劇団に3歳で入団し、名子役として名を馳せるも俳優活動が苦痛で仕方がなく、今でも俳優の仕事は楽しいものではないという。
そんな彼が魅せられたのは、監督業。
30歳頃から映画・舞台監督として精力的に活動している。
なぜ彼は自分で脚本を書き、監督をすることに魅せられたのか。
そこには、ビジネス界に生きる人々のヒントになるキーワードがあった。
さあ・・・俳優、映画・舞台監督 坂上忍様の登場です!
「傷つくことを恐れずに」
幼い頃はおばあちゃん子でした。
祖母が亡くなり、塞ぎ込んでいたので、友達を作らせた方がいいと劇団に入ったのが、俳優になったきっかけです。
学校を休まなければいけないので、とにかく仕事が苦痛でしたね。
ずっと辞めたいと思っていましたが、辞めさせてもらえませんでした。
ただ、仕事を続けているうちに映画の面白さに気づき始めました。
テレビは撮影スケジュールがタイトなのですが、映画は数ヶ月撮影期間があり、じっくり一つの作品に向き合う、その時間の流れ方が好きでした。
20歳頃、自分が出演する映画の台本がつまらないと思い、脚本を書き始めました。
でも自分で書くともっとつまらない。そこからもの作りに惹かれ始めました。
映画を撮りたいと思い色々な人と出会って動き出すものの、実現に至らない事の繰り返しでした。
それでも脚本を書き続けました。
ものを書く上で、最後まで書くことがすごく大事です。
下手でもいいから書き上げて人に見せる。
途中で止めて人に見せないのは、かっこつけているだけ。
下手なことを受け入れ、恥をかいてダメ出しを受ける。
その会話の中で成立していくものだと思います。
その後、映画を撮らせてもらえるようになりました。
作品のテーマを聞かれた時に思うのが、結局すべての作品のテーマは生きることとか愛とかの5つくらいに集約できるけど、その答えのないテーマを色んな切り口で表現しようと試みる。
20代から30代を経て40代。
年齢とともに伝えたいことは変化します。
元々は出演者側にいながら作り手に回りたいと思ったのは、役者としての作品に対する責任の取り方に納得できなかったんです。
役者は、作品が批判されても監督や脚本、製作陣に逃げ場を求められます。
それなら、一番元となる脚本に関わった方が大きな責任を取れる。
自分のことを嫌いにならないために、自分で責任をとれることをやった方がいい。
真っ当に傷つき、その分良くなっていく。
責任をとることは覚悟がいることですから、常に怖くて仕方がないです。
でも、一歩踏み込んだときに新しい発見があります。
私は、作り手側の仕事をやらせてもらって、逆に役者の仕事の面白さを改めて知ることができました。
一緒に作品を作る役者には、
“アメとムチ”ではなく
“真実とフォロー”を大切にしています。
なぜダメかを伝え、後でフォローする。
叱った回数はしっかり覚え、その分フォローする。
一人一人の心の流れを感じることが大事ですね。