日本のトップリーダー達の真実の表情を40年間も撮り続けてきたスゴい人!DAY2

肖像写真家 海田 悠様

『人生の刻まれた顔を撮るのが天命』

 

◆今日から2日間ご紹介するのは、日本の財産ともいえる貴重な人々を撮り続けてきた、肖像写真家、海田悠様。現役の総理大臣をはじめ、上場企業の会長・社長や各界著名人など、時代を創ってきたトップリーダー達、約1000人の心の鎧を脱がせ、本当の内面を撮り続けた唯一無二の写真家である。齢70歳を超えた今も尚現役として、活躍のジャンルはさらに広がりをみせる。その秘訣と心得を聞いた。

 見どころ

― バブル崩壊で降りかかったピンチからチャンスへ!

― 日本を背負って立つ人物たちのエピソード

― 肖像写真以外の作品について

― 今後挑戦したい仕事

 DAY1を読む

編集部(以下編):では本日もよろしくお願いします。

 海田先生(以下敬称略):ワイン飲みながらでもいいかな?

 

編:はい、もちろん!(笑)

『経営者の肖像』については撮りためた写真を出版されるまでに少しお時間がかかっていますよね。

 海:そう。実はね『経営者の肖像』は、当初出版予定だった出版社がバブル崩壊のあおりを受けた為、急に断られちゃった。本を出版するってすごくコストがかかることなんですよ。

 

編:それは大変なピンチをご経験されましたね。

 海:そこで、カメラマンとして広告の仕事をしながら、機会を模索しました。僕自身のライフワークで70人撮り溜めた写真と原稿をどう世間に公開するかをね。友人が講談社の適任者を紹介してくれたんだけど、「出版の有無を決めるにはしばらくかかります」と言われてね。「いえ、1週間でお願いします!」って期限切ったの。それだけの価値があるって僕はわかっていたからね。

 

編:普通の70人ではないですからね。

 海:結果、出版の承諾はしてくれたものの、「〇●社と●〇社の社長を撮ってください。それから和光で展覧会も実現してください」って言われたから、すぐに動いて条件を全部クリアし、展覧会も和光で開催できるよう取り付けたの。

 

編:すごい行動力ですね

 海:それでも本を作るってものすごく大変でね。4年半もかかったし、思うようにいかないことも多かったけれど、最終的には130人の方を撮ることができました。広告のカメラマンとして稼いだお金は全部注ぎ込みました。自信がすごくあったから、怖いものなんてなかったの。

 

編:そうだったんですか!

 海:スゴい経営者の方々に負けないくらいの若さゆえの情熱だけで対峙していく僕に、彼らも誠実に答えてくれた。そんな本気の写真が130枚。僕の仕事は、大袈裟かもしれないけれどある意味命懸けてやっていたので、その意気込みを感じてもらいたいと思っていたんです。

 

編:情熱のまま写真を撮っていらした。お金儲けのために撮っていたのならあのような表情は撮れていないでしょうね。

 海:そしてさらに、“本は売るものではなくて、献本するものだ”と考えるようになった出来事もありました。ある社長のお嬢さんが、お父さんの亡くなられた後に『経営者の肖像』が書斎にあるのを初めて見つけ、「一番好きなお父さんの表情なので、写真を譲ってください」って涙しながらアトリエにいらしたの。

 

編:そうでしたか…。先生が後に、『産業人魂』シリーズを2000冊も図書館に献本されたお気持ちがよくわかりました。

いずれの写真もきっと、大切な方だけに見せる表情の中に、経営者としての顔がしっかり写っている、と言えますね。

 海:責任ある方に共通しているのはね、 みなさん十字架を背負っているということ。TVで見るドラマなんかよりもずっと厳しい毎日を賢明な判断で生きています。自分の判断が国や企業を動かし、多くの人の人生を左右する。そんな立場まで来たそれまでの道のりが顔に現れます。

 美味しいワインをいただきながら楽しい取材となりました

編:まさに生き方が顔に出るんですね。

 海:私はとにかく、あの仕事をする感性とはどんなものだろう、それを写真で伝えたいという思いだけで動いています。

 

編:その一枚の写真を撮影するのは、簡単ではないですよね。

 海:僕自身は事前準備には時間をかけます。例えば3か月後の撮影日が決まったら、そこに照準を合わせて準備します。被写体に関連する出版物は全部買って読むし、ネットがなかったころは図書館で調べていました。

 

編:そこまでするから奥行きのある一枚になるのですね。先生は経営者のみならず、政治家の方のお写真もたくさん撮られています。

 海:きっかけはね。当時、衆議院議長だった綿貫民輔先生に「海田さん、そろそろ政治家の写真撮りなさいよ。」と言われたの。でも、色々と私が戸惑っていたら秘書の方がこう言ったの。「政治の世界はわからないと思いますが、衆議院議長というのは、国会議員の一番トップです。綿貫先生がおっしゃるんですから、全部通りますから。」って(笑)。

 

編:すごい。先生の周りには、必ずサポートする方が現れますね。

 海:またタイトルが『ふだん着の政治家』にしたのも良かった。みな気負わないで撮影に向かえるからね。ある政治家の奥様から、「私にしか見せない顔を、ようお撮りになりましたね」と言われたこともありますよ。

 

編:各党のスゴい方々のお写真で、なかなかこのような写真が一斉に並ぶというコンセプトはありません。貴重な一冊だと思います。

 海:森さんが現役の総理大臣の時、準備して待っていた我々に「遅れてごめんね。前が押しているからもう少し時間ちょうだい。」って廊下を通り過ぎるときに声かけて下さったの。その一言で人柄がわかりますよね。

 

編:はい。

 海:中曽根さんも、撮影の予定が変更になると後日丁寧に謝ったり、ゴルフ場で写真を撮ると、休憩の時、せっかくだから一緒にどうぞ、っておっしゃったり。忙しい方こそ、気配りができる方が多いと思います。

 

編:こちらのお写真はどこで展示されたのですか?

 海:衆議院議長公邸で一か月間展示していただきました。

 

編:え?!どなたがご覧になったんでしょう?

 海:代議士と、各国の大使クラスかな。一般の人は見れなかったね、その時は。僕は人の来ない展覧会も好きなんだよね。贅沢なことだけれども。

 

編:それはなかなか言いたくても言えない人が多いですよ(笑)。

経営者から政治家に続き、その後はバレエや歌舞伎などの文化やアート分野にまでご活躍の場が広がりました。特に先代の市川猿之助丈に密着した「猿之助夢見る姿 スーパー歌舞伎『新・三国志』のできるまで」は壮大な企画です。

 海:そうだね。猿之助さんは歌舞伎の世界で新しいことに挑戦するし、面白いこと大好きだからね。

 今となっては難しい千載一隅の撮影です

編:宙吊りに、スーパー歌舞伎などもなさっていますよね。

 海:国立劇場で『表現者の肖像』の図録をご覧いただいた時にね、しみじみと「これはものすごく面白いなあ・・・先生もっと面白いこと色々考えているんでしょうね。」っておっしゃったんです。だからその時に「ええ、いっぱい考えていますよ。そのひとつに、猿之助さんを撮りたいと思っているんですが…いかがですか?」って尋ねたら、猿之助さんが身を乗り出して、「先生、ぜひともお願いします!」って。

 

編:タイミング良く決まったんですね。しかも、お二人とも少年のような心で会話なさっている感じがステキです。

 海:私がお稽古の邪魔にならないように遠慮がちに撮影していたら、スタッフの方が

「先生、そんな遠慮しないで。猿之助さんが良いって言ってるんだから、どんどん前へ出てください。」って言われてね。それで大胆に撮影することができるようになったんです。

 もし、”俺がカメラマンだ!”っていう姿勢でバンバン撮っていたら逆にダメだっただろうね。今の私ならもっとガンガン行くと思うけど、20年前の私はそこまで図太くなかったから(笑)。人間が年を取る良さは、良い意味で厚かましくなること。歳を重ねると、昔言えなかったことも平気で言えるようになるの。

 

編:確かに、あの山中伸弥教授をして、撮影時に「うちの愛犬ぽぽちゃんを抱っこしてください。(笑)。」なんて言えるのは、海田先生しかいらっしゃいませんから(笑)。

海:ぽぽちゃん、可愛くて仕方ないからね(笑)本にしたいんだけど、ぽぽちゃんだけじゃつまらないんで、『ぽぽちゃんとぽぽちゃんのお友達』ってタイトルにしようかと思ってるからね(笑)

編:ノーベル賞受賞者がお友達のぽぽちゃん!(笑)それにしても写真の山中先生、とても美しいですね。抱っこされているぽぽちゃんのモデル然とした貫禄も驚きですが。

 海:山中先生は本当にきれいなお顔で、ちょっとまた違うけれど、坂東玉三郎さんに並ぶね。玉三郎さんと言えば、後姿があれほど美しい方はなかなかいないよ。男は顔ももちろんだけど、「後姿にその人の肖像がある」って、ある有名な写真家が言ってたほど大事。

 

編:さて、肖像写真に命をかけてきた先生が、風景写真や、松下幸之助さんの真々庵(非公開の庭園)の展覧会も開催され、国内外で高い評価を得ました。

 海:真々庵は、富士山やシルクロードの写真をHPで見たパナソニックの方から、2年かけて真々庵を撮ってもらえませんか。と依頼がありましてね。銀座の吉井画廊の吉井さんが、「うちのパリの画廊で真々庵を展示しましょう!」と。これもよいご縁がつながりました。

 

編:吉井画廊さんでしたか!パリの個展は大盛況だったそうで。日本からもパナソニックの津賀会長(当時社長)がわざわざ観にいらっしゃったと伺いました。

 海:みんな驚きが好きなのよ。アートってそういうもの。トップで活躍されている方はこいうアート的な仕掛けをきちんと楽しんでくれます。実はシルクロード行きを誘われた時、迷ってたの。でも女房が、「あなた覚えてないの?昔、北海道で『海田 悠は風景を撮る写真家』って占い師に言われたじゃない」って。

 

編:一度ならず二度までも。奥様さすがです!シルクロード写真が真々庵へ、それこそ海田ロードを開いたわけですね。

 海:何事もうちの奥様のひと言なんでございます(笑)。男は覚悟決められないの、覚悟決めるのはいつも女性。これからは女性の時代だし、女性を称賛するのは当たり前。だって、男はお母さんから生まれてくるんだから。

 

編:確か先生は、イクメンの“イ”の字もなかった30年以上前に、ご長男の育児をされていましたよね。女性に理解があって先進的!

 海:先進的なわけではなくて、興味のあることは何でも経験してみたい性格なんです。60歳を過ぎてから歯の矯正もしましたよ。美的な側面だけではなく、体にとっても歯並びは大事だからね。

 

編:素晴らしいですね!まだまだ素晴らしい写真が沢山拝見できそうです。

 海:江戸時代の本居宣長が、美しいものは美しい、と感情や欲望を抑え込まない万葉人たちを称賛するでしょう?唐心(朱子学)が入ってきて、感情を抑える儒教が広まり、日本人は大事なものを失ってしまったから、もう一度戻ろうと。人間は物で動くのではなく、美しいものを美しいと思うから動く。写真ってまさに「美しいものを美しい」と表現している瞬間です。そこに向きあう僕自身もきちんとしていたいんですよね。美しいものを美しいと表現できる人間でありたい。

 

編:確かに写真は芸術です。単に動画を静止画像にしたものとは全く違います。感情の機微みたいなものが表現できるというか。

 海:あと真面目な話、谷崎純一郎は79歳で、川端康成は72歳で亡くなってるんだけど、二人とも若い時の色気なんて大したことない、って書いてるの。

本当のエロチシズムっていうのは、男性機能を失くして想像力を働かせるようになって、人間の美しさとはなんだろう?となってからだからね。

 

編:それは知りませんでした…。

 海:スティーブ・ジョブズも尊敬してた乙川弘文禅僧は、遊び方は子どもと戯れる良寛みたいで、私生活は、死ぬまで女好きだった一休のようだったでしょう?私なんかは、「あのじじいエロいね!」って言われる100歳になるといいなって思うの。

 

編:大胆発言ですね(笑)。

 海:もちろん若者が言うエロいとは違うからね。100歳になった時に遠く彼方も、現実もちゃんと見て、自分の足でしっかり立っていられて、しかもあの人は後姿に色気があるなあ、っていう老人になっていられたら、ってこと。

 

編:ではその色気ある未来に向かうこれからの四半世紀、何を撮影なさりたいでしょうか。

 海:2021年出版予定の『産業人魂Ⅲ』の撮影がまだ少し残ってる。ちなみに産業人魂は、Ⅴまで出すからね。それから、誰もが知っている鬼籍に入られた経営者30人ほどから、撮影後にこっそり聞いたこぼれ話などを本にまとめようかと。

 

編:それは楽しみです!

 海:あとは、今、撮っている奈良県明日香村に続いて日本古来の文化を写していきたいと思います。実は85歳になったら命がけで撮りたい場所があるの。まだ内緒だけど。あえて身体が弱って“あちらの世界”に近づいた時にね(笑)。若くて元気だとできない表現ってあるから。

 

編:壮大なプランですね。楽しみです。

 海:それに、顔と肉体の変化を自分が100歳になるまで記録しますよ。気が短くなり、わがままになって、もしもコントロールできない認知症になったらどういう顔になるのか、それも記録しようと思ってて。そのうち、「海田 悠」から「海田 遊」に変えて、最後は幽霊の幽、「海田 幽」に変えて活動していこうかな。

 

編:面白いですね!ぜひ100歳まで(いえ、おいくつまででも)撮り続けて下さい。先生の「色気のある」後姿を引き続き拝めるのを楽しみにしております。

 

 (了)

取材:Noriko ライター:MAYA 

 【取材を終えて】

純度120%の情熱に触れ、自分の在り方を見つめなおす好機をいただいた。いつもヨウジヤマモトを身体の一部のように着こなし、只者ではないオーラを発しつつも、とても楽しく人懐っこいお人柄の海田 悠先生。

なんと、道で気になる顔を見つけると、撮らせてもらうこともよくあるそうだ。

5年ほど前、先生の広いアトリエのパーティーに初めてお招きいただいた日のことは今でも鮮明に覚えている。先生と廣子夫人が、それはそれは温かく出迎えて下さった。

しかも参加者は経営者の他、一流のクリエーター、音楽家、女優、舞踏家らばかり。日仏の架け橋、ドラ・トーザンさんもいらした。気後れしながらお邪魔した一般人の私に対しても、分け隔てなくどなたも気さくに話しかけてくださり、温かな方ばかりだった。コロナ前まで定期的に行われていたこのパーティーが、実は、JAL元会長 伍堂輝雄氏の慣習に感銘を受けてのことだったと取材で知り、感慨もひとしおである。

 

 

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