本日登場するスゴい人は、ラーメン業界の異端児と呼ばれる「麺屋武蔵」を受け継ぐ2代目社長のスゴい人!
麺屋武蔵と言えば、ラーメンブームをけん引したラーメン店の1つに数えられ、特に「ダブルブランド」として店舗ごとにオリジナルの商品や店づくりをし、同じ「麺屋武蔵」の名を掲げながらまったく異なる店舗体験を提供することを特徴とし、人気を博している。
彼は24歳で中途入社し、一般社員から副店長、店長になり、2013年11月に創業者から同社の経営を受け継いだ。
現在では国内のみならず海外にも展開する大人気ラーメン店を受け継ぐスゴい人の仕事法とは?
さあ…
麺屋武蔵
大番頭
矢都木二郎様の登場です!
「強い想いを持つ」
子どもの頃から食べることが人一倍好きで、両親からは冗談で「お前は将来ラーメン屋だな」などと言われていました。
大学時代、学校の近くに流行っている「つけ麺屋」があり、そこに年間100回ほど、通い続けました。
当時つけ麺はまだ珍しく、「多くの人に教えてあげたい」「つけ麺で商売がしたい」という思いがありました。
しかし覚悟を決められず、周りの人間と同じように就職活動をして、一般企業に就職しました。
サラリーマン時代は「時間をお金に変える」だけの「志」がない、ダメな社員でした。
このままではいけない。やはり自分は「つけ麺」を多くの人に広めたいと思い、退社を決意。
つけ麺を多くの人に広めるには、有名にならなければいけない。ならば日本一有名なラーメン店で修業しようと思い、麺屋武蔵の門を叩きました。
最初は皿洗いや掃除から始まり、働きながら多くの大切な事を学びました。
創業者は「モノ」(商品)ではなく「コト」(食事を楽しんでもらう事)に重きを置いていて、お客様の「おいしかった」という感想は商品だけに対する評価ではなく、サービスや店内の清潔さなど店舗で過ごした「時間」全てに対しての評価であると教わりました。
入社3年目には4店舗目の上野店を立ち上げるチャンスをもらいました。
麺屋武蔵では商品も含めすべての決定事項の裁量権が、店長に与えられます。
自分で独立すれば、失敗しても自己責任で済みますが、「麺屋武蔵」の名を名乗って失敗は許されません。
ノイローゼになりそうな極限のプレッシャーのなか、「任される」という自由には、それに伴い大きな「責任」があると、この時、強く学びました。
私が会社を受け継ぐことになったのは、強いて言えばどのスタッフよりも「麺屋武蔵」というブランドを愛し理解していた事だと思います。
昔から、創業者と積極的にコミュニケーションをとり、ブランドの生い立ちから未来についてよく話をし、「勝手な使命感」でブランドの為に注力していました。その点が評価されたのではないかと思っています。
今後は、更に麺屋武蔵のブランドを確立させ、ラーメンの歴史に少しでも多く「麺屋武蔵」の名を残すことが目標です。
私には夢があります。
それは、ラーメン屋という職業が多くの人に尊敬される職業になる事です。
昨今、ラーメン店も含め、飲食店での労働環境が問題となっております。
お客様と直に接し、笑顔になって、元気になってもらう瞬間を目の当たりにできる、本当に素晴らしい仕事です。
労働環境も含め、業界がもっとレべルアップできるよう、「強い想い」を持って全身全霊で仕事に取り組んでいきたいと思っております。