世界屈指のコーヒーハンターとして世界2,000以上のコーヒー農園を渡り歩くスゴい人!

本日登場するスゴい人は、珈琲で世界を変えると熱く語るコーヒーハンター!
実は珈琲という産業は、生産から流通、消費までに携わる人の数では世界一の産業と言われている。

かつてタイ北部の少数民族は、生きるために山を切り開き、アヘン栽培をしていた。
彼はこの悪しき流れを断ち切るために、珈琲栽培を導入。
品質を上げるために彼が栽培を手伝い、同時にマーケットも開発。
かわいそうな人が作ったから買うのではなく、美味しいから買いたいという品質レベルにまで成長させた。
今では全国のMUJI Cafeと東京大学のオフィシャル珈琲にもなった。

世界中で珈琲栽培を手掛け、未知なる品種を探し続ける“コーヒーハンター”と呼ばれるスゴい人の生き方とは?

さあ…
株式会社ミカフェート
代表取締役社長
川島良彰様の登場です!

「新たな出会いを求めて」

静岡の珈琲屋の長男に生まれ、遊び場は世界中から運ばれてきた生豆の麻袋を積み上げている倉庫。
その袋を見ると、どんな人が作っているのだろうと、知りたくて仕方がありませんでした。
小学校6年でブラジルに行こうと決心し、ブラジル大使館に珈琲農園で働きたいと手紙を出しました。
返事がないので再度送ると今度は返信があり、「日本政府に相談して下さい」と。
それが両親にバレて激怒されました。

当時、海外に行くなんて大変な時代。
中学を卒業したら行かせてくれると言われたものの、結局大学卒業まで先延ばしに。
中南米で栽培の勉強をしたかったのですが、反対していた父が視察旅行から帰って来た時に「どうせ日本の大学でも勉強をしないならメキシコの大学に行くか?」と言ってくれました。

ずっと行きたかった海外。しかし出発直前に、スペイン語も殆ど話せないのに一人で行くことで突然不安に襲われました。
半年かけて語学の勉強をしたのち、国立珈琲研究所の所長を訪ねたのですが、セキュリティーに追い出されてしまいました。
諦めきれないので1ヶ月座り込んで気持ちを伝え続けたら、自分だけのためにカリキュラムを作ってくれたのです。

2年半の研究を終えて日本に戻り、渡航費を貯めて再度中南米を訪れた時には、内戦が激化していました。
危険を避けるためロスに渡ると、UCCの創業者が私を訪ねてきてくださいました。
「やっと夢であった農園を作れる時が来たが、社内にわかる者がいないからうちに来てくれ」と言われ、会長の直下で農園開発をスタートしました。
26年間、各国で農園開発や絶滅危惧種の発見や産業復活を手掛けました。しかし、本当のコーヒーのおいしさと楽しさを世に広めたいという想いが膨らみ、退職を決意。

自分の店を始めるために1年かけて準備をし、スタート直前にリーマンショック。
2年間赤字続きでした。
ただ、父は私の珈琲を飲んで「お前が選んだ道は正しかった」と認めてくれ、厳しい時代にスタートするからこそ本物が生き残れるのだと助言もしてくれました。

JALが本気で美味しい珈琲をお客様に提供したいとの依頼があり、お互い妥協は許さない条件で徹底的に研究を重ね、プロデュースをしたことが話題になり、多くの人に知って頂くきっかけになりました。

私には世界に7人、情報を持ってきてくれるプロがいます。
私が出会っていない品種や生産者と出逢う喜びを求め、これからも世界中を飛び回ります。

◆ミカフェート
http://www.mi-cafeto.com/

◆川島良彰著「私はコーヒーで世界を変えることにした。」(ポプラ社)
http://shop.mi-cafeto.com/fs/micafeto/other/book01
幼少時代の川島少年が1年のうち120日間、世界中を飛びまわる「コーヒーハンター」になったオンリーワンのストーリーが1冊の本になりました。
笑いあり、涙あり、コーヒー界の インディ・ジョーンズのビジネス活劇です。

◆川島良彰著「Coffee Hunting Note 100カップログ」(世界文化社)
http://shop.mi-cafeto.com/fs/micafeto/other/coffeehuntingnote
読んで、使える、新たな「こだわりコーヒー時代」を楽しむための、必携手帖スタイル本。
「100カップログ(100杯分のテイスティングノート)」と、知っておきたい「コーヒーの基本」ガイドが合体。
自分で飲んだ記録は、いずれ価値ある自分だけのコーヒーリストに。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう