昨日から2日間にかけてご紹介するのは、新宿の地で100年以上も「油(あぶら)商」を営む大家商店3代目大家章嘉(おおや あきよし)社長。戦前から日本の近代史とともに変遷してきた家業を引き継ぐその心得を伺いました。
◆見どころ
―就職で初めて東京を離れる
―祖父が起業した家業を継承
―時代に合わせた柔軟な経営方針
就職を機に東京を離れて、北九州市へ
出光興産は入社すると全員スタンド勤務になります。最初の赴任地は福岡県北九州市の門司。私は生まれてから大学までずっと東京にいましたから初めて地元を離れることになりました。門司は出光興産発祥の地で、地元での認知度や評価がとても良い地域です。出光興産の社員です。というと皆さん良くしてくれて、本当にありがたかったです。飲み屋さんなどでも地元の皆さんがとてもかわいがってくれました。ここで2年半、スタンド勤務と経理と営業を学びました。当時は原油高で会社の業績が悪くてね、突如会社の方針でポリ袋を販売営業することになりました。グループ会社の石油化学というところがナフサからロール式のポリ袋、いわゆるゴミ袋ですね、これを開発したんです。これは本当に大変でした。主な顧客ターゲットは主婦ですから、団地を一軒一軒訪問してね。「ガソリンスタンドの出光さんがポリ袋売ってるの??」と怪訝な顔もされたましたよ。それでも結構みなさん買っていただけるんですけれどね。祖父がやっていた油売りの曳売りに近いものがありました。
その後は管内移動で福岡に1年半いました。マーケティング室という新説の部署で資料ばかり作る仕事で、縦の資料を横にするような、よくわからない作業でしたね。今みたいにパソコンで作るんじゃなくて、手書きですから。ストレスで円形脱毛症になりましたよ(笑)。その後は大宮へ転勤。大宮ではスタンド販売促進の企画をしていました。これは面白くてね、バブルの時代でしたからイベント予算も余裕がありましたから。ロス五輪の時にはオリンピックキャラクターを使用したキャンペーンなんかを企画してね。アイドルのコンサートを企画して、出光と契約している販売店の社員と家族だけをご招待したりもしました。そんな時、昭和62年の年末に母親から連絡がありまして、父親が心筋梗塞で倒れたと聞きました。いよいよこれは実家を継ぐ時だなと思いました。32,3歳だったと思います。その翌年の3月に会社を退職しました。
新宿の街の発展と共に歩んできた
大家商店へ入社、スタンド勤務からスタート
昭和63年4月に大家商店に入社しました。古参の社員もいましたが、私はまずはスタンド勤務から仕事を始めたので、私のことを知らない社員もたくさんいました。まず驚いたのは出光と比較すると全然大家商店の仕事の内容が違ったこと。出光のガソリンスタンド勤務経験とはもちろんビジネスの規模が違いますし、社員の質も違う。出光の仕事は「創り、成長していくこと」でしたけれど当社の社員の仕事は「目の前の仕事をしっかりこなすこと」が重要です。何もしなくてもガソリンスタンドにお客さんが入ってきて、儲かった時代を経験していますから、これまで築いてきた事業内容を守ることが優先となっていたんです。
昭和の頃。高度経済成長時代のガソリンの需要は高かった
しかしながら経営面でいうと、ガソリンスタンドの収益は少しずつ目減りし始めていました。ガソリンスタンドのサービスも車の清掃から車検サービス、それに伴う自動車保険の販売など多岐にわたる事業をワンストップで展開するという企業努力を続けてはいたものの、人件費などのコストもかかります。このままではいけない、新しいことをしなければ生き残れないと強く思いましたね。そこで不採算店の縮小をして6店舗あったスタンドを2店舗まで減らし、新業態としてカーリース業を開始(平成3年)しました。
平成13年、40歳を過ぎてから私が社長に就任してからは、出光の特約店としてガソリンの代理販売をするだけではなく、社内に技術や知識を残していくような事業が必要だと強く思いました。その準備には数年かかりましたが、平成17年にカーコンビニ倶楽部の提携店として軽板金業を開始しました。現在に至るまで中古販売業やレンタカー業など様々な周縁業態の新陳代謝を図っています。
時代の流れに合わせて、事業の新陳代謝を続けていく
ガソリンスタンド事業というのは道路から自動車がそれこそ自動的に入って来る商売と思われがちですが、採算性はさほど高くありません。ガソリンという商品は隣のガソリンスタンドで売っているものと同じですから、商品の差別化というのも難しい。電車の駅がすぐ近くにできたり、セルフスタンドが増えたり、後継者がいなかったりなど、様々な理由で都内のガソリンスタンドもどんどん数が減ってきています。ガソリンスタンドの跡地がマンションに変わったりもしています。これから水素などのハイブリッドカーや燃料電池なども出てきていますから、15年から20年後にはガソリンスタンドの風景も大きく変わっているだろうと予想しています。当社においても「燃料を供給する」という根本的な事業形態は変わらないと思いますが、そのプロセスは変化する可能性はあります。将来は水素ステーションなど、大きな変容を遂げているかもしれません。最近では当社の会員は全国どこでガソリンを入れても一律単価で出光ガソリンを購入できる新事業を導入しました。ガソリンスタンドとして同業者との差別化を。し、当社のスタンドを選んでいただけるような特色をこれからも打ち出していきたいと思っています。
◆大家章嘉(おおや あきよし)プロフィール
1954年 東京都新宿区生
1980年 早稲田大学社会科学部卒業
2001年 株式会社大家商店3代目代表取締役社長就任(至 現在)
公式サイト:https://www.oh-ya.co.jp/