長野オリンピック、JASDAQ、三井化学、東芝、明治製菓など、数々の有名企業や団体から仕事の依頼が殺到するグラフィックデザイナーが、本日登場する。
企業のブランドイメージを決める「ロゴデザイン」の分野において、日本を代表し、世界でも活躍する。
世界のデザイナーと競い合い、1998年の長野オリンピックのロゴデザインコンペを勝ち抜いたデザイナーの仕事法とは?
好きなことを仕事にするための極意を教えていただきましょう。
さあ・・・株式会社イデアクレント代表取締役 篠塚正典様の登場です!
「己の道をとにかく信じて」
小さい時から絵を描くのが好きだった。
とにかく何をやるよりもまず、絵を描いていた。
中学に入る頃から、アートの道へと進みたいと感じていた。
当時は、グラフィックデザインという言葉も世間ではまだなじみがなく、サラリーマンだった両親からは、いくぶんか将来を心配された。
多摩美術大学を卒業してからさらに高いレベルで学びたいと思い、アメリカで最もレベルの高い美術大学のひとつと言われるアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに入学した。
英語が全くできず、はじめは苦労した。
しかし、好きが高じて語学力の壁を乗り越え、主席で卒業することができた。
さらにレベルの高いデザインを学びたいと考え、サンフランシスコに本社を持つ世界最大のC.Iデザイン会社ランド・アソシエイツに、デザイナーとして応募した。
しかし、結果はそう上手くはいかず、不合格。
でも、何度落ちても諦めきれず、必死に食いつなぎ、挑戦し続け、4度目の面接でようやく入社にこぎつけた。
世界最大のデザイン会社ということもあり、自分にとって成長につながる経験をたくさん積むことが出来た。
そして1993年、長野オリンピックのロゴデザインのコンペティションに参加するチャンスを掴んだ。
このコンペティションには、世界各国から1000点以上もデザインが集まった。
周りは強敵ばかりだが、これをチャンスだと考え、とにかく必死で戦った。
絵におこす前に、オリンピックについて、長野について、その歴史について、何十年も前にさかのぼって調べ抜いた。
そこから浮かぶキーワードを全て抽出し、そのキーワードをもとに150以上ものロゴデザインを描いた。
花、人の輪、雪の結晶という3つのキーワードから、私が生み出したロゴが、選ばれた。
必死に戦ってきた分、喜びは大きかった。
幼い頃から英才教育を受けていたわけではなかった。
けれど、そんな自分でも、世界のデザイナーたちと戦い、勝ち抜くことができた。
自分の道は、自分で切り開いていけるということを、自分の生き方を通して体現していきたいと思っている。
今の夢は、夏のオリンピックのシンボルマークを創ること。
個人のデザイナーで夏冬両方のオリンピックロゴを手がけた人間はまだいないから、誰も達成していないことをやり遂げたいのです。