東京・六本木で158年続く和菓子店を受け継ぐスゴい人!

元禄年間から栄えていた、神田豊島町の飴(水飴)問屋“青野屋”を遠祖に安政3(1856)年に麻布市兵衛町(現在の六本木1丁目の駅周辺)で開業された老舗和菓子店“麻布 青野総本舗”
明治20年に今の場所、当時の麻布三河台町(現、六本木)に移転し、今日まで創業から158年もの間続いている。
本日登場するスゴい人は、この歴史ある会社を受け継ぐ6代目。
伝統を守りながらも、時代の変化に合わせて新たな提案を続ける彼の目指すものとは?
さあ・・・株式会社麻布青野総本舗 取締役 青野輝信様の登場です!

「伝統と変化」

私は長男ですので、幼い頃から当たり前のように家業を継ぐと思っていました。
幼稚園の頃から職人さんに遊んでもらったり、休みには包装を手伝ったりしていましたね。
青野は昔から六本木にありますが、昔は地域密着で地元の方々が買いに来てくださっていたのがミッドタウンや六本木ヒルズなどができてからはいらっしゃるお客様の層が変わり、以前は売れていたものも売れなくなってきました。
変化の激しい場所で商売を続けていくためには、昔から変わらないものを売るだけでなく、変化に対応して新しい提案をしていかなければと、私は新しい事にも積極的に取り組み始めました。
六本木はIT企業が多く参入していましたので、早い時期から自社サイトを制作しました。
サイトをご覧になった新規のお客様からのご要望にも耳を傾けるようにして生まれた一つが、ハート形やメッセージの焼印を入れたどら焼きです。
もともと、当店では鶯もちや綺麗な上生菓子などの方が人気だったこともあり、30年間、当時は人気が無かったどら焼きの販売は、していませんでした。
それを再び販売し、他にも新作の和菓子の製作、さらには前からある商品も改良となると、昔からいる職人さんからは厳しい意見で何度もぶつかりましたね。
子どもの頃からお世話になっている職人さん達に、私は現場を仕切る立場として「これを作ってください。もっとこうしてください」とお願いしなければならない。
どうやって伝えれば良いのか悩むこともありました。
昔からのお客様からも色々なご意見を頂きましたが、その都度、改善を重ね、新たな試みも受け入れていただけるようになりました。
もちろん、昔からのものを残すことも大切にしています。
昔六本木に住んでいた人が何年かぶりにやってきて「町は変わっても青野は変わらないわね」と言ってくださるのはとても嬉しい事です。
祖父も父も頑固に一店舗主義を貫いてきました。
父からは「手を広げすぎると、すべてうまく行かなくなる」と教わってきましたが、私も変化には対応し、今の良さを保ちながら、あまり広げずに続けていきたいとも思っています。
ここにしか無いからこそ、お客様の反応を直接受け取ることができるし、店舗と工場が一緒になっているから、ご意見をもとにすぐに商品の改善をすることもできるのです。
これからも、父から教わった「三方すべてよし」を心掛け、世間も、お客様も、そして私たちも幸せになれるような会社でありたいと思っています。

◆麻布 青野総本舗
http://www.azabu-aono.com/
※一部携帯では見られない可能性があります。

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