17歳での決断
初期メンバー脱退とともに…
僕がDA PUMPを名乗り続ける理由
本日登場するスゴい人は、本格的なストリートダンスと歌で大ヒットを連発したスゴい人だ!
NHK紅白歌合戦にも5年連続出場している。
当時、このようなストリートダンスをするアイドルは他にいなく、振り付けは自分達でしていたという。
デビューは1997年なので今年で20周年。
メンバーはデビュー当時から入れ替わってしまったが、新たなチャレンジを続けている。
リーダーとして20年間支え続けている彼の話を聞いてみよう。
さあ…
DA PUMP リーダー
ISSA様の登場です!
嘉手納基地の第二ゲート
沖縄県の「嘉手納基地 第二ゲート」の近くという米兵と共存した街で育ちました。
そのため、幼い頃から自然とブラックミュージックも含めアメリカ文化に触れていました。バスケットボールやサッカーをしたり、スケートボードをしたりして、先輩たちがダンスを踊っているのがカッコ良くて、自然と踊り始めたのが中学生でした。
ヒップホップカルチャーも自然な流れで入ってきて、仲間同士でダンスをするようになり、学園祭や街の催し物などで踊るようになりました。
僕だけでなく、部活動をしている人でも一緒に踊ったりと、誰もがダンスをしている感じでしたね。
17歳での決断
当時は仲間とダンスを踊れればそれだけで良いと思っていたので、ダンスができる高校に入学しました。
進路をどうしようか、という時期に母から「もう1回 養成所を見に行ってみたら?一茶がやっているダンスもやっているみたいよ」と言われ、見に行きました。
実は養成所は小さい頃に通っていたのですが、特に芸能の道に興味があったわけではないので足が遠のいていたのです。
見に行くと後にDA PUMPのメンバーになる3人が、女の子の後ろで踊ったりする番組をやっていて、面白そうだと思いました。
高校に通いながら養成所にも通い始め「4人でやったら面白いんじゃない?誰か歌える人はいないの?」と養成所からアドバイスを頂き、仲間内でカラオケに行くと仲間の要望をきいて僕がよく歌っていたのでボーカルになりました。
レッスン期間もあったので高校も卒業しようと思えばできたのですが、直感的に今しかない!と思って東京に出てきました。
この時の初期衝動は今振り返ってみてもすごく大事で、少しでもためらっていたら今のように20年も続ける事はなかったかもしれません。
デビューに向けて
今の社長が養成所との交流があり、僕ら4人に興味を持って東京へ呼んでくれました。
デビュー前は日々、歌とダンスのレッスン。
事務所でも先生を紹介してくれましたが、ストリートダンスに関しては自ら憧れの先輩を訪ねて教えて頂きました。
同じ家に4人で暮らし、常に4人で行動。
将来に対して不安なんて一切なく、我武者羅に吸収する事が全てだと思った時期でしたね。
当時、六本木にあったベルファーレというクラブで週1回、デビューしていない子達が披露する場があり、踊っていました。
我武者羅に
僕らの為に色々な作家さんが曲を提供してくれていたのですが、社長の中でしっくり来ていませんでした。
社長を呼んで、歌もラップもそしてダンスもできるm.c.A・Tさんの曲「Feelin’Good」でレッスンをしていると、社長が「この曲でデビューできないか!」とひらめいたのです。
ATさんにこの曲をデビュー曲に提供して頂けないか頼んで快諾頂き、デビューできたのです。
デビュー後は沢山のイベントに呼んで頂きました。
売れてきた!という感覚は特に無かったのですが、作品を出すにつれて忙しくなっていきました。
毎日、色々な事があるので、目の前の事をただひたすらに頑張っていました。
忙しいことが嫌だと思ったことは一度もありません。
仕事が終わってから好きな仲間とご飯を食べたりして、寝る時間は少なくなりましたが仲間と会うことでバランスを取っていた感じです。
毎年、ライブで全国を巡るようになり、今考えても恵まれた事務所に入れたと思います。
初期メンバー脱退とともに…
人はずっと同じ力量で同じ事を考えることが難しいように、メンバーもそれぞれに自我が芽生え、やりたい事を見つけ始めました。
僕はやりたいと思った事を押さえ込む事は違うと思うし、やらせてあげないのはどうかと思うタイプですが、一緒に歩んできたメンバーが抜ける事は正直寂しかったです。
そして、1人抜け、2人抜けて行くと共にDA PUMPの印象も薄れて、上手く進まなくなりました。
KENと2人になった時、世間は知らない事ですが、後輩でダンスができる子に一人ひとり水面下で声を掛け始めていました。
僕がDA PUMPを名乗り続ける理由
メンバーも少しずつ集まりだし、最後の初期メンバーKENも別の道を歩み出しました。
初期メンバーは僕一人だけになってしまったので、新しいメンバーのためにも名前を変えたほうが印象も良いのかなと思い悩んでいました。
そんな時、社長が「お前がいる限りDA PUMPで良いんだよ」と言ってくれ、心のつかえが取れました。
それから何処に出るにしても「DA PUMPのISSA」と名乗りDA PUMPを携えて行こうと思うようになりました。
今のメンバーは1歳下から10歳下までいて、子どもの頃DA PUMPに憧れていたメンバーもいます。
メンバー間でのルールは特にないですが、週1回はミーティングをして、とことん話し合い納得して物事を進めるようにしています。
僕の立場としては、メンバー個人個人を紡いでいければ良いと思っているので、個人的にもよく連絡をします。
今までの経験上、話し合い、納得し合うことで小さな溝も事前に埋めておきたいのです。
新メンバーの個性&可能性
現在は7名ですが音源を作れたり、芝居で頭角を表しだしたり、ダンスに関してもダンスの審査員をしながら自らも色々な大会で優勝したりと面白いメンバーが集まっています。
僕は売れなくなり、人が離れていく事もありましたが、純粋にパフォーマンスができる環境だけを求めてきました。
まだまだ、DA PUMPというとISSAしかイメージが付いてこないのが悔しいのですが、自分が前に出ることで他のメンバーにも光が当たることがあるならば、どんどん前に出ていきます。
今はミュージカルにチャレンジしています。
僕がチャレンジし、成長し続けることがDA PUMPに新しいアイデアや風を吹き込む事に繋がり、メンバーそれぞれが自らの良さを常に磨き続けていける環境を提供して行きたいです。
今年2017年6月にメンバー皆で意見を出し合い、結成20周年ライブをしたのですが、これもメンバーにとって良い起爆剤になって欲しいと思っています。
そして、力を付けた現メンバーで作り出した作品で全国ツアーを早くしたいです。
取材を終えて
取材をさせて頂き、頑なにDA PUMPを名乗り続けている理由がわかった。
ISSAさんは最初に自らの意見を言うタイプではなく、最初に相手の話を聞き、受け止め、尊重する性格である事も知れた。
結成20年だが、今のメンバーとも10年が過ぎたという。
メンバー1人1人の良さをいかにして引き出そうか常に考えている姿は、父親の様でありDA PUMPという組織のプロデューサーの様でした。
自らも成長し続けるが、メンバーそれぞれの得意分野でチャレンジしてもらい、その経験を持ち寄ってDA PUMPを輝かせて行きたい!という想いはISSAさんらしいと思った。
世の中の人がイメージしているデビュー当時のDA PUMPを良い意味で覆して欲しいし、私も見てみたいと素直に思った。
プロフィール
ISSA(いっさ)DA PUMP リーダー
1978年12月9日生まれ 沖縄県出身
1996年にダンスヴォーカルユニットDA PUMPを結成し、
翌年にシングル「Feelin’ Good ~It’s PARADISE~」でデビュー。
1998年よりNHK紅白歌合戦に5年連続出場。
今年デビュー20周年を迎えた。同グループのヴォーカルとして活躍する一方、ソロとしてもCDをリリース。現在は、俳優として映画や舞台に出演するなど、多方面で活躍。
◆ISSA出演ミュージカル「ロッキー・ホラー・ショー」
http://www.parco-play.com/web/program/rhs2017/
◆オフィシャルHP
http://dapump.jp/
◆オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/issa-blog/