2018年平昌オリンピック出場有力!スキークロス界のスゴい人!

アルペンスキートップ選手からスキークロスへ転向のきっかけ

ソチオリンピック後たった一人で戦い続ける

大切にしている2つの事

オリンピック競技 ” スキークロス”を知っているだろうか。
4~6人の選手が同時にスタートし、1000m~1400mを1分~1分強という猛スピードで滑り、ゴールを競う。
コースには様々な障害物があり、スピードの変化・フリースタイルの華やかさも魅力。
今日はそのスキークロスにおいて、たった一人で世界へ飛び出し道を切り拓き続けるスゴい人が登場する。
ソチオリンピックでは、オリンピック基準は満たしたものの、日本独自の基準に満たないため出場がかなわず涙をのんだ。
気持ちを切り替え、2018年平昌オリンピックを目指した。
その決意と覚悟に至る道のりとは・・・

さあ…
フリースタイル スキークロス
日本代表 梅原 玲奈様の登場です!

スキーとの出会い

歩き出したのと同時にスキーをしていたので、何歳からやっていたのか記憶にありません。
両親も私も東京生まれ。東京に住む傍ら家族でスキーに行く機会も多かったので、周りの子よりは滑りが上手い方でした。
アルペンスキーを始めたきっかけは、父の親友が岐阜高山でスキーの少年団をしていて、一緒に練習させてもらった事でした。
アルペンスキーのコースポールが障害物競争のようで楽しかったのです。
初めて滑った日に「今度大会があるよ」と勧められ、初めて参加した大会で2位か3位でしたが、メダルを貰い表彰されたのがとても嬉しくて「1番になりたい!頑張ろう!」という気持ちが湧いてきました。
小学4、5年生までは、本格的に取り組むというよりは「大会があるのだったら出たいな」という心境でしたね。

遊びのスキーから競技のスキーへ

全国大会に出たい気持ちが強くなり中学はスポーツ活動に寛容な学校を選びました。
ただ父からは、スキーだけではなく勉強も頑張るようにと言われました。
夏は基礎体力づくり、冬はスキー技術を追求。
高校3年生までは父がコーチでマネージャーというマンツーマンスタイルでしたので、プライベートも練習も一緒というのは辛かったですね。
大学ではコーチもいるスキー部に所属し、夏場は基礎トレーニング、そして秋からは皆でヨーロッパに渡り合宿しながら、そのままシーズンイン。
体育学科では学びたいものがなかったので、英文学科に進みました。
英文学科はスポーツに対してそれほど寛容な学科ではなかったので、海外にいてもレポート提出が続いたりしてスキーと学問を両立するのに苦労しました。

アルペンスキートップ選手からスキークロスへ転向のきっかけ

知り合いの全日本スキークロス選手に「スキークロスやってみない?」「アルペンもどっちもやればいいじゃない」と誘われていて、しばらくの間は断っていました。
でも、アルペンで日本のトップにはいるけど世界のレベルに比べたらオリンピックは程遠いと思っていて、そろそろ引退しようかと思っていた所に再度スキークロスのお誘いを頂き参加を決意しました。
これまでアルペンしかやってはいけない!と変に拘っていたのですが、辞めると決めていたのでいい意味で枠が外れていたのでしょう。
スキークロスを滑ってみると、全然イメージ通りに滑れなかったのが楽しかったのです。
それまでスキーは上手だと勘違いしていたのですが、実はすごく下手だったんだって気づいたのです。
そうしたら、純粋にもう少しスキーを上手になりたいって気持ちが湧いてきて、スキークロスに転向しようって思いました。

素敵な先輩たちとの出会い

私はポジティブな人間だと思っていたのですが、スキークロスの先輩方と接していると人としてまだまだ足りないと強く思えました。
先輩たちはどんな局面に対しても前向きなエネルギーで行動に移してゆく強さがありました。
そのおかげで自分自身の思考も好転し、練習に対する取組み方や意識も変わっていきました。
転向2年目にはワールドカップで7位入賞。
この入賞は女子では史上2人目でした。
ただ、良い結果を出しても、スキークロスという競技がワールドカップ競技になり、世界はナショナルチームを編成してどんどん成熟していく中、日本はその流れに乗り遅れてしまったのです。その為、5年〜6年は遅れを取り戻すためにもがく時期となりました。
やっと、一昨年ぐらいから自分の力が付いてきて、世界と戦えるようになって来ました。

ソチオリンピック後たった一人で戦い続ける

ソチ後、スキークロスの先輩やチームメイトが皆辞めてしまいました。
予算も付いていないので、コーチさえも派遣されず本当に一人。
自然と海外のチームやコーチと一緒に行動することが増えて逞しくなりました。
海外に行ってコーチを雇ったり、面識の無いコーチの電話番号を聞いて「練習したいのですがどこでしているのですか?」と連絡して合流させてもらったりしました。
この種目でアジア人一人なので皆私の事を知ってくれていたのは良かった事です。
外国って言わなければ駄目だけど、言えば受け入れてくれるのです。
それを理解してからは、どんどん行動して、自分の道は自分で切り拓いていきました。

大切にしている2つの事

1つめは自分の態度や言動が良いことを引き寄せるので、プラスの言葉を発言したり、前向きな行動を取るようにしています。
そうすると自分自身がプラスのエネルギーを発するようになり、プラスの人達が集まってくることで更に私を支えてくれる環境が整ってきます。
3〜4年前から明らかに出逢いの変化があったので効果を確信しています。
もう1つは今日やると決めたことは、どんな状況下においてもやり続ける事です。
成績が悪かったり気分が落ち込んでいても、決めた練習は必ずこなす事。自分に甘えない事です。その時に出来る100%をとにかくやり続けています。
落ち込んだら無理に切り替えず、落ち込んだ感情と飽きるまで向き合います。
一生悲しい気持ちでいることの方が難しいですよね(笑)

2018年平昌オリンピックへ向けての決意と覚悟

世界で戦える手応えはあったのに、日本の基準でソチに出場出来なかったのは本当に悔しかったです。
人のせいにして夢を諦めるのは嫌だったのです。
だから「あと4年だったらまだいける!平昌が本当に最後、泣きの4年!」と決めました。
既にワールドカップは8位で基準はクリアーしました。
念願のオリンピック出場まであと1歩まで来ました。
生活を切り詰め、海外で我武者羅に行動して、チームで活動できる選手が羨ましいと思う瞬間も沢山ありました。
でも、誰かに道を絶たれる事だけは嫌で己を奮起してやり続けて来た結果が目の前にあります。
オリンピックに出場した際は応援宜しくお願い致します。

取材を終えて・・・

スキークロスという競技は個人競技だがチームの仲間同士でコースの起伏や状態などの情報を交換・集約し戦うものでもあるそうだ。
梅原選手は常に一人で世界の舞台で戦っている。
チームメンバーがいないからこそ、逆に外国選手との交流が相当深いのだろう。
海外は自ら行動すれば大概は受け入れてくれる事を知り、自らがやるべきことを冷静に判断し即座に行動に移され続けて来たことは素晴らしい。
梅原選手の佇まいから静かな闘志と温かい感謝の心が滲み出ていた。
若いから早く滑れるわけではなく、経験が必要とされるスキークロス。
梅原選手が手に入れた素晴らしい経験を、平昌オリンピックで表現する姿を応援したい。

プロフィール


梅原 玲奈(うめはら・れいな)
フリースタイルスキー・スキークロス
日本代表
1983年8月1日 生まれ
東京出身、東京育ち。
クラブワン所属
日本大学 英米文学科卒
両親の方針で、文武両道を歩む。
アジアで唯一のスキークロス プロ選手であり、世界ランカー。
国内での練習施設や試合環境、海外転戦の競技資金不足にも、一人で道を切り開きながら活動。スポンサー・サポーターも大募集。
孤軍奮闘の中、2018年平昌オリンピック出場へ向けて邁進中!

◆スキークロス 梅原玲奈オフィシャルブログ「Reina’s Diary」
http://ameblo.jp/reina495/

◆アスリートエール 梅原玲奈 「オンライン後援会」
http://www.athleteyell.jp/umehara_reina/

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