PWAワールドツアーで5年連続シングルをキープするウィンドサーファーのスゴい人!

ウィンドサーフィンとの出会いは18歳

万年二位の10年間

諦めることはなかった

本日登場するスゴい人は、世界で活躍するウィンドサーフィン選手。
2001年にプロ転向し、2004年にはアジアンチャンピオン、2007年にはPWAワールドカップ3位を獲得。
2008年から本格的にPWAワールドツアーに参戦し、2013~2017年の5年間シングルをキープ。
国内では、2011~2013年3年連続全日本チャンピオンを獲得している。
2017年には、ワールドカップが24年ぶりに日本で開催され話題となったウィンドサーフィンの世界で、日本トップで活躍する女性。
一見すると順調に見える経歴だが、全日本チャンピオンになるまでにプロ転向から10年を要した。

さあ…
プロウィンドサーファー
鈴木 文子様の登場です!

海が好きなスポーツ少女

両親ともスポーツがすごく好きだったので、小さい時からキャンプや色々なイベントに連れて行ってもらいました。
父から「勉強が嫌いなら他に何か好きなことを見つけて一生懸命やりなさい」と言われ、剣道やスキーなど、小さい時からスポーツをやってきました。
自然と体育の先生やスポーツの先生になりたいと思うようになりました。
また、母が海育ちだったので、夏は毎年必ず海に行っていて、小さい頃から海は大好きでした。

ウィンドサーフィンとの出会いは18歳

体育教師になるために大学進学も考えたのですが、母が見つけてきたマリンスポーツの専門学校に進学しました。
ダイビング、ヨット、カヌーなど色々な授業があり、ウィンドサーフィンもその一つでした。
ウィンドサーフィンが一番簡単にできなくて面白かったのと、若くて格好いい先生が多かったので、ウィンドサーフィンを専攻しました。
私はあまりできない方で、覚えも悪いし、考えるよりも動くため、やっては壁に当たり、やりながら覚えました。
ただ、面白くて、毎週授業が楽しみでした。
風も波もその日によって違うので、毎回同じ練習ができなくて、必死にやっていました。

プロの走りに憧れて

卒業後はウィンドサーフィンを続けたかったので、ウィンドサーフィンショップに就職。
当時はプロになりたいという気持ちはありましたが、まだレースに出るレベルではありませんでした。
最初のレースは友達と女の子だけのレースに参加してみたら、2位になって。
賞品としてウィンドサーフィンの道具をもらえて、大会に出るのが楽しくなりました。
本格的に練習しようかなと思った時に、練習で行った本栖湖に当時の日本チャンピオンの女性が来ていて、初めて女性のプロの走りを見て、遠くから見ると男性と間違えるほど迫力があり、そういう走りをしたいと、憧れが強くなりました。
縁あって、その方のツアーに参加して練習を見てもらい、「プロを目指すならうちの店に来て、インストラクターをしながら続けたらどう?」と声をかけていただきました。
プロになるのはかなり先の話だったので、インストラクターをして、空いている時間に練習し、道具を揃えるところから始まりました。
ウィンドサーフィンは、とにかく毎日海に居続けて練習するのがすごく大事なので、そういう環境になったのはすごくよかったです。
私の時はプロになる規定がなかったので、1年間アマチュアの大きな大会すべてに出て、全部に優勝した翌年からプロに登録しました。

万年二位の10年間

プロになったからと言ってスポンサーがあるわけでもなく、生活もあまり変わりません。
日本一になるまでは「自分はプロになって良かったのかな」という迷いはずっとありました。
プロになってから初めて全日本チャンピオンになるまでに、10年かかりました。
声をかけてくれた先輩がとにかく強くて、プロになる時に「もし私を倒すなら5年はかかるよね」と言われていたのですが、倒せなくて。
間近で背中を見ながら万年2位で、まぐれで勝つこともなく、コテンパンにやられ続けていました。
どうやったら勝てるかすごく悩んだ時に、ウィンドサーフィンは長年の経験や知識もすごく大事だったので、その人と同じように毎日練習していたら、同じようにレベルアップしていくだけなので、国内よりもっとレベルの高い、先輩がたくさんいるくらいのレベルの中で戦って練習していけば一段上がれるかなと思い、世界を目指すようになりました。

海外での経験が結果につながる

2004年、たまたまインストラクターとしてサイパンに行って、そこでプロクラスの大会に出て優勝しました。
その後アジアンツアーがあり、ある企業がサポートする日本人選手を探していて。
優勝したことで声をかけてもらって、初めてお金をもらって1か月半アジアの大会を周りました。
世界の選手と知り合い、その出会いが数年後にワールドカップに出るきっかけになりました。
普段ワールドカップはヨーロッパなどで行われることが多く、当時10年くらいは日本選手が出場していませんでした。
情報もなく、行くのも夢のような世界という感じでしたね。
たまたま韓国で、そのアジアンツアーがワールドカップとコラボのような形で大会を開催した年があり、いい機会だと思って挑戦しました。
初出場で3位になり、表彰台に上がれました。
その時、この人たちの中で戦っていけば、日本でチャンピオンになれると思ったのです。
この経験が日本一につながり、その後も勝てるようになったので、簡単ではなかったですが、結果が出て良かったです。

諦めることはなかった

日本チャンピオンになるまでの10年は長かったですが、諦めることはありませんでした。
とにかく勝ちたいだけでやっていました。
自分の中では1回勝ってもまぐれだと思い、その方は10年以上ずっと連続チャンピオンだったので、超えるには連覇しなければと思って、自分の中では「3回は連続優勝しよう」という気持ちはあり、達成しました。
最初に勝った時は多少運もあったと感じましたが、初めて完全優勝した大会は、終わった後に先輩が「良かったね」と涙ぐみながら言ってくれて、初めて実感がわきました。
初めて褒めてもらったという感じがしました。
小さい時から何か一つ始めたら、例えば習い事も一度やったら辞めない、辞めさせないという親だったので、上手くいかないときも辞めようと考えたことがありませんでした。
とにかく嫌でも続ける。
小さい時からそういう風に育ってきたのかもしれません。
そういった親の教育があったから、10年も20年も、勝てなくてもずっと続けてこられたのかなと思います。

再び世界の表彰台を目指して

夢や目標があるなら、やりたいと思うことを我慢せず、やりたいと思ったら何でもやるのがいいと思います。
できないかな、と自分で決めないで、やりたいと思ったらまずやって、やり続けてみたらいいかなと思います。
最近は海外に行ったりして全日本チャンピオンを逃しているので、今後はもう一度日本一を目指したいと思います。
また世界でも、女子のレベルがどんどん上がってなかなか厳しい戦いになってきた中で、2016年までは少しずつランキングを下げていましたが、昨年は手応えを感じ、ランキングを1つ上げ2017年は年間ランキング8位でした。
まだイケると感じているので、また世界の表彰台に上りたいと思います。

取材を終えて

全日本チャンピオンになるまでの10年間はどんな想いで、何を支えに頑張ってこられたのかと思ったのですが、「勝ちたくて必死だった。“つらいから辞めよう”とは思わなかった」という言葉を聞き、このまっすぐな強い意志があったからこそ、10年越しで全日本チャンピオンの座を獲得することができたのだと感じました。
今後もさらなるご活躍から目が離せません。

プロフィール

鈴木 文子(すずき・あやこ)

高校卒業後、海好きの母の勧めでYMCA海洋科学専門学校マリンスポーツ科に入学し、授業でウィンドサーフィンと出会って以降、自然相手の難しい競技にのめり込む。
卒業後、練習中に全日本チャンピオンと出会った事で、日本一を目指すようになり、インストラクターを行いながらプロ選手の道を模索し始める。
その後、2001年プロ転向、2004年アジアンチャンピオン、2007年PWAワールドカップ3位、
2008年から本格的にPWAワールドツアーに参戦し、2013~2017年はシングルをキープ(国内では、2011~2013年3年連続全日本チャンピオン)
キャリア20年で、世界一は射程圏内。
世界一が獲れる実力ながら、戦う場へ行く為の資金調達との戦いに苦慮している現在。
インストラクターとしては20年間で3000人越の生徒を指導、逆に生徒達から粘り強さを学んだ。
40歳を過ぎたが、女子プロの第一人者として世界中の若手女子に負ける訳にはいかないと、
飽くなき挑戦心を高めている。

◆athlete yell http://www.athleteyell.jp/suzuki_ayako/sports_funding/17/
◆ブログ Life is wind2 https://ameblo.jp/j61ayako/

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