カテゴライズされることを拒み続け、自身もジャンルを横断して実験的なアート活動を繰り返し行っている。
その才能は実に様々な分野で発揮され、オブジェの制作、執筆活動や映画の批評、バンタンデザイン研究所では講師を務め、バーニーズ・ニューヨーク、ヴーヴ・クリコ、ランバンなどのウィンドウディスプレイの制作も行うなど、独自の美意識と哲学をもって活動をしている。
多方面で活躍するスゴい人!が抱える苦悩とは?
さあ・・・非建築家 ヴィヴィアン佐藤様の登場です!
「全ては多面体」
私は派手な恰好をしていることが多く、時おり周囲との摩擦が生じることがありました。
それが原因で時には入店を拒否されたりマンション退去の要請が来たり…。
しかし、これは私の表現の一部ですし、止めようと思ったことはありません。
震災後最初に私がやらなくてはらないと思ったことは、女装(=アート)でした。
非常時に必要なものこそがアートで、人間が人間らしくあるための尊厳の様なものだと思っております。
私より下の世代のドラァグクイーンの人たちはドラァグクイーンなりたいという目標を持って始めているので、結局はそれ以上には決してなりません。
ですから長くは続かないし、生き残っている人は多くはありません。
私たちの世代は第一世代とか言われていますが、別にドラァグクイーンを目指してこの様な格好を始めた訳ではありませんでした。
ただ、こういう格好が好きでやっておりましたら、後になって周囲からカテゴライズされただけなのです。
ですから、この格好が自然だし、長く続くのかもしれません。
しかし、続けていくことが幸せかどうかはわかりません(笑)
思い返せば、私はカテゴライズというくくりから逃れようとしてきた人生でした。
最初にゲイバーで働き出した時も私は当時流行っていたニュ-ハーフさんではありませんので、そのような振舞いを求められ、違和感を感じておりました。
学生時代には建築学部で勉強しておりましたが、建物の枠だけに囚われないようにしようとしていました。
そもそもどんな哲学に基づいて建物を作ったのかということやその哲学にしたがって図面を書いて、模型を作って、実際に建物を作るというプロセスの方に興味があったのです。
哲学を表現する手段が平面であったり、立体だったりと、アプローチの仕方がその時々違いますが、私にとってはそのこと自体が建築そのものなのです。
自分が発信したことを、受け手側はそれまでの人生で蓄積された知識や経験というフィルターを通して、理解しようとします。
ですから、事実を受け止めるにも人によってそれぞれ理解の仕方は違いますし、その人にしか理解できない部分もあるかもしれません。
時には目に見えない部分の方が重要なこともあります。
ですから私は、物事を見る際には、本質に迫るためにも様々な角度から多面的に見るように努めております。
これからは今やっている活動をより深化させて様々なカテゴリーの枠を超えて活動していくつもりです。