24歳という若さで、日本ヒューマンビートボックス協会を立ち上げたスゴい人が本日登場する。
彼がヒューマンビートボックスを始めた頃は日本一を決める大会が存在せず、ならば自分で作ろうと思い、協会を立ち上げたという。
しかし、すでにヒューマンビートボックスの世界で活躍している先輩からの協力をもらうのは、一筋縄ではいかなかった。
彼は、どのようにして協力者を募っていったのか?
さあ・・・一般社団法人日本ヒューマンビートボックス協会代表理事 和田辰也様の登場です!
「ヒューマンビートボックス革命」
元々服飾の専門学校に通っていて、将来はデザイナーになりたいと思っていました。
偶然地元のデパートでヒューマンビートボックスを披露していた方がいて、人間の口だけでドラムからベース音から、なんとレコードのスクラッチまで再現していたんです。
「めちゃくちゃカッコいい!これだ!これを俺もやりたい」ってズドンと稲妻が脳天を直撃しました。
それから独学で練習し、気がつけばクラブやライブハウスで月20本はパフォーマンスをするようになりました。
2009年にドイツで行われた世界大会に参加して「日本と世界を繋げたい!!」と考えるようになりました。
だったら、まずは日本一を決める公式大会を作ろうって思ったんです。
これが、一般社団法人日本ヒューマンビートボックス協会を立ち上げたきっかけです。
活動に賛同してもらおうと仲間を募っていたのですが、日本には既にヒューマンビートボックスで活躍されている先輩方がいる。
自分はまだまだ24歳の若輩者です。
「ポッと出の奴がなんで日本全体を纏めるんだ?」
なんて言われて最初は風当たりが強かったです。
でも、そんな時も「これから3年間の活動を見守ってください。必ず結果を出しますから」
と訴え続けました。
内心では、自分が間違った行動をして、先輩方が築いてきたヒューマンビートボックスのシーンを汚してはいけないというプレッシャーも相当ありました。
それから3年の間に全国各地でワークショップを開催して地道な活動を続け、日本一を決める大会も毎年開催しました。
僕自身もその大会で優勝し、その後、世界大会にも出場するなどプレーヤーとしての実績も積んでいきました。
がむしゃらに走り続け、ふと後ろを振り向くと徐々に、協力者も増えてきて、先輩方の協力ももらえるようになったのです。
仲間がいるのは本当に幸せなことですね。
今はMad4thという4人のチームで活動をしています。
ヒューマンビートボックスは普通は一人でやるのですが、グループでやった方が音圧が出るし、メロディも奏でやすい。
しかも、動きも作れてショーアップできるので観客にも楽しんでもらえるんですね。
これは、世界でもまだ誰もやっていない新しい取り組みだと思います。
常に新しいことに取り組んで、観客を魅了し続ける。
そして、世界に日本のヒューマンビートボックスを根付かせる。
これが、僕達の究極の目標です。