キャンプ場での結婚式や、ホールを貸し切ったショーのような結婚式、映画や絵画のような結婚式。
見たことも無いような美しい世界観と、体験したことのないコンテンツの結婚式をオーダーメイドでプロデュースし、多数のメディアにも取り上げられ話題となっている“crazy wedding”
本日登場するスゴい人は、このブランドを立ち上げた女性。
アナウンサーだった父が会社を辞め、彼女が3歳の頃に、家族で1年もの間日本一周ワゴンの旅をし、その後は千葉県の農村の大自然の中で育った。
一切の物事に妥協しないことを決め、新卒で入社したベンチャー企業でも活躍したが、入社5年で退職し、「意志を持って生きる人を増やしたい」という想いを実現するため起業。
2014年には著書も出版し、講演など幅広く活躍を続ける彼女だが、27歳までは勤めていた会社を辞めることなど考えなかったという。
彼女の人生を大きく変えた出来事とは?
さあ
crazy wedding
代表・ブランドマネジャー
山川咲様の登場です!
「自分の人生を生きる」
前衛的な考え方の両親のもと、特異な環境で育った私を友達に隠せるはずも無く、「咲ちゃんは普通じゃない。変だよね」と小さい頃から言われていました。
他の子と違うのがとにかく嫌で、小中学生の頃から周りに認められたくて、目の前の全てのことにとてもストイックな子供だったと思います。
社会人になっても相変わらずしゃかりきで仕事を頑張る毎日。
新卒でベンチャー企業に入社して2年目から新卒採用のリーダーとなり、会社が私の全てだと信じて疑わなかった私は、会社の目の前に旦那とマンションまで購入する程、会社に賭けていました。
ところが入社から5年。私は妊娠・流産という経験を経て、そんな大好きだった会社を辞めることになりました。
妊娠から2か月で突然の流産。
私はすごく絶望し、自分を責めました。
その一連のことを経て、私は今までのように会社に戻って働けなくなったのです。
妊娠している間、毎日子供を想い、心配して、母もこんな風に私を思ってくれていたのかと思うと、どれだけ私は愛されていたかを実感する毎日でした。
母の半生が私の人生を作ってくれたと思うと、これ以上私が会社のために人生を使うことに強い違和感を持ちました。
これからのキャリアが見えた訳でも希望があった訳でもなく、今辞めなかったら一生この大好きな会社で働き続けてしまうという危機感で、私は会社を辞めることを決意しました。
流産、退職、3・11の地震が奇しくも数週間のうちに起こり、私は自分の人生を取り戻すために、オーストラリアへ一人既婚27歳で初めてのバックパックの旅に出たのです。
夜の成田空港から出発するとき、夜景が綺麗で泣きました。
流産をし、大好きな会社を自分から辞めた私には絶望感しか無かったけれど、それでも私は今までの人生で手を抜かずに毎日を生ききってきた自分を褒めてあげたくなったのです。
その旅でたくさんの人と出来事に出会い、私は今まで「大切そうに見えるものを失わないために、人生の全てを失おうとしていた」のだと気づきました。キャリアや給与のために、自分の人生を生きることを手放そうとしていたのだと。
私は自分の人生を取り戻していきました。
遠回りして辿り着いた「自分の人生を生きること」にやっと出会えた私だからこそ、「意思のある人生をひとつでも多く作ろう」とエアーズロックで誓い帰国。
3年経った今も、微塵も変わらぬ気持ちで生きています。
今は毎日が本当に幸せです。
それは今までで一番、妥協せずに自分の人生を生きているから。
◆crazy wedding
http://www.crazywedding.jp/
◆山川咲オフィシャルウェブサイト
http://yamakawasaki.com/
◆著書『幸せをつくるシゴト 完全オーダーメイドのウェディングビジネスを成功させた私の方法 』
http://www.amazon.co.jp/dp/4062188880