新日本プロレスの元選手であり、今は専属のメディカルトレーナーとして活躍しているスゴい人が、本日登場する。
選手として華々しくデビューしたが、試合中予期せぬ事故に遭ってしまった。
奇跡的に復帰したものの思うように結果が出ず、自分がもう一度本気になれる場所を模索し、きりひらいた道が、世界で初めてのプロレス現役経験のあるトレーナーになることであった。
彼が前例の無いその道を拓くことができたのは、強い思いがあったからだった。
さあ・・・新日本プロレス専属メディカルトレーナー 三澤威様の登場です!
「レスラーらしい生き方とは」
父が大のプロレスファンだった。
自宅のテレビにはいつもアントニオ猪木さんが映っており、自分も猪木さんばかりを見ていた。
生まれも育ちも秋田で、もちろん周りにプロレスラー養成所やトレーニングジムはなかった。
新日本プロレスの養成所に通うため、東京の大学に進学した。
大学1年の終わりに入門テストを受け、合格したのをきっかけに、大学を辞めた。
養成所生活開始から6ヶ月の短い期間で新日本デビュー。
しかし、デビュー後すぐに事件は起きた。
プロレス界の大物と、新人の自分との対戦カードだった。
相手のかけた技によって、頚椎損傷。
倒れてからすぐ起きようとしたが、足が麻痺して動かなかった。
医者からは、「寝たきりか、社会復帰できれば良い方だ」と言われていたらしい。
しかし、どうしてもリングに復帰したい一心で厳しいリハビリを続け、リングに戻れるまで回復することができた。
ところが、またもしびれが発生し、救急車を呼ぶことになる。
もうレスラーとしてリングに戻る事は難しく、悩んだ末に辞める決断をした。
他の仕事をしようかと悩んだ時期もあった。
その一方で、様々な病院へ通院する間に医学の道を薦められることも多かった。
この頃から、本気で医学を学んだ。
トレーナーになって、自分のように怪我をしてリングに戻る事を諦める選手をなくすことに、思いを懸けようと思った。
プロレスを支えるトレーナーたちには、当時はプロレス現役を経験した人間はいなかった。
自分の経験と学んだ知識でケガをしないための予防システムを本気で作り上げた。
プロレスラーは職業ではなく、生き方である。
レスラーらしく、かっこよく生きることが自分の夢。
今でも、私は夢に生きている。
◆新日本プロレスメディカルトレーナー
三澤威オフィシャルサイト
http://www.misawa.ne.jp
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