和文化と雅の精神を世界の子供に伝えるスゴい人!DAY2 ▶藤中夢弥 さん

今回ご紹介するのは、世界中を巡業している「国際文化交流舞踊団 曼珠沙華」の座長、藤中夢弥(ふじなか ゆめや)様です。17歳だった高校2年生の時に、ベラルーシのチェルノブイリ被災地を慰問公演。自分よりも幼い子供達が厳しい環境の中で暮らすのを目の当たりにしました。多くの海外公演をこなしながら、日本古来の文化や伝統を世界に広めています。

  継続は力なり  

見どころ

*初めての海外公演、チェルノブイリ被災地エリア慰問で受けたカルチャーショック

*チェルノブイリの子供達の保養活動で学んだこと

*曼珠沙華の座長として

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高校卒業二日後に初めてのベラルーシ公演へ

曼珠沙華にとって初めての海外公演はベラルーシ共和国のチェルノブイリ被災地でした。

20日間の公演で、放射能汚染が強く残る地域で一日2回公演する日もありました。丸太小屋でトイレもなく、埃だらけの劇場です。放射能汚染地区には人が誰も入らないので、劇場などは閉鎖され、メンテナンスなどされていません。ホテルの鍵は壊れ、お風呂もなく、シャワーの水量はチョロチョロ。お湯さえ出ない日がありました。当然レストランもありません。日本から総重量2トンの荷物を持ち込んだのですが、衣装や鬘とは別に、お米もお水も日本から持って行きました。公演の後にご飯を炊いてふりかけご飯だけを食べました。その土地に住む人々の暮らしは本当に貧しく、心が震えました。今までの自分の悩みなどとは比べようもなく、自分の環境がどれだけ恵まれていたかということにも気が付きました。

 

帰国してからこの感動を高校の先生に伝えたくて、お風呂も入らずに先生に報告に行きました。先日卒業したばかりの生徒が貴重な経験をしたと驚きを持って聞いてくれました。曼珠沙華の海外公演は豊かではない国に行くことが多いですから、本当に過酷です。日本とはかけ離れた世界に行くことを経験すると、団員はみな価値観が変わります。「仕事や結婚だけが人生じゃない」と考え方が変わったり、現実の生活の中で抱えていた悩みなどから解放される人も出てきました。

 

ベラルーシの被災地エリアの子供たちとの交流で心のジレンマから復活!

2000年から曼珠沙華はチェルノブイリの被災地の子供たちを茨城県で一時保養のために受け入れるボランティア活動を始めました。放射能汚染地域で生まれ育つ子供たちに一生の思い出を作ってあげたい。という思いからでした。預かる子供達は78歳の子供達です。マクドナルドも見たことが無い子供達が夏の間、日本で暮らすのはとても良い経験になりました。言葉は通じなくても受け入れる私たちもとても楽しくて、可愛くて仕方が無かったんです。

 

忘れられない子のうちのひとり、サーシャという男の子がいます。成田空港に迎えに行った時、サーシャはもう6歳なのにヨダレを垂らしていました。他の子供たちは皆、長時間の飛行機で疲れ切ってぐったりしてるのに、サーシャは一人落ち着かない様子でした。現地からの情報によると知能に障害がある子だということ。他に、男の子一人、女の子二人の4人を受け入れたのですが、他の子達も、誰もサーシャには近づきません。

 

何かの縁で曼珠沙華での保養となったのだから、全身全霊でお世話しようと決めました。よだれが出るたびに「スルート(ロシア語でよだれの意味)!」と教えてあげたんです。すると一週間でよだれが止まりました。サーシャに足りなかったのは知能ではなく、愛情なのだと思いました。色々なスイッチを押してしまう癖も、いけないと止めるのではなく、壊れたカセットデッキを渡してひたすらスイッチを押させてみました。すると五分ほどで満足してスイッチを押さなくなりました。水泳も一日でできるようになりました。

この時に、反抗期で世間知らずの自分の中に子供達、サーシャへの愛情が芽生えていることに気が付きました。子供達を元気にさせると思っていたけれど、実は反対に自分自身に愛情が育ち、心を満たしてくれていました。

こんなにも可愛い子供達を8,000キロも離れた言葉が通じない日本へ送り出してくれたご両親の気持ちにも気が付きました。「日本へ送り出してよかった」と言ってもらいたいと思ったんです。もう一人の男の子、オレグはいつもサーシャをバカにしていました。ところがサーシャが変わっていくとオレグはサーシャをバカにしなくなる、頼りにする時さえ出てきたんです。自分が変わると相手が変わる。相手が変わると環境が変わっていく。そんなことを教えてくれたのも子供達でした。

 

曼珠沙華では東日本大震災で福島の原発事故が起きるまで毎年子供達の保養受け入れをしていました。今では反対にベラルーシの方々が、福島の子供達を保養に呼んでくれています。曼珠沙華の慰問公演は相互の人々の心をつないでいたのです。コロナが収まればまた新たな文化交流が生まれると思います。

イタリアの街を花魁がいく

日本の子供達へ文化の伝承を!

曼珠沙華が海外公演に行く時、日本という国にあまり馴染みがない場所に行く事も多いため私達を通して日本人を知ってもらう事に責任を持ち、「日本の代表であることを忘れない」という事を常に意識しています。

また日本にいると自国の風習や文化の素晴らしさにはなかなか気が付けないこともありますが、海外公演を通じて和文化の魅力を再認識することができます。そして訪れた国々にも私達の知らない様々な文化があります。お互いの文化を知り、尊重することで、新たな文化交流の機会が生まれる。曼珠沙華はその一翼を担う集団でありたいと思っています。

座長となり10年。これまでは自分の思い描く世界観を舞台で表現することに注力してきましたが、このコロナ禍で、縁のある子供達が踊りや舞台作りに関わりはじめました。

これから日本の子供達が着物の衣装を自分自身で着たり、扇を使って踊ったりすることで自然と日本文化が身についたり、公演する際には舞台の広さや高さを計算して幕などの仕掛けを作ったり貴重な経験の中で、自分の可能性を見つけ多種多様な人たちと関わりながら自分の将来を思い描くことにつながればうれしいなと感じています。

以前ある方から「曼珠沙華の舞台に関わらせてもらって、曼珠沙華の世界観を肌で感じる事により一般的な見識が高まった気がします」と云われたことが今でも胸に残っていて、これからの子供達にこそ、将来につながる経験のお手伝いが出来たらいいなと思っています。

 

本年はすでに2月に千代田区の神田明神境内で開催されましたKANDA FESTIVALで公演させていただきました。5月には靖國神社にて奉納舞を、9月には座長襲名10周年記念公演を予定いたしております。

(完)

読者プレゼントのお知らせ

本年7月と9月に開催されるいわき公演および日本橋公演に抽選で各5名の方をご招待!約2年ぶりの主催公演です。

応募方法は本日の記事をTwitter でいいね&RT してくださった方の中から抽選1名様となります。

当選された方にはDMをお送りさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記:残念ながら素顔の夢弥座長はお見せ出来ないとの事、見かけはワイルドですがとても繊細な夢弥座長。

舞台演出からプロデュース、力仕事も何でもできる夢弥座長。芸術の街イタリアのフィレンツェにはファンクラブもあるそうです。

コロナが収まれば世界中のファンに会いに行かれるのが今から楽しみだという事でした。

 

 

藤中夢弥(ふじなか ゆめや)プロフィール

本名:非公開

9月16日 千駄ヶ谷生まれ。

世田谷区、千葉県船橋市、茨城県結城市、常総市を転々とする思春期を過ごす

高校2年で初舞台、2010年曼珠沙華、2代目座長を襲名

日本舞踊宗家、西川流・西川瑞扇に師事

鼓玄正派源流御諏訪太鼓流家元・宗家鼓聖小口大八氏に太鼓師事

舞台では立ち役・女形・お笑い、振り付け・音楽編集・演出・構成に

至るまで曼珠沙華の舞台すべてを手がけている。

 

 

ホームページ:https://manjushaka.wixsite.com/manjushaka/about

曼珠沙華インスタグラム:https://www.instagram.com/manjushaka_offcial/

曼珠沙華フェイスブック:https://www.facebook.com/profile.php?id=100010549696003

曼珠沙華 YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCBSGzA2SD4pSkeQAyOJnIoQ

 

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