全身6割の瀕死の大火傷から生還し事業を立て直したスゴい人!

福岡で遊技場、飲食店、テレビショッピングなど様々な事業を起こし、社員数230人、年商75億円を超えるまでに急成長した。当時48歳、平成8年7月の出来事である。
その遊技場を経営する会社に押し入った暴漢にガソリンをかけられて、全身6割に大火傷を負う事件に遭った。
生死をさまよいながら5度の危篤状態と十数回の移植手術を繰り返し、その治療のあまりの激痛から何度も自殺しようと考えたという。
しかし、そんな地獄の苦しみの中、母の言葉が支えとなり、その苦境を乗り越えた。
医師や家族、そして周囲のお陰で命は何とか取りとめた。
しかし後遺症が残り、二年間の闘病生活を経て復帰した会社も倒産寸前の状態で、従業員30名、売り上げは数億円までに急減少した。
彼は大火傷の中で3つの再建を体験した。
体の再建、心の再建、会社の再建だった。
其れを乗り越える力はいったいどこから湧いてくるのか?
大火傷を通して彼が学んだことは?
さあ・・・
ジェイ・コスモ株式会社 代表取締役 大島修治様の登場です!

「円よりも縁」

あれは、今から17年前の48歳の時のことですね。
私はテレビショッピングや飲食店を経営し事業が上手くいっており、年商も75億円程ありました。
様々な事業を手がけていたのですが、やることなすことうまくいって、
「もっと、もっと事業を拡大するぞ!」とパチンコ店の経営に乗り出しました。
パチンコ店も軌道に乗り始めた時に、事務所に「営業を辞めろ」と脅迫状が届きました。
その時妻は、「あまり無理しないでね」と言ったのですが、私は聞く耳を持っていませんでした。
夜中に侵入者からパチンコ台を壊されたりと嫌がらせが続く最中、事件は起こりました。
事務所にエアコンの整備員のふりをした暴漢が押し入り、ガソリンをばら撒いて火を放ったのです。
私はガソリンを全身に浴び火だるまになりました。
病院に瀕死の状態で運ばれたときには意識朦朧としていました。
医師から
「貴方は全身6割が重度の火傷で、命は助からないと思ってください」
と告げられました。
2週間ほど生死の狭間をさまよい、後で医者から聞いたところによると危篤の状態が5回もあったそうです。
治療をするために毎日包帯をはがすのですが、皮膚がなくなっているためにガーゼが肉とくっついてしまって、はがすたびに激痛が走りました。
傷口をお湯につけて布で洗う時はタワシで直接肉をそぎ落とされているような痛みが続き、絶叫し気を失うこともありました。
そして、全身皮膚移植の繰り返し。
あまりの辛さに何度も死のう、死のうと思ったのですが、手指も火傷がひどくてグローブのように包帯で巻かれていて、モノを握ることも首を吊ることも出来なかったのです。
助からないと言われたのに、なんでこんな痛い目に遭わすのだろうか?
自分はモルモットにされているのだと思い、治療を受ける気持ちになれませんでした。
そんな地獄のような苦しみの中で、主治医の先生が
「皮膚も自然再生してきている。いいね。大丈夫だよ」と言い続けてくれたのです。
それに、翌日は右手切断という手術の前日でした。
見舞いに訪れた74歳の母が
「どんな体になっても生きてさえいてくれれば、この歳でもう一人子供を授かったと思ってどんな世話でもするからね。治療頑張ってよ」と、涙ぐみながら言ってくれたのです。
その言葉が私を救ってくれました。
先生の言葉からは、ひょっとしたら助かるのではと勇気と希望を頂き、母親の愛情からは、もっと長生きして両親に親孝行したいと思い、だんだん治療を受け入れられるようになってきました。
自分の心が前向きになると、不思議なもので次第に病状も良くなっていきました。
かつては、なぜ自分がこんな目に遭わないといけないんだとずっと犯人のことを恨んでいました。
しかし、治療の地獄の苦しみを味わった今は、犯人に感謝すらしています。
火傷以前はお金の円を求めていましたが、今は人のご縁を大切にしています。
火傷体験のおかげで講演を頼まれ、素晴らしいご縁を沢山いただけるようになりました。
私は、この大火傷から学んだことを人に伝えることが自分の天命だと思っています。

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