野球漫画で大ヒットを連発するスゴい人!

山では希少だった漫画

ちばてつや氏のアシスタントへ

タッグ結成

2017年、途中掲載誌を変えながらも、20年間の長きにわたって連載された野球漫画が最終回を迎えた。
多数のプロ野球選手がファンだと公言している漫画の一つ、『Dreams』である。
今回は、本作をはじめ『4P田中くん』『風光る』『天のプラタナス』など、いずれも長期連載となった野球漫画や、数々の作品を送り出してきた漫画家にお話をお聞きした。

さあ…
漫画家
川 三番地様の登場です!

山では希少だった漫画

青森の山岳地帯の出身で、活発な子どもでした。
みんなを連れて畑へ行って、キュウリやスイカを失敬したり。
大人たちも子どもらが食べちゃうのは織り込み済みって感じでしたね。
当時読んでいた漫画は『鉄腕アトム』『紫電改のタカ』『忍者武芸帳』のみ。
村に書店が無くて、誰かが街で買ってきた漫画を回し読みするぐらいしかなくて。
小学3年生くらいの頃、読んでいるうちに描きたくなったんですね。
アトムみたいな自作のキャラはイマイチでしたが、似顔絵は結構ウケました。
うっすら漫画家になりたいとは思っていたんです。

Gペンと似顔絵

中学に上がって、私たちの時代は、Gペンを使ったペン習字の授業があったんです。
「これって漫画家が使ってるヤツじゃねえか?」と気付いて、じゃあコレで描いてみようと。
Gペンで描いた似顔絵を、雑誌の読者コーナーに応募し始めました。
週刊誌は手に入らなくて、「冒険王」という月刊誌を読んでいました。
50人くらいの村で、毎月1人くらいは街へ買い物に行くんですが、週刊のペースじゃない(笑)
『あしたのジョー』は週刊連載だったから、当時は読めなかった。
似顔絵が入賞するようになって、誌面に掲載されるんですが、もう一つ階段を上ろうとしても、手探り状態。
漫画家さんの記事で、未知の道具の存在を知ったり、「ストーリー」って言葉を覚えるくらいで、偶然出会う情報しか無かったんです。

「マンガ家入門」

高校生になって、廃部になっていた漫画同好会を再興しました。
その時、先代の部長に『石ノ森章太郎のマンガ家入門』をいただいたんです。
後に漫画家になる多くの人に影響を与えた指南書ですが、これは恐ろしい本でして。
ケント紙を使う、コマを割る、セリフを入れる…段取りが全て書いてある。
これを読めば全てがわかる!と、衝撃を受けました。
石ノ森章太郎先生の「墨汁一滴」という同人誌があって、その東北地方の分家みたいな本に描いたりしつつ、「週刊少年ジャンプ」の「赤塚賞」に応募したんです。
連絡がずっと来なくって、毎日本屋に通ったものです。
この時は結局ダメで、集団就職の最後の方で上京し、就職しました。

ちばてつや氏のアシスタントへ

漫画家になりたくて、少しでも関係があるかと印刷所を選んだんです。
仕事をしながら、とにかく早く仕上げたくて、一日24枚描いたこともありました。
上手に描いたら1コマ1ヶ月かかるけど(笑)
思いついたらじれったくて、丸にチョンの絵でもいいから、って気持ちでやっていました。
またジャンプに持ち込みをしたんですが、コピーを取っておくと言われて。
原稿を返されてしまったので、それは全部捨てました。
ある時、ちばてつや先生のアシスタントのお話があって、ちばプロに入ることになりました。
この辺りのことは、拙著『あしたのジョーに憧れて』にも描いた通りで。
アシスタントの中でも、一番下っ端で、絵も下手だったんです。
自分の漫画も描かなきゃなんだけど、作画も上達させて、ちばプロの戦力にもなりたい。
そういう訳で、とにかくシーンが思い浮かんだら、そこだけでも描くことをしていました。
ストーリーが浮かぶのを待っていたら、いつまでも絵が描けない、上達しないと考えたんです。
当時の主要な漫画誌すべてでデビューする!と大きな目標を立てていたので、5作品同時に進行していました。

ギャグ漫画家としてデビュー

デビューしてすぐ連載をいただき、「赤塚不二夫の再来だ」なんて、ギャグ漫画で人気がでたんですが、失敗でした。
雑誌にしても、ギャグはいつでも打ち切りにできるんですね。
頑張っても単行本で3巻ぐらい。
ストーリー漫画を描きたいんですが、絵がまだまだついていかなくて。
いい話を思いついても、描けない訳です。
アシスタントさんには「ギャグだけど、キッチリした絵を入れてください」と言っていました。
絵がついてきたらいつかストーリーに転向するつもりで。
この頃出会った小林まことさんには影響を受けましたね。
『1・2の三四郎』はそれまで無かった笑い。
我流で良いんだ、これを同い年の人が具現化しているのはすげえな、と。
ギャグで仕事が無くなってきて、いよいよストーリー漫画しかないと、好きな野球でいってみる事にしました。

タッグ結成

ストーリーは原作者が居ないと締切が守れない、と気付いたんです(笑)
そこで、ちば先生の末の弟さんですが、七三太朗さんと組めないかと思って。
七三さんはまだ漫画賞をとっていない、絶対一緒にとろうと決めて、タッグを組みました。
キャラは描きやすいものをと、背の低さ、東北出身、苗字まで自分の反映。
中学生の頃は背が低かったんです(笑)
それで『4P田中くん』を始めて、51巻まで続く連載となりました。
七三さんと相性が良いんですね、本当に有難いです。
その後の『風光る』は44巻まで続き、講談社漫画賞をいただけ、誓いも果たせました。
2017年まで連載した『Dreams』には一番思い入れがあります。
一番力を注いだと思うし、最長連載となりましたから。
集団行動に合わない天才の物語なんですが、ストーリーの中身は、全編通して暖かいんですよね。
打ち合わせ通りに描くことはあまりなくて、主人公に煙草を吸わせたり、暴力を振るったり、修正が効かなくなってから、どうしようかと考えて。
申し訳ないと思いながら、七三さんに「本当に良いんですか」なんて相談してね(笑)
長い連載で世の中も変わったけれど、最初に決めたことを諦めないでやりましょうと、そういう物語となりました。

これから描くもの

実は今、リハビリ中なんです。
草野球でボールに飛びついた時、右手の人差し指をスパイクで裂いて、13針縫ったり、それで関節が曲がらなくなって、肩も壊しちゃったり、色々あったんですが(笑)
13時間で40ページ、8時間で20ページなんてやっていましたから。
手が嫌がっちゃって、ペンがカチンカチンと逃げていくんですね。
ああ、それ以上はキツイ!って。
次に描きたいものは、その時にならないとわからないよね。
アイディアをメモしておいても、次の日見たら「何だこりゃ?」なんてさ。
次の日続かないものは捨てちゃう。
続けてさえいれば何とかなるでしょう、と思っていた時期もあったんですが、「やるぜ!」って気持ちでやらなきゃできないんですよ。
やる気にならないとね。

取材を終えて

七三さんとのタッグで漫画賞を取ることに成功した川三番地さん。
実は、主要な漫画雑誌全てで描く、という目標も達成しているそうだ。
「もっと若い時に、読み切りを依頼されたりしたんですけど、連載への試金石ってわかってなかったんですね」
本気を出せば良かった、と後悔することもあったという。
それからは、人気が落ちたら遠慮無く打ち切りにして欲しい、と伝えることにしたとか。
作家の思いが作品に乗り移るのか、快進撃はここから始まったのだ。
現在はリハビリ中ということだが、じっくりと回復していただき、復帰作を楽しみに待ちたい。

プロフィール

川 三番地(かわ・さんばんち)
漫画家

青森県出身。
1980年『武道半人前』が講談社新人漫画賞特別入選。
同年、『男ぞ!硬介』(週刊少年マガジン)で連載デビュー。
以後、同誌で作品を発表しながら、他誌でも執筆。
原作者・七三太朗氏と『4P田中くん』発表以降、野球漫画で人気となる。
1992年『風光る』で、第16回講談社漫画賞を受賞。
近年発表した、ちばてつや氏の下でのアシスタント時代を描いた『あしたのジョーに憧れて』が話題となった。

◆Amazon著者ページ
http://amzn.to/2nLzxZA

◆『4P田中くん』無料公開ページ
https://www.sukima.me/book/title/BT0000365191/

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事