昔は「ワーゲンを見ると幸せになれる」という言い伝えがあった程、人々を幸せにした車。
そんな、幸せを呼ぶ車を愛し、追求し続けている男が日本にいる。
彼は常に「全然スゴい事はしていない。自然な流れだよ」と柔和な笑顔で答えているだけ。
仕事を引退してゆっくりしようと湘南に2000坪の土地を購入し、男のロマンを散りばめた豪邸を作ってしまった。
しかし、今でも世界中のファンからの注文が忙しくてまだ引退は出来ていないそうだ。
果たして、彼はどんな人生を送ってきたのだろうか?
さあ・・・株式会社フラットフォー代表取締役社長 小森隆様の登場です!
「揺るがない探究心」
私は、東京大空襲があった時代に疎開先で生まれました。
子供の頃から引っ込み思案。
ただ、小さい頃から車好きでした。
14歳で原付一種免許を取り、朝晩の新聞配達で貯めたお金でHONDAスポーツカブを購入。
友達とバイクを改造して楽しんでいました。
18歳で車の免許を取得し、1963年11月に当時75万(一般月収8千円)した1959年製のTriumph TR3Aを購入しました。
膨大なローンを返すために働かなければならない。
この車と共に歩んだ時間はその後の人生の励みになり、苦楽を共にした愛車は50年近く経った今でも現役、一発でエンジンが掛かります。
27、8歳の頃、様々なワーゲンのパーツを組み合わせて世界に1台の車を作ろうと思い、休みは日曜日だけでしたので4年かけて完成させました。
これが大きな自信となりました。
長男なので実家の建築資材店を継ぐつもりでしたが、親と意見が合わず、30歳で家業を弟に譲り家を飛び出しました。
目黒に事務所として家賃9万円の1軒屋を借りたものの、家賃さえも払えない。
場所は路地のどん詰まり。
来るのはお客様ではなく
「お前らうるさい!」
「ガソリン臭い」といった苦情ばかり。
3年間、貯金はゼロ状態。
アメリカ兵がジャンクヤードに置いていったワーゲン部品を買ったり、3万円の古いワーゲンを購入し、綺麗に作り直して30万円で販売したりしました。
これが結構売れました。
丁度1977年頃、雑誌『POPEYE』が創刊され、面白い事をやっている奴がいると取材されました。
すると、編集部の担当者がワーゲンにハマってみんな買ってくれました。
その後、毎週何かと特集を組まれ「flat4」の名が全国に広まりました。
アメリカからもパーツを輸入していたので、アメリカ法人を作り、カタログ販売。
当時、アメリカではマグネシウムで作った1960年代のホイールが大人気だったのですが、高価な上に、劣化が激しい。
私はこれを日本で作ったのです。安価で劣化しない高品質なアルミ合金で。
ただ、最低ロットが1000本。
日本では捌き切れないので、アメリカやヨーロッパに持って行きました。
すると、「こんな商品が欲しかった」と世界中の人が買ってくれました。
それから、自分が欲しいと思うステアリングホイールやルーフキャリア等、沢山作りました。
自分がワーゲンマニアだから、お客様の気持ちが良くわかりました。
私は何もスゴい事はしていません。
ユーザーの喜びは私の喜びでもあり、ただ、今振り返ると、ここまで続けて来られたのは、誰よりも熱い心でお客様が求める事を追求し続けたからかな。
それって難しい事ではなく、自然な流れでしょ。