日本のバラエティ番組で一躍有名になり、祖国に日本語学校を7校も建てたスゴい人!

勉強するのは大嫌い、でも父が怖くて学校に通うことに

ラーメン屋で運命の出会い

貧困に苦しむ祖国の識字率を上げたい!

人気バラエティ番組「ここがヘンだよ日本人」に出演していた外国人、と言えば思い出す人も多いのではないだろうか。
独特なコメントとリアクションが好評を博し一躍有名になった、あの彼である。
しかし、いつも明るく笑っている彼が、日本で有名になるまでどれほどの苦難の道のりを歩んだか、知る人は多くはないのではないだろうか。
バラエティ番組から退いた後、日本にどれだけ感謝の念を抱き、祖国に対してどれだけ素晴らしい貢献をしているのかをあなたはご存じだろうか。
そんな、知られざる彼の歩みを見ていこう。

さあ…
駐日ベナン共和国大使
ゾマホン・イドゥス・ルフィン様の登場です!


勉強するのは大嫌い、でも父が怖くて学校に通うことに

私はアフリカにあるベナン共和国で公務員をしていた父の下に、10人兄弟の末っ子として生まれました。
私の父はとても厳格な人でした。
子どもの頃は父が怖くて常に敬語を使って話していたほどです。
私は勉強が嫌いで学校に行きたくなかったのですが、父に逆らえるはずもなく、ベナン共和国では有料だった小学校に、自分で学費を稼ぎながら通うことになりました。
お昼ご飯を買うお金もなく、休み時間に友人と遊ぶことだけが楽しみでした。
しかし15歳の時、父が過労による病気で急死し、私は叔父の家に住みながら中学校に通うことになりました。
この頃は学用品を購入するのも大変でしたが、街灯や月明かりの下で勉強した甲斐あって、ベナン唯一の国立大学に合格。
その後も難関の国家試験に合格し、中国の国費留学生に選ばれ、中国に渡りました。
この留学がきっかけで私は日本に行くことになりました。
そして、その後の日本での生活を経て今の私があることを考えると、あの時厳しく学校に行けと言ってくれた父には感謝の気持ちしかありません。

睡眠時間を削ってアルバイトをする日々

私が日本に興味を持ったのは、ベナンで日本のことを学んだのがきっかけでした。
ちょんまげをしている、非常に野蛮で恐ろしい国だと習いました。
ベナンと同じ資源も何もないような小さな国が、どうしてベナンと比べ物ならないくらいの先進国なのだろう、と不思議に思っていました。
その後、国費留学した中国の大学で実際に日本人と会って、今はもうちょんまげはしていないなど、ベナンで学んだことは事実とはかなり違っていたことを知るのですが。
いつしか日本に行ってみたいという気持ちを持つようになった私は、博士課程修了後、中国で知り合った日本の友人を頼って念願の日本留学をしました。
ですが、最初は日本語もあまり話すことが出来ず、午前中は日本語学校に通い、午後はバイトを幾つも掛け持ちしていたため、睡眠時間は毎日数時間という有様でした。
学費も生活費も自分で稼がなければならないため、常に生活費には困っていて1日1食で暮らした日もあったほどです。
そんな中、私は働いていた工場で作業中に自分の指を切断するという大怪我をしました。
その時、日本留学の時に保証人となってくださり、工場経営者でもあった方が、入院費その他の諸費用を全て負担してくれたのです。
私にとって彼は神様のような存在でした。
こんなにも私を支えてくれる彼のいる日本が大好きになり「日本とベナンの架け橋になりたい」と思うようになりました。

ラーメン屋で運命の出会い

そんな極貧生活を送っていた中、転機は突然やってきました。
ラーメン屋でいきなりスカウトされたのです。
「出身は?日本語話せる?テレビ番組に出てみない?」と。
それが、その後人気番組となる「ここがヘンだよ日本人」でした。
その時のギャラは1回1万5千円。
日々の生活にも困窮していた私は飛びつきました。
当時はあまりにいい話だったので、騙されているのかもしれないと不安に思って事務所に何度も電話して迷惑をかけました。
喜び勇んで臨んだ当日でしたが、毎日のアルバイトと短すぎる睡眠時間で疲れ切っていた私は番組の収録中に爆睡してしまいました。
しかも番組の最後で起こされて、寝ていたのに開き直って色々と好き勝手に話していたら、驚くことにそれが物凄くウケたのです。
収録終了後に呼び出された私は、継続して出演する機会を頂くという幸運に恵まれます。
その後はあれよあれよという間に番組にレギュラー出演し、「笑っていいとも!」にも出演するようになりました。
こうして日本の多くの方に知られるようになった私は、『ゾマホンのほん』、『ゾマホン、大いに泣く』という2冊の本を出版するまでになったのです。
それはまるで夢のような出来事でした。

貧困に苦しむ祖国の識字率を上げたい!

ベストセラーとなった2冊の本の印税の全てを使って、私は長年の夢を叶えることが出来ました。
貧困のため学校に通えず、字の読み書きが出来ない。
識字率が最も低い南サハラ諸国の一つが、私の祖国であるベナン共和国でした。
来日して上智大学大学院で学ぶ中で、資源の少ない日本が先進国となった理由は教育にあると考えた私は、大学院で日本・中国・ベナン共和国の初等教育制度を研究し、祖国に学校を建設することを夢見ていました。
ベナン共和国では、小学校は義務教育であるものの、数が少なく有料であるため通うことが難しく、大半の子どもは家業の手伝いをしているのが現実だったのです。
その祖国に、私は「たけし小学校」「明治小学校」「江戸小学校」と3つの小学校を開校しました。
日本の方々が私の本を買ってくれたおかげで設立できたのです。
その感謝の思いと、日本の文化や歴史を今のアフリカ社会や次の世代に伝えたいという思いから、日本の名前をつけました。
この小学校の開校により、1000人を超える子どもたちが学校に通うことが出来るようになりました。本当に感謝しています。
さらに、学費無料の日本語学校も設立しました。
私自身も学校に通うために本当に苦労をしました。
貧困に苦しむ祖国の子どもたちが、お金の心配をすることなく学校に通って欲しい。
私の収入を学費に充てることにより、その夢も叶えることが出来たのです。
多くの日本の方の協力を得て、その後も「あいのり学校」「井上小学校」「所ジョージ小学校」を設立することが出来たことにも、感謝の思いしかありません。

駐日ベナン共和国大使に就任、日本とベナンの架け橋へ

有難いことに、その後私は「世界最優秀青年賞」、ベナン共和国の「国民栄誉賞」を頂きました。
そして、ベナン共和国大統領特別顧問を経て、2012年には駐日ベナン共和国大使に就任しました。
また、ベナン共和国で「愛・分かち合う」という意味を持つ「IFE財団」を2002年にベナン共和国で、2004年には日本で「NPO法人IFE」を設立しました
日本とその他のアジア諸国、アフリカ諸国との間の教育・文化・技術・医療の協力提携、並びに日本とアジア、アフリカ諸国との相互理解の推進を目指し、理事として様々な活動もしています。
苦学生であった頃に芽生えた、「日本とベナンの架け橋になりたい」という思いはあの時から今も変わらず私の中にあります。
これからも、日本とベナンの人々の幸せのために、これまで頂いた多くのご恩への感謝を胸に、活動を続けていきます。

取材を終えて・・・

テレビでよく拝見していたゾマホンさん。
実際にお話をお伺いすると、とにかく正義感に溢れている人でした。
日本に来た当初は睡眠時間2時間、1日数百円で生活をされていたといいます。
たまたまラーメン屋で声を掛けられたのをきっかけに、一躍有名人となりましたが、有名になりお金を手にしても祖国の為に使い続ける彼の姿に脱帽です。
ベナンと日本は国交がありませんでしたが、ゾマホンさんの活躍があり、両国に大使館が出来たそうです。
日本ではおちゃめなキャラクターで捉えている人も多いと思いますが、ベナンの国民的英雄でした。


プロフィール

ゾマホン・イドゥス・ルフィン
前駐日ベナン共和国大使

国籍:ベナン共和国
誕生日:1964年6月15日

職歴
2002年 IFE財団設立(ベナン共和国政府公認)代表就任
2004年 ベナン共和異国大統領特別顧問就任
2005年 特定非営利活動法人IFE設立理事就任
2006年 ベナン共和国大統領特別顧問再任
2012年 駐日ベナン共和国大使就任
2016年 大統領交代にともない大使退任

受賞歴
2001年 世界優秀青年賞(国際青年会議所JCI)
2002年 国民栄誉賞(ベナン共和国)
2009年 社会貢献の功績(社会貢献支援財団)

学校設立
2000年 たけし小学校開校
2001年 明治小学校開校
2001年 江戸小学校開校
2003年 たけし日本語学校開校
2008年 あいのり学校、いのうえ小学校、所ジョージ小学校

skin PEACE
http://www.skinpeace.jp/support/

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