日本人初の米国プロアメフト選手兼チームオーナーになったスゴい人!

何をするにもすべて勝ちたい

「習い事」がしたくて始めたアメフト

波に飲まれるようにたどり着いたアメリカ

本日登場するのは、日本人で初めて米国プロアメフト選手となり、さらに現在はチームオーナーを兼任するスゴい人!
高校時代はシンクロナイズドスイミングでジュニア五輪に出場し、短大卒業後、スポーツジムに就職。
インストラクターとして水泳やトレーニング、栄養の指導をしていた。
そんな彼女がアメフトに出会ったのは、なんと30歳になった時。
世界で活躍する現在に至るまでに彼女をいざなった、数々の運命とは…!

さあ…
プロ・女子アメリカンフットボールプレーヤー
ベティ・鈴木弘子様の登場です!

何をするにもすべて勝ちたい

何をやるにもすべて勝ちたいし、勝ってもその上があるならできるだけ上へ行きたいんです。
スポーツ選手になりたかったわけではありませんが、小さい頃から身体が大きかったのでスポーツに触れる機会は多く、高校時代は、校内で全国大会に行っている部活動が吹奏楽とシンクロしかない、という理由でシンクロをやっていました。
短大卒業後、アルバイトをしていたスポーツジムに就職。
インストラクターとして水泳やトレーニングなどを教えました。
長いこと教えてばかりいると、何かが無くなっていくような感じがしたんです。
その時勤めていたのが会社内の社員専用ジムで、OLの暮らしを知ったのもあり、「習い事」に惹かれました。
小学校の頃の習い事は、親に勧められてやっていたもの。
学校も就職もエスカレーター式で、「何かを自分で選択する」という機会がありませんでした。

「習い事」がしたくて始めたアメフト

習い事をするなら、できるようになる瞬間があるものがいいと思いました。
着付けならば「着られた」という瞬間があるだろうと始めてみると、思った通り、楽しかった。
でも「着付け」ではなく「習い事」が楽しいのだと思い、また次の習い事を探し始めました。
そんなとき誘いを受け出会ったのが、「アメリカンフットボール」でした。
「できた」という瞬間があるかどうかはわからないけれど、今習わなければできるようにならない。
ゴルフやテニスなら、いつか誘われてやるかもしれないけれど、アメフトは今しかないと思ったんです。
それまで一度も見たことがなく、アメフトとラグビーの違いもわからないほどでした。
少し体験してみると、できないことがやはり悔しく、じゃあやってみようと決めました。それが、初めて自分で「選んだ」と実感したときでした。

波に飲まれるようにたどり着いたアメリカ

始めて1年目に選手、2年目でポジションリーダー、3年目でキャプテン、4年目でチームオーナーになり、5年目。
日本には女子アメフトのプロチームが2つしかなく、私がキャプテンになって以降勝ち続けていて、少しつまらなくなってきていました。
そんな時、アメリカにプロリーグが設立されるという知らせが入ったのです。
その時はすでに、2日後には日本を発たないと唯一残されたトライアウトに間に合わない状況。
理解ある勤務先の許可を得て、アメリカに発ちました。
そして合格し、日本人初ということで帰国した時には空港に時事通信の記者が来ていて、彼が発信したニュースの影響で、その後たくさんの取材が入りました。
「実は本当に行くかは決めてない」などと言えない状態。
とりあえず、半年間の休暇のつもりで、英語かサーフィンかアメフトができるようになれば良いかと腹を括ってアメリカへ。
すると初戦から大活躍、すぐにオールスター選手に選出。
波に飲まれるように進む日々、センターというポジションには記録がつかないこともあり、正直できているのかいないのかわからなかったんです。
1年目の全スケジュールが終了し、オールスター戦の時、試合後に自分を待つスカウトの列
ができていました。
その時初めて、認められたのだと実感でき、アメリカでやっていこうと決めました。
また、日本では友人を呼んでも付き合いでしか来てもらえない試合に、何もしなくても人が集まるというアメリカの環境が天国のように居心地が良かったのも、ここでやっていこうと決めた理由でした。

アメリカ人も日本人も変わらない

それからとんとん拍子で、大きな怪我もなく、選手生命としては難なくやってきましたが、昨年、チームのオーナーに就任してからは苦労の連続でした。
オーナーといっても雑用係で、グッズのデザインから、パンフレット作り、練習以外のバーベキューも企画するんです。
手はいくらでも抜けることですが、良い選手を手放さないために、選手が喜ぶことを考えると、どんどん仕事は増えていきます。
アメリカ人は強いチームしか応援しません。
だから、強いチームにはお金が集まるし、お金があるチームは強くできる。
選手集めと資金集めが、常に課題です。
人って、思い通りにならないんです。
私の決定に賛同できない選手に去られ、酷いこともされました。
アメリカ人と日本人は考え方が違ってわかりあえないと思いもしました。
だけど、「日本人だから」という壁を作っていたのは自分で、人間の根底はやっぱり変わらなかった。
私が嫌なものはみんなも嫌で、私が好きなものはみんなも好きだったんです。
態度を変えず自分の信じることを貫き、話し合うことを諦めずにいたら、みんながついてきてくれました。
オーナーとして尽くすことで、選手としての自分が、試合前に十分な睡眠時間が取れないこともあります。
でもそれは私の選択です。
もし私のパフォーマンスが落ちれば、試合に出すかその選択はコーチに委ねられるので、私はオーナーとしてやれる限りのことをやろうと思います。

わからないから聞けた、聞けたから成長できた

オーナーになり、当たり前だと思って聞くことをしない人は成長しない、固定概念から始めると前に進めないということがよくわかりました。
私がラッキーだったのは、何もわからなかったから、何を聞くのも恥ずかしくなかったこと。
もちろんわからないことは勉強すれば良いのですが、私には「これを聞くなら、この人」
という人たちが周りにいたんです。
だから、たくさん吸収できました。
そういう人に恵まれたのも、私を認めてもらえる「スポーツ」、「アメフト」があったおかげです。

色々なスポーツにお返しがしたい

知識、理解、経験、体力…様々な要素が掛け合わさりできるアメフト。
できなかったことができるようになる感覚はあっても、アメフトが「できた」と感じた瞬間はなく、だからこそ今も続けられているのかもしれません。
今後の目標は、まずチームを優勝させること。
また、スポーツにお返しがしたい、アメリカで得たものを日本にお返ししたいと思っています。
アメリカに比べ日本のスポーツ栄養学、スポーツリハビリなど「スポーツ」と名のつくものは、10年以上遅れています。
例えば、アメリカで活躍するダルビッシュ選手とうちの選手のトレーニングは、野球とアメフトだけど似ている。
でも、アメリカの野球選手と日本の野球選手のトレーニングは全く違います。
今、私の家には様々なスポーツ選手が来て、栄養学を教えたり、トレーナーをコーディネートしています。
今は著名な選手ばかりですが、もっとオープンに開放して、いろいろな人に教えていきたいです。
ずっと教えることをし続け、何かがなくなっていくと感じ習い始め、そこで色々なものを吸収して、今。
今度は教えることでお返しする時かなと思っています。

取材を終えて

今回は一時帰国の間にお時間をいただき、取材をさせていただきました。
ご自身では、「流れに乗ってここまで来た」と仰っていましたが、現在の活躍があるのは「やるなら勝ちたい。負けることはしない」という、幼い頃からの強い信念があったからなのではないかと思いました。
選手のモチベーションを上げる為に、選手の顔写真入りのリストの載ったパンフレットを製作したり、集客のために会場で販売する食品を工夫したり、オーナーとしての仕事は多岐にわたり、様々な課題をご自身で考えて解決方法を見つけてきたお話は、とても興味深かったです。
これからも選手として、オーナーとして、さらに活躍されることを楽しみにしています。

プロフィール

ベティ・鈴木 弘子(すずき・ひろこ)
東京都浅草出身。女子アメリカンフットボールプレーヤー。ロサンゼルスウォーリアーズオーナー。
高校時代はシンクロナイズドスイミングの選手として活躍。短大卒業後、スポーツジムに就職、インストラクターとなる。
1995年・30歳のとき、アメリカンフットボールと出会い、東京のクラブチーム・レディゴングに所属。
35歳で渡米、アメリカプロリーグのトライアウトに合格、日本人初プロアメフト選手となる。
2013年、世界選手権のアメリカ代表選手に選出、2016年には米国プロチームパシフィックウォーリアーズ(現ロサンゼルスウォーリアーズ)オーナーに就任。現在はオーナー兼現役選手として、経営とプレーの両側面からチームを支えている。

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