インタビューでも時々、シャイな表情を浮かべて、質問に答えてくださったのは、かつて『週刊少年ジャンプ』でスポーツ漫画を中心に活躍した今泉伸二さん。『空のキャンバス』『神様はサウスポー』などやわらかいタッチの作品を描く一方、劇画調の作品も発表。高い表現力で、ファンを魅了してきました。そんな今泉さんの漫画家となった衝撃の経緯と、その半生について伺います。
情熱と行動力!
スポーツ漫画の魅力は人生訓
──人気投票を意識せず、自分がやりたい漫画をやろうと推したことはありますか。
やりたい漫画はありましたが、推した企画は通らなかったんです。SFみたいな作品をやりたかったんですが、OKが出なかった。
──『週刊少年ジャンプ』を出てでもSFをやろう!とは思わなかったんですか。
それはなかったですね。自分の中で確固たる自信があればまた違ったんでしょうが、そうではなかったので。編集さんが面白くないっていうものは面白くないんだなって思いました。当時のジャンプがそういうものを推していなかったのもありますが。
──スポーツ漫画の魅力はどういう点でしょうか。
友情、努力、勝利。古い言葉ですが、根性みたいなものですね。そして成長。自分もそういうものを見て育ってきました。『巨人の星』とかね。多分、人生訓として影響を受けてしまっているんです。
たとえば、『巨人の星』で主人公、星飛雄馬がジョギングしていて、いつも通る道が工事中で通行止めになっているシーンがあるんですが、その時、近い方の道を通ると、その先に父、星一徹が鬼の形相で待っているんです。「なぜお前は楽な方の道を選んだっ!」ってバーンと殴っちゃったりする。そういう、努力や鍛錬に対しての価値観というか、人生訓を子供時代に漫画から学んだと言うのはあると思います。
──スポーツ漫画以外にも料理漫画も描かれていますよね。
苦労しましたね(笑)。当時、それほど料理には詳しく無くて、実際に自分で作ってみるなんて時間もほとんど取れなかったですから。今の方が料理には経験値が上がっているので良かったかも知れません。原作者さんあっての賜物です。料理漫画の場合、出来上がった料理の絵だけでは決着がつかず、その後に誰か重要人物が、その料理に対してのうんちくだったり、感想、想いだったりをかなりの量を描かなくてはならないので、その辺の配分が難しかったですね。
試行錯誤した絵柄の変化
──途中から劇画風の絵柄に変わられましたが、なぜでしょうか。
新しく創刊された雑誌に呼ばれた時に《劇画誌》と言う事だったんで、それに合わせたと言う感じです。実は自分の絵はもともとは、どちらかと言うと劇画調だったんですね。『少年ジャンプ』で担当してくださった堀江さん(編集注:後の少年ジャンプ編集長、現株式会社コアミックス代表取締役社長)という優秀な編集の方が担当してくださって、当時のジャンプは目が丸くないと駄目と言われたんです。劇画調の絵って目が細長いじゃないですか。そうじゃなくて少年ジャンプは子供向けだから、と。
でもその後、堀江さんは『北斗の拳』を担当されてるんですけどね(笑)。『北斗の拳』が出るまでは目が丸い絵柄が主流でした。ただ、原哲夫先生の絵はずば抜けて凄いですからね。あれを変えてはいけないと思ったんだと思います。突き抜けている先生は強いです。
──丸い目を描けと言われてすぐ描けたんですか?
いえ。一時期、青年誌の方に持ち込んでいて賞を貰ったりもしたんですが、掲載には至らなかったんです。ただ、賞を取った作品にコメディのがあって(それまではシリアスなものが多かった)、自ら丸い目を描くようになっていました。だったらと、それで『少年ジャンプ』に舞い戻ったんです。
──サラッと言われましたが、賞ってそんなにポンポン獲れるものなんですか?
おそらく「頑張ってるから」(しつこく来るから)と、しがみついて粘っていた点が評価されて、獲らせてくれた部分はあるんじゃないかと思っています。
──絵柄を変えるのは難しいのではないでしょうか。
デビュー前は絵柄がまだ固まっていない時期だったので。後年、劇画調にかえた時は、もともと漫画を描き出した時が劇画調だったので何とかなった、そんな感じです。ただ、劇画調の絵に慣れてしまうと、かわいい丸い目の『まんが絵』が描けなくなって、自分の場合は苦労しました。今も苦労しています、今はかわいい絵を描こうとしているので。やはり、バランスが全然違うんですよね…。
行動が道を切り拓くという信念。漫画家として生きること
──絵柄が変わることは、ファンにはどう受け止められたと思いますか。
自分では、あまりよくなかったかなと思います。リアルな感じの絵にしてしまうと自分の場合、個性がなくなってしまうんですね。おそらくファンの方たちもそう思っているんじゃないでしょうか。
──若い頃はかなり無理をされていたんですか?
漫画の週刊連載は過酷ですからね(笑)、何日も寝られなかったりなんて事もあります。若い頃はそれでも何とかなるんですが、30歳も過ぎたら体力的にきつくなりますし、そういう生活はのちのち体に悪影響を及ぼしてしまう。だから今、漫画を描いている人や描き始めた人には、なるべく下書きなしで絵を描けるような技術を身につけて欲しいと思っています。下書きは描いてもアタリだけ。それで制作時間を圧縮できますから。負担を減らすことで、漫画家としてやっていける時間を伸ばすことに繋がります。
漫画の基礎の基礎を教えるYouTubeチャンネルを開設
──現在『今泉伸二漫画館』というYouTubeチャンネルを解説していらっしゃいますよね。漫画の描き方動画を公開しようと思ったのはなぜでしょうか。
自分で発信できるものは、そこしかないですからね。
最初は、デビュー寸前のバリバリ漫画家志望の人の役に立つものを作ろうと思ったんですが、友人と話していて、YouTubeで漫画の描き方を見る人は、もっと初歩的なの最初の取っ付き方がわからない人が大半だと言われたんですね、確かにそうかなと思いました。
なので最初は顔を簡略化した《左右の目と口》の《点3つ》で顔を描く事から始めたんですが、漫画の場合、どののアングルからも描けなければならないですから、やはりデッサンをやらなくてはいけないかな、と思って今は図形デッサンをやっています。
──図形のデッサンの基礎から漫画の描き方を指南するコンテンツは案外少ないように思います。
漫画は一般的な絵画とは違って、ほとんどの場合、真っ白な紙に何も見ずに人物や背景を構築しなければなりません。そのためには石膏デッサンやクロッキーよりも《何も見ずに絵を描けるための》練習をしなくてはならない。最低限、何も見ずに形を取れる事が重要なんです。そのためにいろんな図形を、何も見ずにどのアングルからでも描けるようになる練習をしてもらっています。
それともう一つ、絵というのは練習しないと全く上手くならないんですね。人の話を聞いたり見たりして、うなずいているだけでは絶対に上手くならない。必ず手を動かさないとダメなんです。
良いと言われたことはまずやってみる。やってみると出来ない自分を体感できる。そうすと次は出来るようになるための工夫ができる。そうやって自分の技術にして、体に馴染ませないとダメなんです。描いても上手くならなと言っている人は、実際は言うほど描いていないんだと思います。
──後進の育成を意識されているんですね。
自分の年齢的なものもありますし、これまで、途中で挫折する人もたくさん見てきました。資金が尽きて断念する人も見てきました。そういったリスクをなるべく回避してもらいたい、そういう思いですね。『少年ジャンプ』に持ち込みしようと勧めることもあります。
大量の漫画家志望者を受け入れるだけのキャパシティは業界自体にもがありませんから、上の方でみんなてっぺんを目指して切磋琢磨する世界です。絵だけ描いて暮らせればいいというぬるい感じだとすぐに消えてしまうので、覚悟と決意をもって望んで欲しいなと思う訳です。自分もそうやってこれたとは言い切れないですが、ここまでやってきたことで、俯瞰して見えるものがあったりします。
──今後の展望について伺えますか。
具体的な話が決まっているわけではないんですが、新しい漫画を描くなら4コマとか4ページとか少量の物がいいですね。年齢も年齢なので、結果が速く出る作業でないと体がついて行かないです。描くスピードも5倍くらい上げないとですね(笑)。
──ありがとうございました。
(了)
インタビュー:アレス 撮影・ライター:久世薫
今泉 伸二(いまいずみ しんじ) プロフィール:
群馬県桐生市出身。1984年に『ブリキの鉄人』(集英社)で漫画家デビュー。2年後の1986年には『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『空のキャンバス』の連載を開始する。以来、スポーツものを中心に、少年誌、青年誌で活躍する。代表作は『神様はサウスポー』(集英社)。『週刊少年ジャンプ』にて連載した本作は、2009年には『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)で続編『神様はサウスポーDIAMOND』が連載された。
現在、YouTubeチャンネル『今泉伸二漫画館』で、初心者に向けた漫画の描き方などを公開している。
公式サイト:『今泉伸二.com』http://www.imaizumishinji.com/
YouTube:『今泉伸二漫画館』https://www.youtube.com/channel/UCFMMjxDJdlw68jBRSx4rw9w/