東証一部上場のコンテンツ制作会社の社長に44歳で上り詰めたスゴい人!

1963年に設立した東証一部上場のコンテンツ制作会社、株式会社AOI Pro.
その50年もの歴史の中で、世界最大級の広告祭
『カンヌライオンズ ゴールド』『ACC CMフェスティバル グランプリ』など、数々の賞を受賞してきた。
彼は44歳という若さでその制作会社の社長に就任した。
業界の中では、プロデューサー1人が通常年間3~4億円の売り上げを達成すれば優秀とされるところを、彼はなんと、その10倍以上の売り上げを10年もの間達成し続けた。
彼はどのようにして驚異的な売り上げを達成し続けることができたのか?
さあ・・・株式会社AOI Pro.代表取締役社長 藤原次彦様の登場です!

「AOISM」

アシスタント時代は、あまりの仕事のきつさに何度も会社をやめようと思いました。
踏みとどまったのは、やっぱり愚痴を肴に酒を飲む仲間がいたからですかね。
それに会社が好きだったんですよ。
先輩に同行していた頃、クライアントの要望に応えられないと仕事の声がかからなくなる。
という姿をよく見ていました。
だから、プロデューサーになってからは、“絶対に断らない”ということを決めたのです。
一見不可能に見えることも、予算やスケジュール見直して実現するための手段を考え抜くんです。
そんなことを続けていたら、『藤原君は絶対Noって言わない』って評判になっていったんですよ。
他にも、携帯の電話は必ず直ぐに出る。
もし出られない時でも2時間以内にかけ直す。
土曜、日曜も関係なく365日、常に臨戦体制です。
だって、休みの日に電話するというのは、よっぽどお客さんが困った状態になっているからですよね。
だから、これってすごく感謝されるんですよ。
ちょっとしたことなんですけど、これを続けていると重宝されるんですよね。
そういった、自分が常々大事にしてきたことを“AOISM”としてまとめて、社員に伝えています。
プロデューサーとして10年間は、本当に休み無く働いていました。
でも、苦しいという感覚は無くて、ストレスも無かった。
1日2~3時間の睡眠で、仕事の合間に30分寝る。
という感じでした。
午前3時より前に帰ったことが無かったですね。
普通のプロデューサーは、年間3~4億円の売り上げを達成できれば優秀と言われるんですが、私は10人分以上の仕事量をこなしていたんです。
常時12~13本くらい並行してCM制作のプロジェクトを動かしていました。
業界に名前は売れていたし、次から次に仕事がもらえるので、正直独立も考えました。
周りからも「独立しないの?」とけしかけられたりしましたし。
だけど、30代半ばで経営層から、「お前が将来会社を引っ張っていってくれ」なんて声をかけてもらって期待もしてくれていたし、東証一部上場の会社の社長になれる人なんて世の中に1600人もいないんですよね。
それに、今まで働いてきたこの会社にはたくさんの仲間がいるし、会社が好きだったんですよ。
だから、今あせって外に出るべきじゃないと、会社に残ることを決断したんです。
社長に就任してから目指しているのは、『業界No.1のポジションにつくこと』です。
私はこれからも誰よりも先頭を切って働き続け、会社を引っ張っていきますよ。

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