尺八で和楽器の魅力をアップデートしているスゴい人DAY1▶佐藤公基様

 3代目 尺八アーティスト佐藤公基様

今日から2日間でご紹介する佐藤公基さんはご家族全員が和楽器奏者または民謡歌手というサラブレッド!伝統的な尺八という楽器でジャズやポップス、ロックを演奏し、その未開の可能性を創り出すアーティストです。尺八が持つ様々な音色をいかに現代音楽とコラボレーションさせるのか。型破りだが尺八の伝統を尊重する若手奏者にその考えを聞きました。

 

  育英環境  

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1日目(前半)

◆みどころ

―尺八を始めるまで

―無理だと言われた東京藝術大学受験

―本音を大切にした大学時代

 

一族全員が和楽・邦楽の関係者という環境に育つ

編集部(以下編):本日はどうぞよろしくお願いいたします! 尺八奏者らしい素敵なお着物ですね。

佐藤公基さん(以下佐):これ、ジーンズ素材でできている着物なんです。これにスニーカーを履いたりもします。

 

編:粋でファッショナブル。尺八からイメージする年配で重厚な雰囲気とは全然違いますし、時代劇などで虚無僧が吹いている寂しげなイメージも全くないですね。

 : 尺八のイメージってそうですよね。実は僕も反抗期を過ぎる高2までは(尺八なんてこんな古臭いのやってられない!)と思っていたので、あまり習わなかったぐらいです(笑)。

 

: !? 幼少期から尺八は跡継ぎとして習っていたとばかり。

: 祖母も民謡歌手なので、民謡太鼓や唄は習っていました。初舞台は2-3歳だったと記憶しています。少年少女民謡大会で優勝したこともあります。太鼓はずっと続けましたけれど、唄は声変わりしたのでやめました。民謡って高く大きく声を張るものなので限界が来るんです。昨日までできていたことがある日突然できなくなり、すごく悲しかったです。

 

: 思春期には残酷な挫折ですよね。自分自身ではどうしようもない問題ですよね。お母様の美鵬成る駒(びほうなるこま)さん、妹 理加さんのお声からすると、佐藤さんも鈴の音のように澄んだ伸びやかなお声でしたでしょうね。それをきっかけに尺八を始められたんですか? 

佐:いや、それがこの時にはまだやらないんです(笑)。好きなようにやらせてくれた両親には感謝しています。

 

編:親族も含めてご家族は皆さん民謡や和楽器奏者という環境でありながら全然始めていないというのが意外です。

佐:父方の曾祖父 初代 佐藤錦水が尺八奏者であるのですが、戦後、曾祖母、祖母と宮城から上京して浅草の民謡酒場「七五三」で活躍し、錦美会を発足しました。祖母、佐藤美恵子は民謡界最高の栄誉、民謡技能賞も受賞しています。父は二世 佐藤錦水で、僕は2年後の30歳に、三世 佐藤錦水になります。

 

編:お母さまの方は民謡でいらっしゃいましたよね。

佐:母方の祖父は太鼓の家元で、創始者は美鵬駒三朗(みほうこまさぶろう)と言います。叔父はソニーからメジャーデビューしている尺八奏者、き乃はちです。姉、妹、いとこも皆、親族は一人残らず和楽器奏者です。

 

編:すごい!小さなころから跡継ぎの長男として育てられたのでしょうか? 

: 全然そうじゃないんですよ、これが(笑)。学校ではちょっとワルでアクティブなグループにいて、運動会の騎馬戦では積極的に攻めていくようなタイプでした。空手を習う一方で、小学校低学年からずっと書道を習っていて6段を取得しました。中学時代はバスケ、そして熱帯魚と海水魚の飼育に没頭していましたし、高校時代はアルバイトしていました。尺八は横目で見ながら普通の暮らしをしていたんです。

 

編:それでも東京藝術大学へ尺八で入学されたのはすごい事です。

佐:高2の夏に進路をどうしようかと考えて、東京藝術大学は都内ですし家にある尺八の専攻科もあるらしいと知って、じゃあそこ受けてみようと一年発起したんです。

 

編:えー!普通なら何年も前から準備して臨むアーティストの最高学府ですよ。 

佐:その時初めて父に相談して、虚無僧尺八の第一人者でいらっしゃる善養寺恵介先生に師事しました。当然ながら先生には「1年間では無理だと思うよ」と言われながら、本気で練習し始めました。楽典などの座学や知識の勉強は、現在も活動を共にしている三味線奏者で当時は慶應大学の現役学生であった浅野祥さんに家庭教師をしてもらいました。

 

編:それでも現役で合格するなんてさすがの才能です。

佐:運も良かったですね。師匠もびっくりしていました(笑)。音楽学部邦楽科というのは絵画や音楽科と比較すると倍率もそれほど高くないですから(笑)

 

曽祖父がルーツの尺八文化を大学に認めてもらうために直談判

編:大学では家にある尺八で学ばれたのですか?

佐:大学入学後にはもうプロになると覚悟を決めましたので、当時18歳の学生でありながら数百万円の借金をして今後の活動のための尺八を買い揃えました。父は現役のプロで各地で演奏していましたから、父の尺八を借りるなんていうことは現実的に難しかったというのもあります。ただ当時の大学は伝統的な尺八のみを「尺八と認める」風潮があって、僕は異端児だったんですよ。何度も議論を交わしました。

 

編:どのような議論だったんですか?

佐:端的に言うと、僕の尺八はハイブリッドというか、伝統的な尺八と比較すると穴の大きさなどが違っていて、大学側としてそれを尺八と認められないという話で。ただこれは今の僕の活動に通じている考え方なのですが、伝統は伝統として新しいものときちんと融合していく責任もあると思うんです。それが後世に文化を残すことだと思うから。

 

編:おっしゃる通りです。大学側としては学生に大きな変革を求められたわけですね。

佐:僕の使っているハイブリッドな尺八ではいけない理由を何度も議論して。最終的には大学側が理解を示してくれて僕の尺八が無事に許可されました。この時は曾祖父の形見とお祝いに買ってもらった尺八でしたけどね。

 

編:初代錦水さんもきっとお喜びでしょうね。 

佐:これが曾祖父、初代佐藤錦水の形見なんです。今僕が使っている尺八と比べてもすごく太い竹で作ってあって。これを吹きこなしていたのだから肺活量がさぞかしすごかったのだろうと推測します。すごく練習したのでしょうね、指の油分の跡が穴の両脇に残っているんですよ。

 初代の生きた証が残る尺八を今も使う

編:わぁ。すごいですね。尺八への熱い想いを物語っています。

佐:この尺八は僕たち一族を守った尺八と言えます。曽祖父は戦地へ赴いた際にこの尺八を持参して吹いていたそうなんですが、ある時、曽祖父が最前線にいたところ上官に「お前が死んだらお前の尺八が聴けなくなるから一番後ろへ行け!」と言われたそうです。おかげで曽祖父は生きて日本へ帰って来られたので、僕たち家族が今生かされているというわけです。

 

編:死と隣り合わせだった軍人の方は、曽祖父様の尺八で癒され涙したのでしょうね。

佐:そうですね。音楽が持つ力というのを感じます。戦いといえば、尺八の底の堅い部分は竹の根っこなんですが、とげとげしている部分が固いので、武器としても使用されていたそうです。

 

編:ええ!雅な尺八が急に物騒に見えてきました(笑)

佐:時代劇とかでよく見かける、尺八を吹く虚無僧っているじゃないですか。お経の代わりに尺八を吹く普化宗(禅宗のひとつ)のお坊さんです。まだ修行の身だから顔を隠しているんです。ところが、犯罪人が顔を隠すために天蓋を被って虚無僧に成りすます。というのがあったらしくて。その場合持っているのは楽器としての尺八ではなく、仕込み刀の尺八という、真ん中からパカッっと開けると刀になっているものだったようです。もちろん音は鳴りませんが(笑)。

 

編:それは衝撃的です。

佐:わびさびのイメージだけじゃない尺八という意味では、うちには龍が描かれた曾祖父の尺八があります。近所の竹生さんという画家さんに描いてもらったものです。

 

編:芸術品ですね。尺八自体がキャンバスとなって、その存在価値を高めていますね。

佐:和楽器といっても時代と共に様々に変化し、発展していくことがとても大事だと思います。当時としては、尺八にこのような装飾を施すというのはとても前衛的で個性的だったと思うんですよ。そう考えると確かに僕の中には曽祖父から受け継いだ使命というものを確かに感じます。

 

古典とモダンの尺八のそれぞれの魅力

編:そちらにも沢山の尺八が並んでいますね。 

佐:これは全部もちろん尺八なのですが、天然の竹でできていますから太さも長さも違います。ですから奏でる音色もぞれぞれが独特なんですよ。同じものはありません。

 

編:それを曲によって使い分けるのですか?

佐:曲でもあり、ロックやジャズなどのジャンルによっても使い分けをしています。尺八って不思議なことに竹の節が7つなんです。しかもちょうど良い太さで、定められた位置に節がある竹を見つけて掘らないと尺八にならないそうです。数百本に1本しか尺八にできる竹はないそうです。

 

 

編:大きな竹林があったとしても、尺八になることができる竹はほんのわずかな奇跡のようなものですね。

佐:そしてその竹を選び見極める眼を持っている、尺八の職人さんはおそらく日本には今数えるくらいしかいません。

 

編:えー!それはすごい希少価値ですね。四葉のクローバーなんて比にならない。

佐:ちなみに寒暖差がある京都府と福島県の竹が品質がよく、尺八造りには向いているそうです。そして竹を掘り出した後、火であぶって緑色を抜き、さらにそこから数年かけて乾燥させるのですが、その途中でダメになるのもいっぱいあるんです。だから、尺八になったこの竹たちは、選ばれし竹なんです。

 

編:1本の尺八がそのような奇跡を経て作られ、ここにあると考えると感慨深いものがあります。

佐:尺八になってからも、乾燥に弱いので、手入れが悪いと割れることもあります。曾祖父の尺八が割れた時には大変ショックを受けました。修復はできましたが、やはり音は少し変わりました。割れの予防としては油を塗るか、加湿器を置くしかないのですが、逆に和楽で一緒に演奏することが多い、お箏や三味線などの和楽器は湿気に弱い。だからなかなか加湿器を置けないですね。元々一緒に演奏する楽器ではないんですよね。本来は。

 

編:なるほど。すっかり尺八を見る目が変わってきました。

佐:そういう意味ではこの金属製の尺八なんかは手入れが比較的簡単です。

 

編:これも尺八なんですか!?フルートのようです。 

佐:音は竹とそれほど変わらないのですが。同じ和楽器の中でもエレキ三味線やエレキ箏なんかはすでにあるんですよ。電子音にすることで現代音楽との親和性が格段に高まります。でも尺八はまだ電子にできる要素が無いんです。基本的には身体から出た息を送り込むことで鳴る楽器ですからね。

 

取材・校正:NORIKO ライター:MAYA 撮影:株式会社グランツ

 

2日目に続く

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◆佐藤公基氏 プロフィール

東京都下町根岸出身。民謡一家の長男として生まれ、幼少より家族に手ほどきを受け舞台活動を始める。

2000年 少年少女民謡東京大会において優勝。

2008年 尺八を善養寺恵介師に師事。

2011年 東京藝術大学音楽学部邦楽科尺八専攻に入学。2015年に同大学を卒業。

2018年 演歌歌手 "藤あや子" の専属尺八を務める。同年、女性和楽器ユニット「SAKURA J SOUNDS」のファーストアルバム「CHERRY BLOSSOM」のサウンドプロデューサー  を務める。

2020年 和楽器パフォーマンス集団「桜men」としてavexよりメジャーデビュー。和・洋楽などジャンル問わず、数多くの楽曲・アルバムをリリースしコンサートやレコーディングなど国内外で活動中。

日本民謡協会青年部講師補佐。全国各地で学校公演活動を行っている。

 音楽制作チーム「ONE TONE」として和に特化した作編曲・楽曲提供活動も数多。

 尺八に対する先入観、固定概念に縛られる事なく「らしさ」を追求しながら、また民謡で培ってきた「うた心」を大切に演奏している。

HP : https://www.koukisato.info

Instagram : https://www.instagram.com/kokisato108/

Twitter : https://twitter.com/kouki_shaku8

 

【参加グループ】

・あいおい (和楽器オーケストラ)

・あべや (日本民族音楽芸能集団)

IZANAGI (尺八&ギターユニット)

・桜men (和楽器パフォーマンス集団)

MIKAGE PROJECT (民謡プロジェクト)

・れんま (民謡グループ)

ONETONE (音楽制作チーム)

 

【ライブ情報】

MIKAGE PROJECT “壮途”

~1stEP 「MIKAGE PROJECT」リリース記念ライブ~

202181日(日)浅草花劇場

OPEN 1530 START 1600

チケット全席指定 \4,000-(税込・ドリンク別)

問い合わせ:info@alive-japan.com

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