫画サンデーを届けてくれるんですが、その方が封筒に近況とか書いてくるんですよ。自分の作品を全部読んでくれて、感想まで。もう一度話をもらったとき、「やってもらいたいのはグルメ漫画じゃなく、板前という職人の作品なんだ」と言われました。もうやるしかないですよね。

当時の原作者と短期集中連載として『蒼太の包丁』4話をやることになりました。

 

──短期集中連載のときの原作者は末田雄一郎先生じゃなかったんですね。

その4話で自分は掴みきれなかった。原作をそのまま使うと編集者が嫌がると思っていました。直すことこそ才能の証だと。本当は直しても直さなくても、自分がどう咀嚼するか、の問題なんですが。自分はごっそり変えてしまって、原作者が本編は書きませんと降りてしまいました。それで末田さんを呼んで一緒にやることになりました。

原作つきはピタッと合えばいいんですが、合わなかったときが難しいですね。

 

──末田先生とはその後に『ハルの肴 両国居酒屋物語』でも一緒にされていますよね。乗り気でなかった料理関係の漫画をまた同じコンビでされた理由はあるんですか?

週刊漫画ゴラクの編集さんが『蒼太の包丁』の大ファンで、ぜひと声をかけてくれました。ただゴラクでは既にさとう輝先生の『江戸前の旬』が連載されていました。寿司は使えません。「本庄が江戸前を潰しに来た!」なんて事になったら大変(笑) そこで居酒屋をやることになり、主人公は寿都出身の女の子にしました。

故郷を想う。その先に描きたい物語が見える

──オリジナルの漫画は原作付きとはまた違いますよね。

目線が違うんですよね。原作があると自分とは違う視点を知ることができます。個人戦と団体戦のようなもので、どちらも面白いです。

 

──長年続けられていますが、まだ新鮮な面白さを感じてらっしゃるんでしょうか。

自分としては究極を言えば描いていれば面白いです。やればやるほどわからなくなっていく。まだ思うようにかけないしですしね。目指したいものはまだまだあります。

 

──どんなときに作品のアイデアが浮かびますか。

アイデアが浮かぶのはぼうっとしているときですね。ぼんやりと寿都に帰りてえ……って思っていると狐の足音がバタバタと聞こえる。狐がぴょこんとしてこっちを見ている。そんなことを想像するともうドラマができます。

 

──故郷を思って、ひとつの点があるとそこから世界が広がっていくんですね。

妄想ばかりしてるんですよ。妄想はコストかからないですしね(笑)。

 

──まだ描きたいものはたくさんあるかと思いますが、今後の展望を聞かせていただけますか。

思うように描けるようになりたいですね。今まで描けなかった動物や生き物の短編を描きたいんです。ちょっとまだ言えないんですが、そういう動物や植物に絡んだ漫画の企画を考えています。楽しいじゃないですか。その企画を作るための下地つくりをそろそろ始めたいと考えています。


(了)

インタビュー・ライター・撮影:久世薫 企画:アレス

 

▶本庄敬(ほんじょうけい)氏 プロフィール:

北海道の寿都郡に産まれ、高校卒業後に千代田工科芸術専門学校に進学。石川サブロウ先生のアシスタントとして働く。後に手塚賞で準入選しデビュー。その後『蒼太の包丁』や『文豪の食彩』など数々の作品を発表。現在、漫画家としての活動に加え、寿都人プロジェクトを主宰し、寿都の将来のためにと漫画を通じて活動している。

 

本庄敬公式サイト:http://www2u.biglobe.ne.jp/~ok-123/honjou/

Twitter:https://twitter.com/honjo_kei

寿都人プロジェクト公式サイト:https://suttsu.official.ec/

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