小学2年でレーシングカートを始め、中学までに大人も参加するレースでタイトルを多数獲得。
しかし、セクハラが原因でレース業界自体に不信感を抱き、レースを辞めて荒れた高校時代を過ごしたという。
その後、あることがきっかけで
再びレースの世界へと復帰。復帰したその年にFJ1600の富士シリーズ年間チャンピオンを獲得、スーパーFJ筑波シリーズでもシリーズランキング2位を獲得するなど、その才能をいかんなく発揮した。
彼女はルックスからも注目を集め、多くのメディアにも取り上げられ、ファッションモデルやタレントとしても活躍の幅を広げている。
さあ・・・レーサー、神子島みか様の登場です!
「素直にしつこく」
8歳の時に、レース関係の仕事をしていた父の影響でレーシングカートを始めました。
私は左利きなんですけど、最初に教えてくれた人が右利きだと思って教えて、アクセルとブレーキを踏み間違えて大クラッシュ。カートから体が投げ出されました。
でも、父が「せっかく来たんだからもう一度乗ってみろ」と勧めるので、歩くより遅いスピードで走ったことを昨日のことのように覚えています。
これが私とカートとの出会いです。雨の日も晴れの日も練習に明け暮れました。
群馬の山奥の練習場で、雪が舞う中で、手が凍りそうになりながら練習したりもしました。
半年もすると、大人と一緒に走っても負けなくなりました。
両親が喜んでくれる姿が嬉しくて、それに応えようとがんばっていたんですね。
でも、中学を卒業する時にセクハラにあって、辞めてしまいました。精神的ショックが大きくて、人間不信になりました。
そこから3年間荒れた高校生活を過ごすのですが、心のどこかで「レースが無い生活はどこか物足りない日々だな」と思っていました。
そんな時父から、「車に乗るのが純粋に好きならもう一度やってみろ」と心の中を見透かされて、復帰することを決めました。
復帰後、カートから一段階レベルを上げてFJ1600にチャレンジしたけど、マシンの使い方が全くわからない。
メカニックの人にギアの扱い方を教えてもらって、ひたすらその練習ばかり繰り返していました。
「なんで、あんなに遅そうな人に負けるんだろう?」と悔しい思いも何度もしました。
でも、私は相当な負けず嫌いです。練習中に自分より速い選手がいたら、その人の後にピッタリとくっつき、コーナーの攻め方や加速の仕方を分析しながら走りました。
速くなりたい。そのためには何でもする。私には変なプライドが無いのです。
その年の後半にはフォーミュラカーも上手く扱うことができるようになり、年間チャンピオンになることができました。
敬語も使えず態度の悪い私を、チームメンバーは受け入れ続けてくれたんだと自然と感謝の気持ちがわきました。
まだまだレースの世界は男性社会で、女性を受け入れる体制が整っていません。実際に活躍している女性ドライバーも少ないです。
でも、自分ががんばることによってその状況をちょっとでも変えたいです。
今は、ツーリングカーに主戦場を移してレースに取り組んでいます。
将来は、GT選手権に出場して、結果を残せる選手になりたいと思います。