昨日に引き続きご紹介するのは、授乳服ブランドMO-HOUSEの代表、光畑由佳様。乳児の命を育む母乳育児のストレスを減らすために考案したのが、授乳室になる洋服、「授乳服」。授乳という行為が社会にとって当たり前の光景になることを願う光畑氏のスゴイ軌跡を伺いました。
「子育ては“我がまま”でいい」
<見どころ>
ーギャンブル的な大学選び
ー電車で授乳をせざるを得ない!
ー母乳育児をもっと手軽に選択できる未来を
穴場狙いの大学選び
高校の時の家庭科の先生が奈良女子大学出身の方で、すごくクールでかっこいい方でした。
家庭科はなぜか成績が結構よくて。生地屋さんで生地を買ってきて見よう見まねで自分で作った服を着ていたのもこの頃です。
きゅうりを切る実技試験は最悪だったんですが(笑)。大学の中でも家政科は割と入りやすいと知り、穴場かも!?と気が付きました。
当時の倉敷ではまだ女の子が家を離れて遠くの大学に行くなんてあまり好感を持って受け入れられることではなくて。出るなら女子大、それもそれなりに知名度のある大学でないと納得してもらえない雰囲気がありました。祖母はかわいい孫と離れるなんて大反対でしたしね。
私の成績はそんなに上位ではなかったので、お茶の水女子大学はギャンブル的に入学したようなものです。翌年の後輩たちにはこの方は参考にならないからと説明されたと聞きました(笑)。穴場狙いが好きな、博打的な性格はこの頃からかもしれません。
母子や育児の未来を創る国内外の団体で活躍している
女性が活躍している職場、パルコへ就職
大学では家政科被服機能専攻で、被服についてのアカデミックな学習と研究をしました。白衣を着て、実験してデータをPCに打ち込む日々。
ExelじゃなくてまだLotus1-2-3でしたね。当時はバブルで派手な暮らしをする大学生もいたのですが、私は全く縁が無くて、岡山から東京に出てきて4万円の部屋を友人とシェアしながら質素な4年間を過ごしました。
お茶の水女子大学はもともと女子師範学校。教師という女性の仕事を作ってきた大学です。
当時は女性の社会進出が話題で、まさに雇用機会均等法が施行される頃。お茶の水女子大学の先輩たちが女性の社会進出という波を起こし続け、社会変革の基礎を創ってくれたんだという感謝がありました。これからの時代を生きていく女子大学生という立場でメディア取材も受けました。寿退社という言葉がまだあった時代ですが、それを選ばないのがこれからの生き方なんだという社会の雰囲気は確実にありましたね。
新卒でパルコに入社したのも女性が活躍しているというのは大きかったかもしれません。家政科とはいえ物理化学的な研究をしていて、洋服の構造が体感温度に及ぼす影響を学んでいた私は、いわゆるパルコの「おしゃれなファッション」というものには縁遠かったですけれど(笑)。
授乳口のデザインは季節や素材に合わせて多様。
最先端のアートなどを披露するイベントを企画
配属は展覧会などの企画をする美術企画部。自らの希望でした。
パルコはディベロッパーですが、文化事業が盛んでしたのでクリエイティブな人が集まっていて、社内には優秀な女性先輩たちが沢山いました。その中で私はアートとしての新しいジャンルとしての写真展の企画を担当していました。
パルコ創業者の増田社長は雇用機会均等法のずっと以前から女性の才能を見出していた方です。アートディレクターの石岡瑛子さんやクリエイティブディレクターの小池一子さん、山口はるみさんなどのクリエイターによる広告作品には高校生の頃から憧れていましたね。
今、時々ご一緒することがあるのは、本当に光栄なことです。雇用機会均等法が施行される以前の日本企業で女性を総合職として採用していたのは、ぴあとリクルートとパルコの3社だけだったと聞いたことがあります。だからパルコの女性の先輩たちは本当に優秀な方が多かったですね。
興味のあった建築業界へ
パルコでの5年を経て、当時鹿島出版が出していた書籍がとても好きだったというのもあって建築業界では老舗の出版社へ転職しました。
ファッションと建築はクリエイティブの面で共通している部分が多いと考えています。どちらも空間を形作り、中に人が入ることでインタラクティブに変わる。
結婚した後はフリーランスになって、7年くらいは建築系の書籍編集のお仕事させていただきました。育児をしながら仕事を続けられたのは非常にありがたかったですね。電話やFAXを使って、今でいうテレワークでした。ちょうど自宅を、建築家に依頼して建てたのですがそれが話題になって、取材が多くなったりもして。
そんな慌ただしい日々の中で一人目の娘は、ほぼミルクで育てていたのですが、ママ友と会う機会があると、お互いの自宅だったり、公民館だったり、割と閉鎖された空間で会う事が多かったので、なんでなんだろうと漠然と感じていました。
母乳環境が整っていないと気がつく
大きな気づきがあったのは2人目が生まれてから。
2人の子供を連れて電車に乗っていたら、下の子供が泣いてしまったんです。周りに迷惑になってはいけないという焦りもあって、授乳をすれば子供は泣き止みますので、致し方なし!と思って電車の中で胸を出して授乳をしたんです。
今もまだまだそうですが現代においては人前での授乳行為ってなんだかタブーですよね。太古の昔から哺乳類が子どもを育て、命を育む最も自然で基本的な行為であるのに。恥ずかしい、申し訳ないと思う自分の感情がものすごく不自然に感じましたし、世の中のこの雰囲気もおかしい!と強く思いました。
一人目の子供の時には育児に必死だったのもあるし、そもそもほぼミルク育児でした。2人目の時に母乳メイン育児をしてみて初めてその大変さに気が付いたんです。
でもそれは母乳育児が大変なのではなく、母乳育児をする環境が整っていないなという事です。当時は授乳室も今ほどありませんでしたから、トイレで授乳する人も少なくなかったと思います。多くの女性が希望する母乳育児を取り巻く環境が良くないじゃないかと思ったんです。
これってどうにかならないのかと。
今では、授乳室街中のあちこちにみられる時代となりましたが、それでもその場所を事前や直前に調べるという行為や移動する時間は必要です。
妊娠のお祝いに授乳服を贈る方も多くなったそう。
ママ自身が解決できるソリューションを
授乳室が増えるのを待つよりも早く、授乳する空間をコンパクトにクイックに自分の力で創出できるもの。それが「授乳ができる服」につながりました。母子が授乳したいタイミングで、他者に頼ることなく自分自身で問題解決ができることが非常に大切だと思います。建築とファッションの間を漂ってきた私だからこそ到達した場所でもあると思っています。最初はコンビニでチラシを印刷して折り込みをしたり、地元のタウン誌や新聞に掲載してもらったりしてゆっくりと、でも着実に広まっていきました。母乳育児もミルク育児も双方にメリットがあります。どちらがより優れているという論点ではなく、家族や子どもの生活スタイルや環境に合わせて選択枝が広がり、どちらも選べる。多様で柔軟な選択ができることが大事だと思っています。(了)
取材・編集:NORIKO 撮影:グランツ株式会社
◆光畑由佳氏 プロフィール
モーハウス公式サイト:https://mo-house.net/
岡山県倉敷市出身。お茶の水女子大学被服科卒。3児の母。
「子連れスタイル推進協会」代表理事
茨城県ユニセフ協会理事
筑波大学非常勤講師 など多数