『ポケモン』シリーズを始め、数々のゲーム音楽を手がけるスゴい作曲家!

運命の出会い

仕事が取れなかった日々

止まらない好奇心

全世界での販売本数が2億7900万本に達する(2016年3月時点)、大人気ゲーム『ポケットモンスター』シリーズ。
本日登場するのは、この大ヒット作の音楽に携わったスゴい人!
他にも作曲家として、数多くのゲーム作品に関わってこられた。
タイトルの持つ世界観に、どっぷり引き込んでしまう音楽は、如何にして生み出されるのか?

SPICA MUSICA代表
作曲家/編曲家 景山 将太様の登場です!


10歳で初めての作曲

どちらかと言えば屋内で遊ぶことが多い子供でした。
学ぶことが大好きで成績も良く、一度も「勉強しろ」と言われなかった。
運動は苦手で、負けず嫌いなのですが…諦めていました(笑)
人を楽しませる事が好きで、ゲーム大会やクイズ大会を開いて場を仕切るようなタイプ。
何でも挑戦したくて、色々と習い事をさせてもらいました。
ピアノは4歳から。コツコツ練習して好きな曲が弾けた時は嬉しかった。
小4の時、クラスでの合奏曲を書いたのが、一番古い作曲の記憶。
その頃から、譜面通りよりアレンジして弾く方が好きでした。

運命の出会い

中3の音楽の授業で「DTM」という、PCで音楽を作るシステムに出会います。
「マルチメディア部」顧問の先生が、DTMで『モルダウ』をかけてくれて。
モニター上の譜面に入力した通り演奏されるのを見て、「こんなモンが世の中にあったのか!僕がやりたいのはこれだ!」と衝撃を受けて。
もう直感的に「これを仕事にしたい!」と思いました。
強烈に覚えています。
これに出会ったから今がある。
高校進学後、マルチメディア部の勧誘を受けて「DTMをやらせてもらえるなら」って言ったら、本当に用意してくれて。
部費じゃ絶対に足りないので、顧問の先生が負担して下さったのかもしれません。
PCの使い方から教えてくれた、道を指し示して下さった恩師です。
高3の時、全国コンクールで作曲賞をいただき、作曲家になる事を意識し始めました。

就活全滅

大学時代はもう「音楽で生きたい」と決めていました。
「ゲームメーカーなら就職する形で作曲ができる」と知って就活を始めましたが、曲は選考を通るのに、人間的にダメなのか(苦笑)ってくらい、面接で弾かれて。
元々独立志向が強かったので、組織に馴染めない、と思われていたのかな。
6社、全滅。
呆然としましたが、大手ゲームメーカーにいた先輩に誘っていただき、サウンドデバッグや効果音制作のアルバイトで、初めてゲームの仕事に触れました。
そんな時、尊敬している作曲家・光田康典さんの講演に、思い切って名古屋まで駆けつけ、手紙とデモテープを渡しました。

仕事が取れなかった日々

1ヶ月後、光田さんのプロキオン・スタジオに採用していただき、上京。
1年後、『ルミナスアーク』というゲームで作曲家デビューを果たしました。
当時は自分の名前では仕事が取れなくて、仕事を振っていただくような日々。
『大乱闘スマッシュブラザーズX』では、有名な作曲家の方々が参加されている中、僕だけ無名という状態。
ネットに「景山って誰?」なんて書かれたり(笑)
メーカーに音源資料を送って売り込んだり、業界交流会に参加したり…色々と動いても仕事に繋がらず、就職が決まらなかった時より苦しかった。
「何のために上京したんだ」と、ずっと考えていた時期です。
今思えば当然で、当時は「ポケモンの景山」みたいな、名刺になる作品も無かった。
知験も代表作も無い自分に限界を感じ、ゲーム全体の事を勉強したいと思いました。

「ポケモン」デビュー!

そんな時、縁があって、ポケットモンスターシリーズ開発元のゲームフリークに採用していただけることになりました。
企業の面接に初めて受かって、これは嬉しかった(笑)
『ハートゴールド・ソウルシルバー』でポケモンに関わり始め、『ブラック・ホワイト』からマネジメントやディレクションも経験、プロジェクト全体を見渡せるようになりました。
ゲーム音楽は、プログラマーさんとの折衝や、グラフィックデザイナーさんやゲームプランナーさんとのコンセンサスなど、様々なクリエイターとの交渉が不可欠。
コミュニケーション能力が無いとやっていけないので、相当鍛えられました。
加えて、ハード特性や、限られたデータ容量内でより良い音を鳴らす、というような開発系の知識も必要。
ここで大きく成長できたと思います。
この時培ったものは、今でも生きている。
『X・Y』まで携わり、31歳で独立することにしました。
「景山将太」個人、「作曲家」一本でどこまでやれるか、もう一度試したかった。
あの苦闘の時代に忘れ物があるような気がして…それを取りに行こうと。
リベンジじゃないけれど(笑)
ゲーム以外の音楽にも挑戦したい、というのも理由でした。
僕をここまで育てて下さったゲームフリークの上司・先輩方、同僚の皆には本当に感謝していますし、今でも大切な仲間です。

仕事の流儀

ゲームについては、プレイヤー目線です。
例えば「バトル後半の盛り上がりのタイミングで曲に展開を持たせよう」とか、「イントロの長さをゲームプレイに合わせよう」とか、プレイ時の時間軸を大切にしています。
何よりゲームに合っている事が一番大事。
ゲームフリークで培った「ゲーム音楽ならではの表現・手法」にこだわりたい。
普通は曲を納めて終わりのところを、作品全体のサウンド監修までやる。
実機に組み込んで、感触を確かめる。
何度もプレイして、ユーザーとして遊んだ時に感じる快感・感動・興奮する部分を掴む。
それを音にフィードバックさせるべく、微調整を繰り返す。
サウンドプログラマと、どのようにサウンドを鳴らすかまでこだわります。
「僕の手がける作品は、全て最後まで面倒をみます」ってこと。
この「泥臭いところ」をやるかやらないかで、クオリティは絶対に変わってくる。
「ゲーム音楽は曲を書いて終わりじゃない」っていうのが僕の哲学です。

止まらない好奇心

僕は一般的な作曲家が歩む道と、随分違う道を歩いてきました。
回り道も沢山したかもしれない。
でもその分、人より面白い景色は見られたかな。
無駄なものは結局一つも無かった。
最近配信開始された『黒騎士と白の魔王』というゲームで、目標の一つだったオーケストラ収録とアニメ劇伴の仕事にも関われました。
『ベルセルク黄金時代篇』を作られたSTUDIO4℃さんと!
アニメーションに合わせてガッツリ音楽を作るのはとても楽しかった。
ゲームでの表現と、アニメで求められているものは全然違うので苦労はしましたが。
如何に監督の求めるものを具現化するか。
監督が表現したいこと、監督の頭で流れている音を掴まねばなりません。
コミュニケーションを重ね、監督にも気に入っていただける作品になりました。
今後はドラマや映画など、実写の音楽にも挑戦してみたい。
全く別のフィールドで、そこにはそこの流儀や作法があるはず。
新時代のアーティストをプロデュースして、演奏活動もやりたい。
世界を相手にという意識もあります。
もっと、色々な世界を見たい!

取材を終えて・・・

『黒騎士と白の魔王』では、目標であった「アニメの仕事」の他にも、「オーケストラレコーディング」という、作曲家なら誰でも夢見るであろう、大きな目標を一つ叶えた。
しかもDTMと出会ったきっかけである『モルダウ』川が目の前を流れる、プラハのドヴォルザークホールで、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、である。
インタビューでも感じたが、要所要所で奇跡的な出会いを呼び寄せているように思えてならなかった。
取材後の雑談で印象に残った言葉。
「結局は諦めないで続けることが大事なこと」
「あの丘まで行こう!って丘に着いたら、そこから新しい世界が広がって見えるじゃないですか。またそこから別の所を目指したくなってしまう」
「好奇心と負けず嫌い、この二つがぼくの人生のテーマなのかなって(笑)」
このあたりに「奇跡」のヒントがありそうだ。


プロフィール

景山将太(かげやま・しょうた)

作・編曲家。
4歳よりクラシックピアノを始め、10歳から作曲を始める。
2007年『ルミナスアーク』で作曲家デビュー。
以後『ポケットモンスター』シリーズなど、ゲームミュージックの分野を中心に、作・編曲・サウンドディレクションを担当。
音楽ブランド『SPICA MUSICA』(スピカムジカ)を設立後、ゲームやアニメ、CMなどの音楽制作、アーティストへの楽曲提供など、幅広い分野で活動中。
また音楽制作と並行してLIVEや講演活動なども精力的に行なっている。
最新作は『黒騎士と白の魔王』の音楽を担当。
メインテーマ及び主要な楽曲はチェコ・プラハのドヴォルザークホールにて、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を収録。
ゲーム内で流れるSTUDIO4℃が担当した美麗かつ迫力のあるアニメーションの劇伴音楽も担当。

◆景山将太|SHOTA KAGEYAMA Official Website
http://www.shotakageyama.net/

◆SPICA MUSICA
http://www.spicamusica.net/

◆『黒騎士と白の魔王』公式サイト
https://kuro-kishi.jp/

© Grani, Inc.

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