マイケル・ジャクソンなど海外有名アーティストとの信頼関係を作り上げたスゴい人!

放送部での経験が音響や放送への興味を持つきっかけに

AFSとの運命的な出会い

海外有名アーティストとの関わり

ビートルズやボブ・ディランの登場で世界のミュージックシーンが大きく変化した1960~1970年代。
その後続々と、マイケル・ジャクソンやワム!、フリオ・イグレシアス、シンディー・ローパーなど名だたる有名アーティストが新しい音楽を生み出した1980年代。
本日のスゴい人は、そんな彼らを日本マーケットへ紹介し個人的にも親交を深めた人である。
彼はどのようにして日本に洋楽というカルチャーを浸透させ、多くの日本人を熱くさせたのか。

さあ…
元CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)
田中 章様の登場です!

放送部での経験が音響や放送への興味を持つきっかけに

小学校では放送部に入り、放送部員として音楽を流したり、放送機材に触れたりする機会を得ました。
ちょうどその頃、両親がソニーのOPENデッキを買ってくれましてね。
いわゆる録音機材で、丸いテープが2つセットできて、マイクで音を拾って録音するものです。
初めて音響に触れたこのことが、後に音楽や放送というものに興味を持つきっかけとなりました。

洋楽への興味が異文化への興味へと進化

進学したのは中高一貫の男子校でした。
少数ではありましたが洋楽好きの友人もおりました。
彼らとは今でも仲の良い友人です。
初めて手に入れたレコードも友人からの誕生日プレゼントで、ビートルズの“She Loves You”
ラジオからビートルズが流れていた時代でした。
ボブ・ディランやビーチボーイズなども好きでしたね。
ジャケットの裏側にあった歌詞で英語を学びました。
そんな風に自然に、洋楽が好きになってから英語や英語圏の文化にも興味を持つようになりました。

AFSとの運命的な出会い

ちょうどその頃、中学の英語の教師がAFSの存在を教えてくれたんです。
AFSは、今は高校生の交換留学を主な活動としている民間国際教育交流団体ですが、当時は文部省の管轄でした。
こちらを受験してみないかと。
AFSを通じて、私は1968年からの1年間、コロラド州に留学、高校2年生でした。
当時はまだその地域に日本人も殆どいませんでしたし、ネットも携帯電話もなかったですから、何も頼るものはなくて。
ホストファミリーにお世話になる毎日で、否応もなく英語が上達しましたね。

異文化交流を日本で支える

AFSで留学したOBとして、帰国後、大学生の時からAFSの日本側の受け入れ担当などを行っていました。
異文化交流という、その後の仕事の原点のような活動を既にこの時には始めていましたね。
英語の教員免許を取得したりもしましたが、やはり音楽に対する思いは強く、洋楽が好きという趣味を活かせたらと考えていました。

英語力を活かしてCBS・ソニーへ

ボブ・ディランやサイモン&ガーファンクル、当時ニュー・ロックと呼ばれていたアーティストを手がけていたCBS・ソニーレコードが面白いと思い、就職はCBS・ソニー一本に絞り入社。
ソニーがCBSと日本での合弁会社を設立して5年が過ぎた頃でした。
入社後は洋楽セクションに所属、海外との渉外担当となり、各国の有名アーティストを身近に感じながら輸出入、契約、マーケティングなど多岐にわたる経験をこの時に積みました。
70年代後半に初めての海外出張。
以後、国際会議を含め世界各国への出張は年に10回以上、30年で数百回を超える海外出張をすることになったのですが、当時はまだまだ海外出張はひと握りの上司の方が年に一度行けるかどうかという時代でしたので、やりたいことを存分にやらせてもらえたという意味では非常に幸運だったと思います。

海外有名アーティストとの出会い

ソニー・ミュージックの渉外担当者としてこのアーティストをいかに日本で活躍させるか。
ターゲット層にアプローチするためのメディア戦略や来日時のプロモーション・プラン等、日本でBIGになるための戦略・計画を海外の担当者に丁寧に説明しました。
当時は音楽、アーティストの露出というのは絶対的にラジオと紙媒体でした。
なぜこの雑誌に出る必要があるのか、などもプレゼンしましたね。
音楽的に非常に魅力的なアーティスト本人に、極東のこの小さな国での成功が魅力的だと思ってもらう。
今日のように日本の文化的な魅力や食文化の素晴らしさが世界に知られていなかった時代です。
言葉を通じて真摯に説明をすることが一番の解決策でした。
そうして、各国へ行き来する中で、アーティストとも親交を深めることとなりました。

マイケル・ジャクソンや、フリオ・イグレシアスとの友情

マイケルのマネージャー、フランク・ディレオは元・米CBSの社員で親しい仲でしたので、彼らとの仕事は非常に濃密であったため、必然的にマイケル本人も友情をもって接しくれました。
おそらく日本においては、マイケルと最も緊密に仕事をしていた中の一人だと思います。
1987年のBad World Tourでの初来日の時には、マイケルの宿泊先のホテルで一緒に連れてきていたチンパンジーのバブルス君を大切な友だから紹介したいと言って紹介してくれたこともありました。
CBS・ソニー六本木スタジオでのMV(ミュージックビデオ)録音編集時に、たまたまマイケルと二人でトイレに行った時のこと。
そこで顔の半分にケロイドが大きく残る清掃員の方とすれ違った時、「彼と握手をしてもいい?」と私に聞いてきました。
たくさんの逸話があるマイケルですが、私しかいない、他に誰もいないそんな時でも彼は弱者に寄り添う優しさを常に持っていました。
そんな彼を心から誇りに思うし、素晴らしいアーティストでした。
そうした人間性はフリオ・イグレシアスも同様です。
ラテン系で誰にでもハグ&キスで接するため日本では誤解されがちですが、名も無いご高齢の老人や子どもにも暖かく接する人で、海外では女性ファンのみならず男性ファンも非常に多いアーティストです。
フリオのマイアミの自宅に家族で招待され夏休みの何日かを彼の家で過ごした時も、メイドの一人一人に温かい言葉をかけて接しているフリオの姿にその感を強くしました。
そのメイドの話によれば、フリオはフレンドリーな人なので来客は頻繁だが泊り客は初めてとのことで、「僕たちは家族なのだからここはあなたたちの家だよ。」というフリオの信頼を嬉しく思ったことでした。
人種・民族の違いを超えてお互いの人間の尊厳を認め合うことの大切さを、私は世界のアーティストや人々との関わりを通じて確認できたと思っています。

異文化交流を多面的に支えていく

インターネットで世界中の情報が同時に入手できるとはいえ、やはりその土地の人と出会い、暮らし、文化に直接触れることでしか得られない経験が確かにあります。
僕自身の原点は海外の音楽に触れ、外国語に触れ、そして留学を通して得た経験がそのまま人生の足跡となり今日があります。
今、世界では、ナショナリズムが衝突、民族紛争も絶えず、朝鮮半島では核戦争の危機さえ迫っています。
そんな時代だからこそ、単なる語学習得が目的ではなく、互いを知り、文化・宗教・民族の違いを超えて理解し合い世界の未来を平和へ導くことが必要です。
微力ですが僕も異文化交流の推進を通して、少しでもこれからの若者の未来を拓く手助けをしていけたらと思っています。

取材を終えて

世界のアーティストとその代理人を相手に巧みな話術をもって交渉を行い、日本の洋楽シーンを築き上げた第一人者。
お会いする前のイメージは強面のネゴシエーターでしたが、柔和な雰囲気で穏やかな口調。お話を伺ううちに、この田中さんのお人柄と柔らかな物腰こそが相手の心を動かし、大きな時代の流れを作る原動力になったのだと確信しました。
田中さんが築いてきた日本の洋楽カルチャーや異文化交流が持つ真の力を、次の時代の若者に一人でも多く知ってほしいと思いました。

プロフィール

田中 章(たなか・あきら)
愛知県出身
AFS15期生
CBS・ソニー国際部にて海外レーベル及びアーティスト・マネージメント等との交渉・契約を担当。
1996~2000年ソニー・ミュージック香港駐在員事務所所長。
帰国後は海外マーケティング部門を統括。
一般社団法人日本レコード協会海外市場拡大委員会副委員長を兼任。
2014~2016年公益財団法人AFS日本協会理事

◆AFS友の会での活動 http://www.afs.or.jp/news20161206/

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