不景気だったからこそ新たなチャレンジができた
もうこれ以上底はないと、自分達を奮い立たせる
ドラゴンボールの“元気玉”経営
2008年9月にリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが破綻し、続発的に世界的金融危機が発生した。
日本の経済も大打撃を受け、不動産の価値は低迷し多くの企業が倒産した。
これほど経済も不動産も冷え切っているにもかかわらず、翌月の2008年10月に新たなチャレンジをするために不動産会社を設立したのが、本日のスゴい人。
更にこの会社は6年後の2014年に、従業員わずか23名でのスピード上場を実現している。
世間の誰もが無謀だという時期に不動産会社設立という決断をし、上場まで実現できたのは何故なのだろうか?
その要因を教えてもらおう。
さあ…
株式会社ビーロット
代表取締役社長 宮内 誠様の登場です!
高校、大学受験をしなかった不安
小学校の高学年で頑張り、付属中学に入学したのですが、高校・大学の受験をしていないので楽をしてしまったという思いが拭えませんでした。
大学を卒業する時はまさにバブルの時で、就職先はいくらでもありましたが、そのまま社会に出ても埋もれてしまうのではないかという不安がありました。
バブルの流れに逆らう人生
大学卒業後の進路は、厳しい環境に身を置いて力を付けようと、就職ではなく留学を選択しました。
経営学の大学院は2年のプログラムでしたが、英語力向上と勤務経験を積むためのインターシップ等、入学までに1年半を費やしました。
文化の違いもありますが、「日本人は発言しない」と教授に言われたことは印象的でした。
自分の意見や見解を発言して議論に参加すれば、誤った回答でも点はもらえるのです。
そのため、とにかく毎回発言し参加する気構えをもって授業に臨んでいました。
この時は、海外であらゆることを必死に勉強し、大学院を卒業できたことが達成感と共に自信へと繋がりました。
不景気だったからこそ新たなチャレンジができた
帰国後は三和銀行に入り11年間お世話になりました。
3年目からは不動産ファンドやプロジェクトファイナンスと呼ばれる、新しい融資方法や投資スキームを海外から日本に導入する業務を担当しました。
当時、専門知識を持つ人材が少なく、すぐに直接役員へ説明することとなりました。
沢山の案件を通じて社内外に膨大な人脈もでき、画期的なプロジェクトも完遂できたことが自信になりました。
そんな中、銀行の合併がありました。
合併先とのカルチャーの違いに当惑し、自分の専門分野はマニアック過ぎて潰しがきかないと思っていた矢先、取引先の不動産会社から新任役員としてスカウトされることとなりました。
もうこれ以上底はないと、自分達を奮い立たせる
銀行員時代に不動産証券化プロジェクトを一緒に成し遂げた取引先の役員が、自分の仕事を高く評価した結果のスカウトでした。
一緒にプロジェクトを手掛けてきた生え抜きの常務2名が快く迎え入れてくれたこと、またその2名と自分の得意分野が違うことに魅力を感じ、思い切って転職を決意しました。
しかし、前向きな業務もつかの間で、リーマン・ショックに向かう下り坂の時期であり、残念ながらわずか2年で退職することとなります。
一時は隆盛を極めていた不動産ファンド会社が毎週潰れていく世の中で、まるで焼け野原に草一つ生えないような環境でした。
近い時期に、生え抜きの常務2名も辞めていました。
夜な夜な「一度きりの人生で、誰とどのように働きたいか」と飲んでいた時「この際、3人で楽しい会社創りをやってみるか!」と意気投合し立ち上げたのがビーロットです。
もうこれ以上底はないと自分達を奮い立たせながらも、夢いっぱいのスタートでした。
揺るがない軸の先に見えた光
3人それぞれ得意分野も違って性格もバラバラ。
それでも敢えて3人で力を合わせ、純粋に良い仕事を重ねて、同じビジョンを持った仲間と会社を大きくすることを目指しました。
幸い、不動産市場が徐々に良くなり始めた頃、2011年3月東日本大震災が発生し仕事が止まりました。
その頃、新しい取り組みとして北海道への支社設立を決定し、東京と札幌で人材に内定も出していました。
もちろん、それぞれに相応する給与での入社前提です。
「ビーロットのこの3人は面白い」と選んでくれて入社した社員に「売上もない・仕事がない」状態を続けてしまっては期待に応えられないと、全員でお客様に「不動産を買うには、むしろ良い時期だ」と提案営業を始めました。
苦しい時でも、きつい時でも、「会社の拡大を常に図る、そしてビジョンが同じ人材がいたら採用する」という企業方針を変えず、計画通り新しい人材を迎え、北海道支社も設立しました。
そして、新しい人材の貢献もあり、全社員の力を結集した結果、滞っていたプロジェクトも動き出し、最終的にその年の決算はほんのわずかですが黒字でした。
この年、わずかでも黒字にできたことが、金融機関からの評価を得ることにつながり、自分たちが最も得意とする「不動産再生ビジネス」のための融資を受けられることとなります。
「活かしきれていない不動産を買って、価値を高めて、売る」というビーロットの成長ドライブの事業です。
不動産再生ビジネスにおける「人脈」や「経験」といった自分たちの強みは理解していましたが、強みを活かすために「資金力」が不可欠だったのです。
2011年の厳しい環境を全社員で乗り越えたからこそ、資金力に基づく不動産再生ビジネスが本格化し、2014年の上場へと繋がったと強く思います。
ドラゴンボールの“元気玉”経営
隣を見れば優秀な人がいて、時には力を合わせ、時にはライバルとなり、でも一緒に酒を飲むと楽しい。
そんな楽しくやり甲斐を持つ人たちが集まる組織を目指しています。
仕事でお会いしたお客様が、会社や社員を信用してくださり、プライベートな相談をされることも多々あるのですが、巡り合ったご縁が太く長くなっていくのが何より嬉しいのです。
「仕事を楽しむ。楽しめるように、取り組む。楽しむために力を結集する。」これがビーロットの企業文化です。
ある社員が「ドラゴンボールの元気玉だ!」と表現し、その通りだと思いました。
今後も、仕事を楽しむ魅力がある力のある人材を増やし、組織としての成長を目指します。
父から頂いたギフト
父からは「とにかく力を付けるために勉強しろ、それが将来自分の道を切り拓く助けになる」と言われ続けてきました。
そして、「友だちと仲良くしろ、曲がった事はするな」と。
これらの言葉が自分の人格を形成したのだと思います。
父は幼い頃から「会社を継がせることは無いから、自分の道は自ら切り拓け、その為には支援をする」と言っていました。
父から仕事はもらいませんが、経済人としての背中を常に見せてくれています。
そして、父のお陰で経済界の第一線で活躍されるスゴい人達と直接接することができたことは、良い刺激となりました。
なにより、健全な心と健康な身体を頂いたことを両親に感謝しています。
自分はまだまだですが、いつか世の中に良い影響を与える経済人になれるよう、日々、目の前の事に誠実に取り組んでいくだけです。
たとえ私がいなくなっても、この楽しい文化が継承され成長し続け、永遠に存続する会社作りをしていきます。
取材を終えて
宮内社長の取材を終えた瞬間、直感的に「この方は将来、間違いなく経済界を背負って立つ人になるだろう」と思えた。
それは仕事の能力も高いが、人としての誠実さが滲み出ていたから。
お父様はオリックスの宮内前・会長であるが、お父様は年に1回ワインを数本差し入れてくれるくらいだそうだ。
そして、「お前、ゼロから会社つくったの?面白いな!俺も若かったらやってみたいな」と声を掛けたそうだ。
親子であるが、経済人として息子を認めた瞬間であると思う。この関係性は素晴らしいと感じた。
きっと宮内社長にとって、この父からの言葉は勲章の一つなのだと思う。
素晴らしくバランスの取れた組織づくりをされているビーロットさんが繰り広げる未来が、本当に楽しみである。
プロフィール
宮内 誠(みやうち・まこと)
株式会社ビーロット 代表取締役社長
◆株式会社ビーロット http://www.b-lot.co.jp/