16歳からキックボクシングを始め、プロデビュー戦からまさかの3連敗を味わった。そこから猛練習し、花の青春時代をキックボクシングに捧げた。そして手にした勝利。
そこから、日本キックボクシング協会ウェルター級の王座まで一気に上り詰めた。
ある人物の一言がキッカケで、自身が心に思い描いてきた殴る、蹴るだけではなく、投げ技や関節技、絞め技も有効とするそれまでに無い新たなスタイルの立技総合格闘技シュートボクシングを作ることを決意した。
当時はプロレス以外の“格闘技”に対する世間の認知度も低く、全くゼロからのスタート。
彼はどのようにして生みの苦しみを乗り越えたのか?
さあ・・・シーザージム会長、シーザー武志様の登場です!
「感謝」
私がキックボクシングの日本チャンピオンの時に初代タイガーマスク 佐山聡からキックを教えてほしいという依頼を受けて、当時三軒茶屋にあったスーパータイガージムに教えに行ってたんです。
そこに、前田日明や高田延彦、そしてそれを指導するプロレスの神様と言われたカールゴッチさんもいて、皆で一緒に練習してましたよ。彼らからは本当にいい刺激をもらいました。
その時にカールゴッチさんから、世界にはキックボクシングの他にもフランスのサバットや韓国のテコンドー、中国の散打など様々な立技の格闘技があることを教えてもらってカルチャーショックを受けたんです。
それまで立ち技格闘技は、ボクシング以外はキックボクシングかムエタイしかないと思ってたから。そこで、胸の奥で密かに温めていた殴る、蹴る、投げる、関節技を極めるという全く新しいスタイルの立技の総合格闘技団体を作ることを決めたんです。
それが、シュートボクシングを立ち上げたきっかけですよ。
しかし、立ち上げた所までは良かったけど、ジムの運営から、興行、選手の育成、スポンサー集めまで全部一人でやっていたから本当に大変でした。自分も選手として試合に出場していたので、当然練習もしなくちゃいけなかったですからね。一日の睡眠時間は3時間程だったかな(笑)
だけど、ジムの運営を一緒にやっていた仲間が資金を持って逃げてしまったりアクシデントも多かった。
家賃も滞納して、本当に潰れる一歩手前の状況になりましたからね。でも本当に『もうだめか…』という時には必ずスポンサーとして協力してくれる人が現れるんですよ。
魂を燃やして覚悟を決めて命がけでやっていると、それに共鳴して力を貸してくれる人は必ずいるものなんです。
自分がシュートボクシングを始めた頃は、たとえ誰もいなくなって一人になっても、
ジムが無くなっても、公園の広場で練習をしてでも続けるという覚悟を持っていましたからね。
そういう信念のもとに努力を続けて、満を持して後楽園ホールで開催したシュートボクシングの旗揚げ戦には、本当に大勢の格闘技ファンが集まってくれました。それが、次の大会を開催する自信にもなりましたよね。
1985年から今年で27年目を迎えたんですが、ここまで続けてこられたのも全て周りの協力のおかげなんですよね。決して自分の力だけでは
やってこられませんでしたから、本当にシュートボクシングに携わってくれた全ての人に感謝してますよ。
私は選手に対しては、格闘技術についてもそうですが、何より礼儀作法を厳しく指導しています。彼らには、格闘技をやっているからこそ人格者でいて欲しいから。
人生でスポーツ選手として過ごせる時間は短いものですし、現役を終えた後にきちんと社会に馴染めるようにしてあげたい。
私はシュートボクシングを世の中にもっともっと広めていきたい。そのためにこれからも全力を尽くしますよ。応援よろしくお願いします!