本日登場するスゴい人は、世界で活躍する料理人のスゴい人!
イタリアの国立料理学校を卒業後、フランス料理の巨匠ロジェ・ヴェルジェ氏に師事。
帰国後、六本木の「ボルサリーノ」でメインシェフに。
ビバリーヒルズの「Chaya Brasserie」を経て、28歳のときワシントンD.C.のリッツ・カールトンホテルで総料理長に就任。
28歳にして第40代米国大統領ロナルド・レーガン大統領就任晩餐会を取り仕切り、以降ブッシュ氏、クリントン氏と、歴代3大統領の就任晩餐会総料理長を歴任。
その後、ニューイングランドを代表するリゾートホテル「Chatham Bars Inn」などを経て「マンダリンオリエンタルワシントンD.C.」の総料理長を務める。
現在は国内に10店舗、海外に6店舗のレストランを持ち、様々な企業とのコラボレーションやレストランプロデュース行うなど、幅広く活躍するスゴい人の活躍の秘訣とは?
さあ…
料理人・レストランプロデューサー
山本秀正様の登場です!
「Creativity」
子どもの頃は食べることが大好きで、学校から帰ると自分で「美味しいものができないかな」と料理していました。
大学入学後、ほとんど出席しない私を見かねた父から、「お前は食べるのも作るのも好きだから、絶対に料理人になった方が良い」と言われ、料理人修業をすることに。
でも、当時は料理人なんて格好悪くて嫌だと思っていました。
父の知人の料理人の方の紹介で、イタリアンの店で修業を開始。
シェフの指導はとても厳しかったけれど、本当に可愛がっていただきました。
1年ほど経ってシェフがイタリアに行く時に、お前も来るかと言われて、即答。イタリアへ行くことになりました。
現地では大学と料理学校に通い、語学と料理とサービスを学んだことで料理にのめりこみ、いつしか本気になっていました。
イタリアでの修業後、フランスのレストランに住み込みで働いてひたすら勉強しました。
23歳で日本に戻ることになってすぐに店を任されることになったのですが、それからが大変でした。
自分の修業が短すぎて、懐が浅い。習った事は覚えられても、人の料理をまねることができないし、イタリアでやっていた物をそのまま持ってきても日本では通用しない。
しかし店を任されたからにはやるしかないので、それから料理人の友達をたくさん作って、教えてもらっていました。
この時とても苦労したことで、どんな仕事でも最初に基礎をきちんと身に着けることはとても大切だということを、今、実感しています。
その後、27歳でロスの店にシェフで呼ばれて、アメリカへ。
更に1年後にワシントンD.C.のリッツカールトンに総料理長としてヘッドハンティングされ、12年の間にバリやシンガポールの立ち上げも行い、40歳からは東海岸のリゾートホテルやマンダリンオリエンタルの総料理長をしました。
これまで、どんな時も料理を辞めたいと思った事はありません。
「もうダメかな」と思う時もありましたが、すぐに「そうではない」と思い直します。
失敗したのも自分のせいだし、自分に必ず原因があるから、自分でけじめをつけるしかない。
反省して、繰り返さないように修正して、より良いものをつくるのです。
なぜ若い頃から名だたるレストランやホテルから声がかかったのかと聞かれますが、運だと思います。
ただ、人のつながりはとても大切にしています。
料理人も全く違う分野の人も、人のつながりがあることで機会が増えます。
今後は、更なる展開に向けて、自分が表に立つことで店のブランド力をさらに高めていきたいと思っています。
◆山本秀正オフィシャルサイト
http://chef.hideyamamoto.com/
◆著書『暴走族だった僕が大統領シェフになるまで 』
http://www.amazon.co.jp/dp/4103179414