実用新案登録のガムテープのいらない段ボール箱を開発した会社を率いるスゴい人!

本日登場するスゴい人は、東京で65年以上続く段ボール事業を行う企業を率いるスゴい人!
同社は、ガムテープのいらない段ボール箱「パネロック」が実用新案登録されたことでも有名である。
この今では当たり前のロック式段ボール箱は、1970年代に同社が開発し、家電業界を中心に瞬く間にあらゆる製品の梱包箱として採用された。
彼は同社を経営する家庭に生まれたが、大学卒業後は17年間他社に勤務。
しかし2004年、突如として同社を継ぐことになった。

現在は段ボール事業のみならず、東京コンテナグループとして研修事業、海外事業など幅広く事業を展開している。
経営には会社員時代の経験が活かされているというが、いったいどんな経験をしてきたのだろうか。

さあ…
東京コンテナ工業株式会社
代表取締役
黑崎素弘様の登場です!

「諦めない」

小学校から大学まで16年間慶應義塾に通い、その間剣道部に所属し、小・中学校時代には主将を務めていました。
1987年に大学を卒業し、三井不動産株式会社に入社して17年間勤めました。
当時はバブルでしたので都市再開発を夢見て入社したものの、最初に配属されたのは事務管理課で、経営管理と経理の仕事をすることになりました。
毎晩遅くまで働き、休みもほとんどありませんでしたね。
ただ、剣道のおかげで我慢強かったのか、働くことは全く苦になりませんでした。

ホテル事業部に所属していた頃に、部長と大喧嘩をして最低の査定点数をもらってしまい、異動になりました。
移った先は社内で最も大きいビルディング営業部で、移って早々上司から「お前どうするんだ。俺だったら辞めるぞ」と言われました。
正論を言ったはずだったので私も納得がいかず辞めるつもりでしたが、一番大きい部署で一番になれば前の部長を見返せると考えました。
そして、1年間死ぬ気でやろうと思い、その場で辞表を書きました。
「1番にならなかったら受理してください、絶対に受理させませんから」と言って上司に渡すと、「俺は色眼鏡で見ない。前のままだったら遠慮なく受理するし、違っていれば社内を説得する」と辞表を預かってくれました。
しかし、最初の1か月は1件も契約が決まりませんでした。
何とか1件決まってからは、5か月で契約件数1位になり、それまでのトップセールスの倍である年間50件以上の契約をとることができました。
あの頃はとにかく必死で、休みの日でも連絡があったら絶対に出られるようにしていました。
子どもたちもまだ小さかったのですが、どんなに騒いでいても電話がかかってくると静かになり、家族の協力もあって仕事に全力を注ぐことができました。
人を引き寄せるための心理学を学んだり、あれほど頭を使ったことはありませんでした。
この頃の経験が、今では研修事業として会社の一事業になっています。

2004年に父が他界し、私は就職したときに会社を継がないと宣言していましたが、結局稼業を継ぐこととなり、1年間副社長として務めた後、2005年から社長になりました。

今目指しているのは、年商100億円の企業グループになること、そして100年企業になることです。
私が17年間、サラリーマンとしてとてもいい会社に勤めたので、社員の給与や待遇処遇も含めできるだけそこに近づけていきたいと思っています。
そして、楽しく仕事をできる仕掛け・仕組みを作っていきます。

◆東京コンテナ工業株式会社
http://container.tokyo/

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