中学時代は野球部に所属しエースで4番。将来はプロ野球選手になることを熱望していたが、スポーツ推薦で入学した野球の名門 青森山田高校で先輩部員と対立し、1か月で退部。辰吉丈一郎がWBC世界バンタム級王座を獲得した試合をテレビ観戦したのを機に、プロボクサーになることを決意したという。
1993年6月17日に17歳でプロデビューしてからは、なんと無敗のまま世界タイトルマッチに挑戦をする程敵無しの状態であったと言う。
彼は、その後WBA世界スーパーフェザー級とライト級の2つの階級を見事制覇した。
引退後には経営者として中古車販売、フィットネスジム、飲食業など事業を次々と成功させている。
彼は、ボクシングでも事業でも成功するためには、あることが欠かせないという。
その大事な要素とは?
さあ・・・ボクシング世界チャンピオン、畑山隆則様の登場です!
「誘惑を断ち切れ」
ボクシングを始めた時はちょうどボクシングブームで、最初に通っていた米倉ジムの練習生だけでも500~600人はいたんじゃないかと思います。
練習で素質を見抜かれた選手は、6ヶ月も経つとトレーナーから声がかかるのですが、自分には全く見向きもしてくれません。
「きっと練習生が多すぎて、自分は目に留まらないんだ」と良い方に勘違いしたんですね(笑)それで、もっと人数が少なくて自分に合うジムを探そうと考えました。チャンピオンを何人も育てている名トレーナーがいるジムが川崎にあるとボクシング雑誌で見つけて、門を叩いたのです。
ジムを移って10日後に自分の練習を見ていたチャンピオンメーカーのトレーナーから
「世界チャンピオンになりたかったら俺と一緒にチームを組んで練習しろ」と言われました。練習はかなりハードで、試合前になると1ヶ月間合宿所に篭って練習に没頭します。その間は、友達と会うことさえ許されません。
元々家が裕福でなかったので、自分はボクシングで成功しないと高校も中退だし、人生が終わりだと思って練習に取り組んでいました。だから、どんなに厳しい環境でも辛いとは思いませんでした。
練習の成果もメキメキと出てきて、連戦連勝で日本チャンピオンに上り詰めました。
日本チャンピオンになるとお付き合いの機会も自然に増えました。でも、必要最低限のものだけに絞り自分を管理しました。
これに失敗すると、お酒におぼれたり練習をサボったりするようになって世界に通用しなくなる多くの選手を見てきたからです。
世界タイトルマッチは実力があれば実現するものではありません。所属しているジムに資金力がありスポンサーが集まるなどの色々な条件が揃わなければなりません。
自分は運が良くて、2階級制覇も含めて世界タイトルマッチに3度も挑戦できました。
1度目の世界タイトルマッチは引き分けに終わり、2度目で世界チャンピオンのベルトを巻くことができました。この時の喜びといったら盆や正月など祝い事がいっぺんに来たような感覚で、言葉ではうまく表現できません。
世界1位になるためには、自分より上位ランクの選手と総当たり戦をするわけでは無いので、チャンピオンが自分より弱ければいいのです。
私はもちろん練習もしていましたが、時の運が見方してくれたのでチャンピオンになれたのだと思います。
運は努力が引き寄せます。努力し続けてください。きっと上手くいきますよ。